「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(81)~星川皇子の謀反

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『書紀』前回の続き。

天皇、弟君の不在(な)きことを聞こしめして、日鷹吉士堅磐固安銭堅磐、此をば柯陀之波(かたしは)と云ふ。を遺して、共に復命さしめたまふ。遂に即ち倭国の吾礪(あと)の広津広津、此をば比慮岐頭(ひろきつ)と云ふ。邑に安置(はべらし)む。病みて死(みまか)る者、衆(おお)し。是に由りて、天皇、大伴大連室屋に詔して、東漢直掬(やまとのあやのあたひつか)に命(みことおほ)せて、新漢陶部高貴・鞍部堅貴・画部因斯羅我・錦部定安那錦・訳語卯安那等を、上桃原・下桃原、真神原の三所に遷し居らしむ。或本に云はく、吉備臣弟君、百済より還りて、漢手人部・衣縫部・宍人部を献るといふ。

 

今回の話の胆は、末尾の「或本に云はく」からである。
ここで訂正。

ヤマトタケルは開化天皇である(78)~雄略が吉備上道臣田狭の妻稚媛を奪う事件 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で「一書」は肯定と述べたがそれは「一」と「書」の二重否定による肯定である。
「一本」の場合、「書」と逆に「本」は肯定の意味なので「一本」は否定の意味である。「別本」も同様。
そして「或本」は「或」も「本」もどちらも肯定の意味である。つまり注は真実を語っている。本文が嘘なのである。
吉備臣弟君が百済から帰って献ったのは漢手人部・衣縫部・宍人部である。

ヤマトタケルは開化天皇である(77)~「膳夫」と「宍人部」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

にも登場した宍人部が入っており、それは百済由来である。
私は出雲系を邪馬台国の系統だと思っているが、どういう訳か出雲系を百済由来だと『書紀』は思わせたいらしい。

ヤマトタケルは開化天皇である(80)~「才伎」は百済とは無縁 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、百済由来でない「才伎」を百済から連れてきたように見せかけ、樟媛が連れてきた分と合わせて、「才伎」を連れてきたのを樟「媛」の手柄にしようとした。

ヤマトタケルは開化天皇である(68)~天宇受売「神」が「名猿田毘古神」の「名」を顕した真の理由 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で「名猿田毘古神」から猨田毘古之男神に変わるのを見てきたが、
「猨」のけもの偏を手偏に変えると「媛」になる。
ならば「媛」は丹波系かといえば、私はまだそこまで断定していない。ともかく「才伎」を連れてくる役割が弟君から樟媛に移ったか、または弟君の手柄を半減させた。
そして新漢陶部高貴・鞍部堅貴・画部因斯羅我・錦部定安那錦・訳語卯安那等を上桃原・下桃原、真神原の三所に移動させた。しかし「等」なのでこれは否定で、弟君の連れてきた「漢手人部・衣縫部・宍人部」を『書紀』の書き手は手に入れたいというのが本音だと判断できる。

次に『清寧紀』を見ていこう。

(雄略)二十三年の八月に、大泊瀬天皇、崩(かむあが)りましぬ。吉備稚媛、陰に幼子星川皇子に謂(かた)りて曰はく、「天下之位(たかみくらい)登らむとならば、先づ大蔵の官(つかさ)を取れ」とのたまふ。長子磐城皇子、母夫人の、其の幼子に教ふる語を聴きて曰はく、「皇太子(清寧天皇)、是我が弟と踏(いへど)も、安(いづく)にぞ欺くべけむ。不可為(しかはすべからず)」とのたまふ。星川皇子、聴かずして、輙(たやす)く、母夫人の意に随(したが)ふ。遂に大蔵の官を取れり。外門を錙(さ)し閉めて、式(も)て難(わざわひ)に備ふ。権勢の自由にして、官物(おほやけもの)を費用す。是に、大伴室屋大連、東漢掬直に言ひて曰はく、「大泊瀬天皇の遺詔し、今至りなむとす。遺詔に従ひて、皇太子に奉るべし」といふ。乃ち軍士(いくさ)を発して大蔵を囲繞(かく)む。外より拒(ふせ)ぎ閉めて、火を縦(つ)けて燔殺す。是の時に吉備稚媛、・磐城皇子の異父兄兄君・城丘前来目名を闕(もち)せり。星川皇子に随ひて、燔殺されぬ。

 

今回の代字は、「外門を錙し閉めて」の「錙」」、「是我が弟と踏も」でそれぞれ

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である。

ヤマトタケルは開化天皇である(78)~雄略が吉備上道臣田狭の妻稚媛を奪う事件 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように、雄略の配偶者は稚「姫」で、その間に磐城皇子と星川稚宮皇子が生まれたことになっている。もっともこの親子関係も判然としないものだが、このくだりに登場するのは吉備稚媛で、その子とされるのは星川皇子であり「稚宮」がない。それも「幼子」「母夫人」と呼ぶだけで親子であるように見せているが、そのように判断はできないだろう。「長子」と呼ばれる磐城皇子も同様である。
「天下之位登らむとならば」の「天下之位」では「天下」を否定することになるが、なぜこのように書かれているのかはよくわからない。
「母夫人の、其の幼子に教ふる語を聴きて曰はく」は「聴母夫人教其幼子之語曰」で、「其の幼子でない者」という二重否定で星川皇子を指すのは間違いない。
「輙く、母夫人の意に随ふ」は「輙随母夫人之意」で、「母夫人でない者の意に従う」となる。吉備稚媛以外に星川皇子を唆す存在がいることを示唆している。
「大泊瀬天皇の遺詔」は「大泊瀬天皇之遺詔」で「大泊瀬天皇でない者」、つまり大泊瀬幼武天皇のことを指すのだろう。大伴室屋大連は「言ひて曰はく」で二重否定で言ったことになる。
「乃ち軍士を発して大蔵を囲繞む」以降だが、「乃」について私が新たに思ったことは、「乃」は主語が変わるまで動詞を否定し続けるのではないかということである。つまり外から塞いでもいないし、火をつけて焼き殺してもいない。軍隊で囲んでいないのだからそうなるのが当然である。そうでなかったとしても、星川皇子は大蔵の官を得て外門を閉めたが、「中に入った」とは書いていない。中にいない星川皇子が焼き殺されることはないのである。
吉備稚媛と兄君、城丘前来目は星川皇子に従って焼き殺されたが、星川皇子、そして磐城皇子は生き残った。その理由は二人が『書紀』にとって重要だからである。それは私が開化天皇と同一と見た清寧天皇の「兄」と「弟」であることとおそらく関係がある。

次回から、『古事記』に戻ることにする。

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