「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(76)~盧城部連武彦と栲幡皇女の姦淫事件

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

『雄略紀』の三年四月の記事を見てみよう。

三年の夏四月に阿閉臣国見、更の名は、磯特牛(しことひ)。栲幡皇女と湯人の盧城部連武彦とを譜(しこ)ぢて曰はく、「武彦、皇女を奸(けが)しまつりて任身(はら)ましめたり」といふ。湯人、此をば臾衛(ゆえ)と云ふ。武彦の父枳莒喩、此の流言を聞きて、禍の身に及ばむことを恐る。武彦を盧城河に誘へ率(たし)みて、偽きて使鵜玄没水捕魚(うかはするまね)して、因りて其不意(ゆくりもなく)して打ち殺しつ。天皇、聞しめして使者を遣して、皇女を案へ問はしめたまふ。皇女、対へて言さく、「妾は、識らず」とまうす。俄にして皇女、神鏡を齏(と)り持ちて、五十鈴河の上(ほとり)に詣でまして、人の行かぬところを伺ひて、鏡を埋みて経(わな)き死ぬ。天皇、皇女の不在(な)きことを疑ひたまひて、恒に闇夜に東西に求覺めしめたまふ。乃ち河上に虹の見ゆること蛇の如くして、四五丈ばかりなり。虹の起てる処を掘りて、神鏡の獲(う)。移行未遠にして、皇女の屍を得たり。割きて観れば腹の中に物有りて水の如し。水の中に石有り。枳莒喩、斯(これ)に由(よ)りて、子の罪を雪(きよ)むること得たり。還りて子を殺せることを悔いて、報(たむか)ひに国見を殺さむとす。石上神宮に逃げ匿れぬ。

 

「鵜玄没水捕魚」の「鵜」と「玄」、「俄にして皇女、神鏡を齏り持ちて」の「齏」、「恒に闇夜に東西に求覺めしめたまふ」の「覺」は代字で、それぞれ

f:id:sakamotoakirax:20191126230524j:plain


f:id:sakamotoakirax:20191126230743j:plain


f:id:sakamotoakirax:20191126231043j:plain


f:id:sakamotoakirax:20191126231249j:plain


である。
栲幡皇女は雄略の皇女とされている。
雄略元年三月に、

是の月に、三の妃を立つ。元妃葛城円大臣の女を韓媛と曰ふ。白髪武広国押稚日本根子天皇と稚足姫皇女更の名は、栲幡姫皇女。とを生めり。是の皇女、伊勢大神の祠に侍り。

 

とある。見ての通り、雄略三年に登場したのは栲幡皇女であって、栲幡「姫」皇女ではない。私は「更」は現時点では『古事記』の「亦」と同じだと思っているが、もし「更」が否定の意味で「名」との二重否定で「御名」になったとしても、栲幡皇女と栲幡「姫」皇女が同一になることはない。
話を雄略三年に戻そう。
「武彦の父枳莒喩」は「武彦之父枳莒喩」で、武彦は枳莒喩の「御子」である。枳莒喩は「因りて其不意して打ち殺しつ」とあるが、「因其不意而打殺之」とあるので
枳莒喩は武彦を殺していない。
「乃ち河上に虹の見ゆること蛇の如くして(乃於
河上虹見如蛇)」だが、「蛇の如く」の「如」は「蛇のようでそうではないもの」を表し、虹が蛇でないことを意味している。
しかしこの文の曲者なのが「乃」である。
「乃」を動詞を否定していると思ったが、「見」を否定しても「虹の見えないこと蛇の如く」となり、しっくりこない。
「割きて観れば腹の中に物有りて水の如し。水の中に石有り」とあるが、「石」は「水」の中にあるのであって、「水の如」き物の中にあるのではない。しかし「割きて観れば」は「割而観之」で、「観てない」のである。
「枳莒喩、斯に由りて、子の罪を雪むること得たり」とあるが、「斯」を「これ」と読むパターンは今のところ他に見当たらない。それはともかく、皇女を犯す罪を働いたのは「子」ではなく、枳莒喩の「御子」の武彦である。もっとも讒言した阿閉臣国見は「曰」で言っていないことになっている。
雄略が皇女を問い詰めた時、皇女は「妾は識らず」と言っているが、実は「言」は否定である。このことはその内やるとしよう。
更に栲幡皇女という名前は一度しか登場せず、後は「皇女」と呼ばれている。この「皇女」が栲幡皇女である保証はない。
以上から、次のように推論できる。
まず「皇女」は、栲幡皇女でないように見えて実は栲幡皇女本人である。
虹が蛇のように見えたという文を「乃」を使って更に混乱させているのは、栲幡皇女が実は「蛇」だからである。つまり雄略の「御子」である皇女は蛇ではない。
「皇女」の腹の中に水のような物があり、水の中に石があるのは、雄略の「御子」たる皇女の腹の中には「水」と「石」があるからである。だから栲幡皇女の腹の中にあるのは「水の如」き物であって「石」はない。
「子の罪を雪むること得たり」とあって、枳莒喩の「御子」の武彦のことでないのは、武彦による雄略の「御子」たる皇女の姦淫が歴史的事実だからである。そしてそれはおそらく罪ではなかったのであって、だから枳莒喩も武彦を殺せなかった。これは私がヤマトタケル=開化がワカタケルとその娘の近親婚による子供で、ヤマトタケル=が母と近親婚をしたという仮説と合致する。
つまり盧城部連武彦はヤマトタケル=開化である。「皇女」が「妾は識らず」と言わないのは、「皇女」=栲幡皇女をヤマトタケル=開化と近親婚をした母にするためである。そして母子婚により生まれたのが「石」である。
それでは栲幡皇女とは何者か?
次回、雄略二年を見ていくことにしよう。

メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。