「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(82)~天照大「御」神は何者か

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古事記』の天孫降臨の初めから。

天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ。」と言よさしたまひて天降したまひき。ここに天忍穂耳命天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国はいたく騒ぎてありなり」と告りたまひて、更に還り上りて、天照大神に請(まお)したまひき。ここに高御産巣日神天照大御神の命もちて、天の安の河の河原に、八百万の神を神集へに集へて、思金神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さしたまへりし国なり。故、この国に道(ち)速振る荒振る国つ神等の多(さは)なりと以為(おも)ほす。これ何れの神を使はしてか言趣(む)けむ。」とのりたまひき。
ここに思金神また八百万の神、議(はか)りて白ししく、「天菩比神、これ遣はすべし。」とまおしき。故、天菩比神を遣はしつれば、すなはち大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏さざりき。

 

天照大御神の命もちて」は「天照大御神之命以」で「天照大御神でない者の命を以て」である。「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ。」は「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命之所知国」で「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命でない者が知らさない国」で二重否定の肯定である。
そして天忍穂耳命が復奏したのは天照大神で天照大「御」神ではない。
「ここに高御産巣日神天照大御神の命もちて、天の安の河の河原に、八百万の神を神集へに集へて」は「爾高御産巣日神天照大御神之命以、於天安河之河原、神二集八百万神集而」でやはり「天照大御神でない者の命を以て」となる。
「この葦原中国は、我が御子の知らす国」は「此葦原中国者、我御子之所知国」である。
ところが「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」は「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」で「葦原」が否定されている。
高御産巣日神は、「天照大御神でない者の命を以て」思金神に「思はしめて」、つまり方策を考えさせて「葦原中国は我が御子の知らす国」と詔した。高御産巣日神には葦原中国の統治を主張する権利があるのである。
続いて「ここに思金神また八百万の神、議(はか)りて白ししく」だが、「爾思金神及八百万神、議白之」で「議りて白して」いない。「議り白」さずに派遣された天菩比神だが、「すなはち大国主神に媚び附きて」は「乃媚大国主神」で大国主神に媚びていないのである。天菩比神にはただならぬ存在感がある。

対して天照大「御」神はどうか。
まず正勝吾勝勝速日天忍穂耳命だが、速須佐之男命との誓約によって生まれたのは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命である。これを「自ら吾が子ぞ」と言って「子」としたが「御子」とは言っていない。
そして「正勝吾勝勝速日」でない天忍穂耳命天照大神に復奏した。それは天照大「御」神が「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と言っていないからである。それを「天照大御神之命以」と合わせて二重否定のように見せかけているがやはり言っていない。私が「言」を否定の字と見たのはこのことによる。
当然正勝吾勝勝速日天忍穂耳命と親子関係はない。むしろ天照大神天忍穂耳命の方が真に親子なのではないかと思われる。「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」とも関係がない。天照大「御」神は実に立場がないように見える。
ところが、そのことがかえって天照大「御」神に存在感を与えているようにも見える。そのうち述べるとしよう。

次回、国生み神話について見ていこう。

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