「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(85)~黄泉国で伊邪那岐命は片想いする。

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古事記』の前回の続き。

かく白しつその殿の内に還り入りし間、いと久しくして待ちかねたまひき。故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火燭(とも)して入り見ます時、うじたかれころろきて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には析雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、併せて八の雷神成り居りき。

 

「その殿の内に還り入りし間」は「還入其殿内之間」で二重否定で「其妹」伊邪那美命は「殿」の中に入っている。
「故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて」は「刺左之御美豆良三字以音、下效此。湯津津間櫛之男柱一箇取闕而」でなぜか「左」ではいけないらしく、「美豆良」は「以音」である。この場合「みずら」でないと考えた方が良さそうである。そして「湯津津間櫛之男柱」で「櫛」あるいは「湯津津間櫛」でないものから「男柱」を闕き取っている。
「一つ火燭して入り見ます時」は「燭一火入見之時」で「入って見て」いない。
実は、ここまでの主語は「其妹」伊邪那美命である。伊邪那岐命ではない。
「うじたかれころろきて」は「宇士多加礼許呂呂岐弖此十字以音」で「岐」が否定され、「其妹」伊邪那美命伊邪那岐命と同じ属性にないことがわかる。「美豆良」が以音なのは女性だからで、「入って見て」いないのは既に殿の内にいるからである。
そして「頭には大雷居り(於頭者大雷居)」と八つの雷神が現れたことで、「其妹」伊邪那美命には雷神の属性がある。

ここで伊邪那岐命と「其妹」伊邪那美命のおいかけっこを飛ばして、二人が「事戸を渡す」、つまり離婚する場面を見てみよう。

最後にその妹伊邪那美命、身自ら追ひ来たりき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、各対ひ立ちて、事戸を渡す時、伊邪那美命言ひしく、「愛しき我が汝夫の命、かく為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」といひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここをもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。故、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。

 

伊邪那岐命は「愛しき我が汝妹の命」と云ったが、前回見たように「那邇」は「以音」なので「愛しき我が妹の命」と云ったことになる。
これでは話が違うではないか、と思うだろうが、これでいいのである。
「ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて」は「爾千引石引塞其黄泉比良坂」で、「其」黄泉比良坂に千引の石を「其妹」伊邪那美命が置いたのである。これで伊邪那岐命は、黄泉国から出られなくなった。
そして「その石を中に置きて(其石置中)」向かい合った。この石は千引の石とは別の石である。
「事戸を渡す時」は「度事戸之時」で二人は離婚していない。
それなのに「其妹」伊邪那美命は「伊邪那美命言ひしく、『愛しき我が汝夫の命』(伊邪那美命言、愛我那勢命)」と「あなたの夫」というのである。黄泉の国では、伊邪那岐命の片想いとなる。
「その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ(号伊邪那美命黄泉津大神)」の伊邪那美命が「其妹」伊邪那美命でないのは明らかである。
実は「津」は否定の字で、「大神」は否定されるが「黄泉」は肯定される。
先に「『湯津津間櫛之男柱』で『櫛』あるいは『湯津津間櫛』でないもの」と書いたのはこのためで、「湯津津間」とは「湯」を二重否定で肯定しているのである。
話を戻せば、「其伊邪那美命」で「其妹」でない伊邪那美命を「黄泉」と「号けた」のは、「其妹」伊邪那美命が「黄泉大神」だからで、そのことを隠すためと考えることができる。
しかし「其」黄泉比良坂では黄泉比良坂に石が寘かれていないことになり、伊邪那岐命はいつでもそこから出られるのではないかと思うだろう。
これには仕掛けがある。次回、この前の伊邪那岐命伊邪那美命のおいかけっこを見てから、この続きを見てみよう。

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