「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(91)~「神生み」後の伊邪那美命は全く違う属性の人物

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古事記』の神生み神話から。

次に水戸神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生みき。(次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比売神大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神。

 

ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+

を書いた頃とは大部考えが変わっている。
「速」が否定だという考えは今はほとんど持っていない。「別」も何らかの意味があるが、単純に否定とは言い難いと思っている。ただ「別」の結論はまだ先にしたい。
速秋津比売神伊邪那岐命伊邪那美命の「御子」ではない。確実に「御子」とみなすには「次~を生み」と一柱ずつかかれなければならない。伊邪那岐命伊邪那美命が生んだ水戸の神は「名」速秋津日子神のみである。しかし「妹」速秋津比売神とあり、配偶者か兄弟姉妹かを示されているので、おそらく「名」速秋津日子神の配偶者なのだろう。
大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神」が秋津比売神の属性を示しているのは確かだが、属性を変えられたのではなく強調されたのである。そしておそらく出雲系ではない。

この速秋津日子・速秋津比売が二の神、河海によりて持ち別けて生みし神の名は、沫那芸神、次に沫那美神、次に頬那芸神次に頬那美神次に天之水分神、次に国之水分神、次に天之久比奢母智神、次に国之久比奢母智神沫那芸神より国之久比奢母智神まで、併せて八神。次に風の神、名は志那都比古神を生み、次に木の神、名は久久能智神を生み、次に山の神、名は大山津見神を生み、次に野の神、名は鹿屋野比売神を生みき。亦の名は野椎神と謂ふ。志那都比古神より野椎まで、併せて四神。

 

「御名」の速秋津日子と速秋津比売がおそらく兄弟姉妹である。「神」があるかどうかは最初のうちは区別の役に立つが実際は「名」や「以音」などの複雑な暗号がその属性を決めていくのであって「神」や「命」は付随的なものである。「日子」が丹波系であるという見解は変わっていないので、この二柱の神は丹波系である。
「速」は最近では、丹波系より出雲系についている場合が多いが、「速」自体に意味はないと見ている。ここまで言ってしまえばはっきり言うが、伊邪那岐命伊邪那美命は出雲系である。少なくともここまでは、
「河海によりて持ち別けて」は「因河海持別而」で、「別」を否定の記号だと思っていた私としては戸惑っている。「持たずに」では意味が通らない。「別」は今まで固有名詞や代名詞についていたが、「持」は動詞で「而」は「~して」なので、今は「別けて」と呼んでいいだろう。その場合、後の神々のおそらく最初の二柱の神がそれぞれ速秋津日子、速秋津比売の「御子」である。しかし「二の神」とあるのに注意しよう。本当は一柱である可能性もある。
また違う見方もある。沫那美から国之久比奢母智神までを抜いて、沫那芸神、風の神、木の神、山の神、野の神をそれぞれが生んだと考えることである。その場合沫那芸神、木の神、野の神が速秋津日子の「御子」で、風の神と山の神が速秋津比売の「御子」である。速秋津比売は「名」速秋津日子神の配偶者なので、このように考えた方が良いかもしれない。
その「沫那芸神、次に沫那美神」は「沫那芸神、那芸二字以音。下效此。次沫那芸神、那美二字以音。下效此。」である。
前回見たように、丹波系だと思っていた「毘」が早い段階でその意味を失っていたのと同様、「那美」の二字がこの時点で意味を失っているのである。もし伊邪那美命が「那美」の二字にしかその属性を意味する字がないなら、この後の伊邪那美命は全くの別人である。しかし沫那芸神は「生みし神の名は(生神名)」で、二重否定で逆に意味が浮き出している。つまり速秋津日子と沫那芸神に関連があるということである。
国之水分神までは特に重要なものはないが、天之久比奢母智神は「天之久比奢母智神自久以下五字以音。下效此。」となっている。「天」には「アマ」と「アメ」の二つの読みがあり、「アメ」が丹波系だから国之久比奢母智神が「国」が否定されて、二柱とも出雲系の可能性が高いと考えられる。
「次に風の神、名は志那都比古神を生み(次生風神、名志那都比古神此神名以音。)」、「次に木の神、名は久久能智神を生み(次生木神、名久久能智神此神名以音。)」とこの二柱の神は二重否定で御名となる。
「次に山の神、名は大山津見神を生み」は「次生山神、名大山(上)津見神」で大津山見神とでもなるのだろうか。「野の神」は鹿屋野比売神は「名」で、野椎神が「御名」である。
次を見てみよう。

この大山津見神・野椎神の二の神、山野によりて持ち別けて生みし神の名は、天之狭土神、次に国之狭土神。次に天之狭霧神、次に国之狭霧神、次に天之闇戸神、次に国之闇戸神、次に大戸惑子神、次に大戸惑女神天之狭土神より大戸惑女神まで併せて八神。。

 

この大山津見神は、大山(上)津見神とは違う。
「持ち別けて」神を生んだのなら、天之狭土神大山津見神の「御子」で、国之狭土神が野椎神の「御子」でなければならないはずである。しかしそうなると、丹波系の野椎神から国つ神でない神から生まれたことになる。そうすると大山津見神一柱が天之狭土神のみを生んだと考えるべきだろうか?
この後も続きがある。次回、この続きを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(90)~十柱の神の正体

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最初に訂正。
前回、『書紀』の異伝第四と書いたが、異伝第六の誤りである。
それでは『書紀』異伝第六を見てみよう。

伊弉諾尊、既に還りて、乃ち追ひて悔いて曰はく、「吾前に不須也凶目(いなしこめ)き汚穢(きたな)き処に到る。故、吾が身の濁穢(けがらわしきもの)を滌ひ去(う)てむ」とのたまひて、則ち往きて筑紫の日向の小戸の橘の檍原(あはきはら)に至りまして、祓(みそ)ぎ除(はら)へたまふ。遂に身の所汚(きたなきもの)を盪滌ぎたまはむとして、乃ち興言(ことあげ)して曰はく、「上瀨は是太(はなは)だ疾(はや)し。下瀨は是太だ弱し」とのたまひて便(すなわ)ち中瀨に濯ぎたまふ。因りて生める神を、号けて八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と曰す。次に其の枉れるを矯(なほ)さむとして生める神を、号けて神直日神と曰す。次に大直日神。又海の底に沈き濯ぐ。因りて生める神を、号けて底津少童命(そこつわたつみのみこと)と曰す。次に底筒男命。又潮の中に潛き濯ぐ。因りて生める神を、中津少童命と曰す。次に中筒男命又潮の上に浮き濯ぐ。因りて生める神を、号けて表津少童命と曰す。次に表筒男命。凡て九の神有す。其の底筒男命中筒男命表筒男命は、是即ち住吉大神なり。底津少童命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所祭る神なり。

 

『書紀』異伝第六の物語は、『古事記』に非常に良く似ている。しかしこの伊弉諾尊が誰なのかはわかっていない。
それでは見ていこう。『書紀』の異伝は「一書に曰はく」で始まるので、その後の文章の動詞は全て否定される。
伊弉諾尊、既に還りて(伊弉諾尊既還)」は「伊弉諾尊は既に帰っていない」である。「乃ち追ひて悔いて曰はく」は「乃追悔之曰」で、「追ひて悔いて」いないし「云って」いないである。
「吾前に不須也凶目き汚穢き処に到る」は「吾前到
於不須也凶目汚穢之処」で「『須』でない凶目で汚穢でない処に到る」となる。

ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

と見比べてみよう。
須佐之男命は「八拳須」が生えるまで啼き続けたが、速須佐之男命は伊邪那「伎」命とは違う属性であり、伊邪那「伎」命の「御子」は「須佐」だとわかっている。
しかし「八拳須」により、速須佐之男命に「須」がついても問題がなく、「佐」だけが伊邪那「伎」命の「御子」の属性を表すとわかる。
「『須』でない凶目」は「須佐」でないことを表さないが、伊弉諾尊はそう「云って」いないのである。
「故、吾が身の濁穢を滌ひ去てむ」は「故当滌
去吾身之濁穢」で、「我が身でない」濁穢を
洗うと「云って」いない。伊弉諾尊は読む者をミスリードしようとしながら、それを「云わない」ことでその正体を隠している。
筑紫日向の小戸の橘の檍原は「筑紫日向小戸橘之檍原」で、「橘小戸之」となる『古事記』と比べて明確に「橘」が否定されているが、そこに行っていない。
「遂に身の所汚を盪滌ぎたまはむとして」は「遂将滌身之所汚」で、「身」は「御身」でないので二重否定だが、「所汚」で「汚れていない所」となる。
「乃ち興言して曰はく(乃興言曰)」で「乃」「言」「曰」で四重否定となる。
「便ち中瀨に濯ぎたまふ」は「便濯之中瀨也」で、「濯ぐ」が肯定されている。しかしなぜ「滌」の字を使わないのかという疑問が生じる。
「因りて生める神」は全て「因以生神」である。つまり全て伊弉諾尊より生まれていない。それは生八十枉津日神、神直日神、底津少童命、中津少童命、表津少童命の五柱である。
「其の底筒男命中筒男命表筒男命は、是即ち住吉大神なり」は、住吉神が底筒男、中筒男、上筒男であることを考えれば「其」がついている底筒男命と、表筒男命は正しい。しかし中筒男命も住吉神でないとするのは問題がある。
実は「中」という字は重要な字で、おそらくヤマトタケル=開化を表していると思っているのだが、「便ち中瀨に濯ぎたまふ」で伊弉諾尊が「中」であることを肯定してしまっている。「一書曰」で始まる異伝は間違えて記載することも可能なので、「中」の字を『書紀』が奪った、または譲り渡したと考えられる。
「底津少童命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所祭る神なり(底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣)」で阿曇連の神であるのは否定している。

以上から、伊弉諾尊は伊邪那「伎」命とは違う人物であることがわかる。
古事記』の「右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり」は「右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十柱神者、因御身、所生者也」で、禊によらない者である。しかも神ではない。

然して後に、左。眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて天照大神と曰す。復右の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を月読尊と曰す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神を素戔嗚尊と曰す。

 

神でない点に注目すれば、『古事記』の表記で伊豆能売、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、速須佐之男命、『書紀』の表記で底津少童命、中津少童命、表津少童命、月読尊、素戔嗚尊の十柱と考えられる。

次回、『古事記』の神生み神話に戻ろう。
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ヤマトタケルは開化天皇である(89)~二人のイザナギのすり替え

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伊邪那「伎」大神の禊の天照大御神の生まれる前、辺津甲斐弁羅神より後。

ここに詔りたまはく、「上つ瀨は瀨速し、下つ瀨は瀨弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀨に堕ちかづきて滌きたまふ時、成りし神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神。この二神は、その穢らはしき国に到りし時、汗垢(けがれ)によりて成りし神なり。次にその禍を直さむとして成りし神の名は、神直毘神、次に大直毘神。次に伊豆能売。併せて三神なり。次に水底に滌きたまふ時成りし神の名は、底津綿津見神、次に底筒之男命。中に滌きたまふ時成りし神の名は、中津綿津見神、次に中筒之男命。水の上に滌きたまふ時成りし神の名は、上津綿津見神、次に上筒之男命。
この三柱の綿津見神は、阿曇連等が祖神ともちいつく神なり。故、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)の子孫なり。その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり。

 

「ここに詔りたまはく」は於レ是詔之」で、『古事記』は二重否定で読ませようとしているが、今まで述べたように「詔」は意味のない字として読むことにする。「に堕ちかづきて」は「堕迦豆伎而」である。
「成りし神の名は」は全て「所成神名」だが、八十禍津日神だけは「所成坐神名」である。「坐」に何の意味があるのかは今のところわからない。
「その穢らはしき国に到りし時」は「所
其穢繁国之時」で三重の否定である。
神直毘神は「神直毘神毘字以音。下效此」で伊豆能売は「伊豆能売併三神也。伊以下四字以音」である。
底津綿津見神中津綿津見神上津綿津見神はそれぞれ「底津綿(上)津見神」「中津綿(上)津見神」「上津綿(上)津見神」となり、「綿」と「津」が逆となり「津」が連続して「底」「中」「上」が肯定される。
「この三柱の綿津見神は、阿曇連等が祖神ともちいつく神なり」は「此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。伊以下三字以音。下效此」で、「等」と「之」で二重否定となるが「祖神」に「御」がつかないため、「綿津見神」は阿曇連の先祖とはならない。「伊都久」が「以音」となるため、「都」はともかく「久」は伊邪那「伎」大神に縁のある字である可能性が高い。
「故、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金析命の子孫なり」は「阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金析命之子孫也。
宇都志三字以音」で、阿曇連が「綿津見神」の先祖であることは否定されているが、宇都志日金析命「之子孫」をどう読むかが問題である。「子孫」と二字熟語で読んで否定の意味に捉えるか「子」と「孫」と読んで三重否定と捉えるかである。今のところ伊邪那「伎」大神とその「御子」に「日」との関連はないので、三重否定と捉えるのが妥当だと思う。
「その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり」は「其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命者、墨江之三前大神也」で確かにこの三柱の神は住吉神ではない。
しかし「其」に注目しよう。「其」は底筒之男命にしかかかっていないと見るべきだが、二重否定でこの三柱の神を住吉神としようという意図がある。
仲哀天皇の条で底筒男、中筒男、上筒男が登場するが、この三柱の神が住吉神だとは書かれていない。『古事記』はここで、住吉神のすり替えを謀っている。

次に前回の続きを見てみよう。

故、伊邪那伎大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何の由にか、汝は事依さしし国を治らさずて、哭きいさちる」とのりたまひき。ここに答へて白さく、「僕は妣の国根の堅州国に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをしき。ここに伊邪那岐大御神、大く忿怒(いか)りて詔りたまはく、「然らば汝はこの国に住むべからず」とのりたまひて、すなはち神やらひにやらひたまひき。故、その伊邪那岐大御神は、淡海(あふみ)の多賀に坐すなり。

 

なんと伊邪那「伎」命は伊邪那「伎」大御神となっている。天照大御神に御頸珠を与えた影響のようである。
「哭きいさちる」は「哭伊佐知流」となる。

ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

と比較してみよう。「佐」も「知」も伊邪那「伎」大御神に縁のある字だが、否定と捉えると「佐」と「知」が縁のない字になったように見えてしまう。
「根の堅州国」は「根之堅州国」で、速須佐之男命は「根」と縁がないと理解しておけばよいだろう。
そして次は伊邪那「岐」大御神が登場し、「大く忿怒りて」速須佐之男命を「すなはち神やらひにやらひたまひき(乃神夜良比爾夜良比賜也自夜以下七字以音)」となる。「夜良比爾夜良比」は二重否定になるが、「爾」に注目しよう。
「爾」は「ここに」という文章の頭によく使われる字だが、伊邪那「伎」大神の文章に使われた例はない。「爾」は伊邪那「岐」命の系統に使われる字と考えられる。
こうして、伊邪那「岐」命は伊邪那「岐」大御神となった。いや、天照大御神の配偶者となったと見るべきかもしれない。つまり天照大御神は、伊邪那「伎」大御神の配偶者だったのかもしれないのである。
最後に「故、その伊邪那岐大御神は、淡海の多賀に坐すなり(故、其伊邪那岐大御神者、坐淡海之多賀也)」で「淡海」でない多賀に伊邪那「岐」大御神「でない」者がいるということだが、「淡海」が琵琶湖か淡路島近海かについては学会で議論になっているところである。
つまり伊邪那「岐」大御神が滋賀県多賀大社と淡路島の伊弉諾神宮のどちらに祀られているかという議論だが、これはそのうちやるとしよう。

ところで、今回やると云った「右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり」だが、『書紀』の伊弉諾尊の禊が書かれている異伝第四を見なければ解けないことに気づいたので、次回、『書紀』の異伝第四を見るとしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」

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伊邪那「伎」大神が竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で天照大御神月読命建速須佐之男命の「三貴子」を生む場面。

ここに左の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、天照大御神、次に右の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、月読命、次に御鼻を洗ひたまふ時成りし神の名は、建速須佐之男命
右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり。
この時、伊邪那伎命大(いた)く歓喜(よろこ)びて詔りたまはく、「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に三の貴き子を得たり」とのりたまひて、即ちその御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして、天照大御神に賜ひて詔りたまはく、「汝命は高天原を知らせ」と事依さして賜ひき。故、その御頸珠の名を御倉板拳之神(みくらたなのかみ)と謂ふ。次に月読命に詔りたまはく、「汝命は夜の食国(おすくに)を知らせ」と事依さしき。次に建速須佐之男命に詔りたまはく、「汝命は海原を知らせ」と事依さしき。

 

三貴子が生まれる場面は全て「所レ成神名」で、間違いなく伊邪那「伎」大神が「生んで」いる。そして建速須佐之男命は「建速須佐之男命。須佐二字以音」とあり、伊邪那「伎」大神が生んだ建速須佐之男命は「須佐」である。
「 右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり」は次回に回そう。
「この時、伊邪那伎命大く歓喜びて詔りたまはく」は「此時伊邪那伎命、大歓喜詔」だが、なぜ伊邪那「伎」命は「云っていない」のだろう。私は今のところは、「子」でなく「御子」だからではないかと考えている。それよりも伊邪那「伎」大神から伊邪那「伎」命となっているのはなぜか?伊邪那「伎」大神が格下げされた感があるが、これもまたのちに回そう。
「即ちその御頸珠の玉の緒もゆらに取りゆらかして」は「即其御頸珠之玉緒母由良邇此四字以音。下效此。取由良迦志而」で「由」と「良」は伊邪那「伎」命に無縁のものではなく、「母」が伊邪那「伎」命にとって無縁である。これで伊邪那「伎」命と「其妹」伊邪那美命のつながりが見えてきた。
それよりも重要なのは、伊邪那「伎」命が「迦」であることである。今まで私は丹波系を表す字として述べてきたが、確定的な証拠がある訳ではない。しかし丹波系であろうがなかろうが、伊邪那「伎」命は「迦」なのである。
次が問題である。「天照大御神に賜ひて詔りたまはく、『汝命は高天原を知らせ』と事依さして賜ひき」は「賜天照大御神而詔之、汝命者、所高天原矣、事依而賜也」である。「詔」を否定と捉えると、「高天原を治めるな」と伊邪那「伎」命が「云った」ことになる。
確かに私は、天照大御神高天原に居たと確定的に書かれた文章をまだ見つけていない。
「~を知らせ」と伊邪那「伎」命が云うところは全て「所知~」で、『古事記』では月読命はこの後登場せず、「速」須佐之男命が海原を治めなかったのを我々は知っている。しかし月読命建速須佐之男命に対しては「詔」で「云って」いない。
「故、その御頸珠の名を御倉板拳之神と謂ふ」は「故、其御頸珠名、謂御倉板拳之神訓板拳云多那」で、夜の食国は「夜之食国」で、月読命は「夜の支配者」ではない。

続きを見てみよう。

故。各依さしたまひし命のまにまに知らしめす中に、速須佐之男命、命(よ)さしし国を治らさずて、八拳須(ひげ)心(むな)前に至るまで啼きいさちき。その泣く状(さま)は、青山は枯山如す泣き枯らし、河海は悉に泣き乾しき。ここをもちて悪しき神の音なひ、さ蠅如す皆満ち、万の物の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。

 

「須」で「ひげ」、「心」で「むな」である。
「各依さしたまひし命のまにまに知らしめす中に」は「各隨依賜之命、所知看之中」で「依さしたまひ」てないし、「知らしめて」いるようでも「知看」を「知らしめる」と読むべきかどうかは疑問である。
「命さしし国を治らさずて」は「不命之国而」で「命令、委任された国を治めずに」となるが、「知らす」と「治らす」は同じ意味なのに「不知」とする訳にはいかないのだろうか?
「啼きいさちき」は「啼伊佐知伎。自伊下四字以音。下效此」で「須佐」ではない速須佐之男命が「伎」でなく、「知」でもないのがこれでわかる。
「その泣く状は(其泣状者)」以降により、速須佐之男命には「泣」という字が使えないのではないかと推測できる。
「ここをもちて悪しき神の音なひ、さ蠅如す皆満ち、万の物の妖悉に発りき」は「是以悪神之音、如狹蠅皆満、万物之妖悉発」
で、速須佐之男命「でない」者が「悪しき神」でなく「万の物」でない。しかし「さ蠅如す」はどちらだろう?

次回、「三貴子」が生まれる前のくだりを見てから、この続きを見てみよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(87)~出自不明の伊邪那「伎」大神

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古事記』の伊邪那「伎」大神の禊の場面。

ここを以ちて伊邪那伎大神詔りたまはく、「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ」とのりたまひて、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊ぎ祓へたまひき。
かれ、投げ棄つる御杖に成りし神の名は、衝立船戸神、次に投げ棄つる御帯に成りし神の名は、道之長乳歯神。次に投げ棄つる御嚢に成りし神の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成りし神の名は、和豆良比能宇斯能神。次に投げ棄つる御褌に成りし神の名は、道俣神。次に投げ棄つる御冠に成りし神の名は、飽咋之宇斯能神。次に投げ棄つる左の御手の手纒に成りし神の名は、奥疎神、次に奥津那芸佐毘古神。次に奥津甲斐弁羅神。次に投げ棄つる右の御手の手纒に成りし神の名は、辺疎神。次に辺津那芸佐毘古神次に辺津甲斐弁羅神
右の件の船戸神より以下、辺津甲斐弁羅神より以前の十二神は、身に著(つ)けたる物を脱くによりて生(な)りし神なり。

 

「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり」は「吾者到二伊那志許米(上)志許米岐此九字以音。穢国一而在祁理。此二字以音。」である。この文には二重の仕掛けがある。
「志許米(上)志許米」と(上)があることで「志許志米許米(しこしまこめ)」となる。これで伊邪那「伎」大神は黄泉国とは無関係となる。
しかしそれならば「志」と「許」がある。

ヤマトタケルは開化天皇である(86)~伊邪那岐命の後ろから来る者の正体 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように「予母都志許売」と関係があるならば、「詔」を前回述べたように単独で「云う」を意味しないと解釈するのでなく否定の意味と捉えるとその後の「岐」も二重否定で肯定されてしまう。「岐」と「伎」は無関係のはずである。
このように考えてしまうのは、「云って」いないのに(上)で「志許米志許米」の文字順を乱しているからである。文字順を乱す必要がないのにそれをすることで、「岐」と「伎」が関係あるという解釈にミスリードされてしまう。
黄泉国の「予母都志許売」は「以音」である。だから「志」と「許」が「以音」である以上「予母都志許売」、つまり「其妹」伊邪那美命と関係があると考えられる。しかし「云って」いないのだから伊邪那「伎」大神と「其妹」伊邪那美命の関係は証明されていない。
「岐」も同様。「以音」で関係が否定されているが「云って」いないために関係の有無が証明されない。「在祁理此二字以音」も同様。伊邪那「伎」大神はその属性が辿りにくい。

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は「竺紫日向之橘小門之阿波岐
此三字以音。
原」で「竺紫日向」もしくは「日向」、「橘小門」もしくは「小門」、「阿波岐」が否定されている。
衝立船戸神から辺津甲斐弁羅神まで、「成りし神の名は」は全て「所成神名」であるので二重否定である。つまり神の名前は全て「御名」である。
道之長乳歯神で「道」が否定されている。しかし道俣神には否定の字がない。つまり「俣」は否定の意味の字だということである。和豆良比能宇斯能神は「和豆良比能宇斯能神此神名以音。」、飽咋之宇斯能神は「飽咋之宇斯能神自宇以下三字以音。」である。
どちらも「宇斯能」が「以音」となっているがどういうことだろう?「能」は「之」が否定であるのに対して肯定の意味の「の」である。ということは「以音」で意味を無くした「宇」と「斯」が意味のある字になるということかもしれない。
奥疎神以下だが、奥津那芸佐毘古神は「奥津那芸佐毘古神自那以下五字以音。下效此。」、奥津甲斐弁羅神は「奥津甲斐弁羅神自甲以下四字以音。下效此。」である。
奥疎神奥津那芸佐毘古神、奥津甲斐弁羅神は共通していない可能性があることを指摘しておく。「津」は「奥」の否定で、奥疎神の「疎」が否定の意味を持たない限り同類と見做すことはできない。奥疎神には「奥疎神訓奥云於伎。下效此。訓疎云奢加留。下效此。」としか書かれていない。
「右の件の船戸神より以下、辺津甲斐弁羅神より以前の十二神は、身に著(つ)けたる物を脱くによりて生(な)りし神なり」は「右件船戸神以下、辺津甲斐弁羅神以前、十二神者、因身之物生神也」である。「身之物」で「御身」を表すが、そこから「所生」で生まれていないのである。現時点では奥疎神奥津那芸佐毘古神、奥津甲斐弁羅神は別の属性を持つと考えるべきである。辺疎神辺津那芸佐毘古神辺津甲斐弁羅神も同様である。

ここまで長くなってしまった。
次回、禊の場面を大幅にカットして、天照大御神月読命建速須佐之男命の誕生を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(86)~伊邪那岐命の後ろから来る者の正体

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前回の前の部分、伊邪那岐命が逃げるところを見ていこう。

ここに伊邪那岐命見畏みて逃げ還ります時、その妹伊邪那美命、「吾に辱(はぢ)見せつ」と言ひて、即ち黄泉醜女を遣はして追はしめきここに伊邪那岐命、黒御縵(くろみかづら)を取りて投げ棄つれば、すなはち蒲子(えびかづらのみ)生りき。こを摭(ひろ)ひ食む間に逃げ行く。なほ追ひしかばまたその右の御みづらに刺せる湯津津間櫛を引き闕きて投げ棄つれば、すなはち笋(たかむな)生りき。こを抜き食む間に逃げ行きき。
また後にはその八の雷神に千五百の黄泉軍を副へて追はしめき。ここに佩かせる十拳剣を抜きて、後手に振きつつ逃げ来るを、なほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に到りし時、その坂本なる桃子三箇を取りて待ち撃ちしかば、悉(ことごと)に逃げ返りき。ここに伊邪那岐命、その桃子に告りたまはく、「汝、吾を助けしが如く、葦原中国にあらゆる現(うつ)しき青人草の苦しき瀬に落ちて患(うれ)ひ惚(なや)む時に助くべし」と告りたまひて、名を賜ひて意富加牟豆美命と号(い)ひき。

 

「見畏みて逃げ還ります時」は「見畏而逃還之時」で恐れても逃げてもいない。
「その妹伊邪那美命、『吾に辱見せつ』と言ひて」は、
前回

ヤマトタケルは開化天皇である(85)~黄泉国で伊邪那岐命は片想いする。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように「其妹」伊邪那岐命は見られていないのだから「云っていない」のは当然である。
黄泉醜女」は「予母都志許売此六字以音」である。「黒御縵」は蔓草などを輪にして頭髪にまとって呪物としたものである。「すなはち蒲子生りき」は「乃生蒲子」、「すなはち笋生りき」も同じく「乃生笋」である。「こを摭ひ食む間に」「こを抜き食む間に」もそれぞれ「是摭食之間」「是抜食之間」だが、この二文はどちらも主語は伊邪那岐命である。伊邪那岐命の所有物から「蒲子」も「笋」も生まれなければ、伊邪那岐命がそれを食べることもない。
そして「その右の御みづらに刺せる湯津津間櫛」は「其右御美豆良之湯津津間櫛」で二重否定である。「湯津津間櫛」は左にあってはいけないらしい。
「また後にはその八の雷神に千五百の黄泉軍を副へて」は「且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍」である。伊邪那岐命の後ろから来る者には雷神の属性が無く、また「千五百」ではない。
「後手に振きつつ」は「於後手布伎都都此四字以音」で伊邪那伎命でないから当然といえるが、これは伊邪那岐命だろうか?むしろ伊邪那岐命の後ろから来る者のことを指すとも読める。
「黄泉比良坂の坂本に到りし時」は「到黄泉比良此二字以音坂之坂本時」「黄泉」と「坂」が否定され、「比良」が二重否定となる。
「その坂本なる桃子三箇を取りて」は「取其坂本桃子三箇」で「桃子」は「坂本」でないところにある。そして伊邪那岐命は「その桃子」に「意富加牟豆美命」と名付けるが、「名を賜ひて意富加牟豆美命と号ひき」は「賜名号意富加牟豆美命一自レ至美以音」とあり、「意富加牟豆美」は「御名」である。しかし「御名」を与えられたのは「其桃子」であり「桃子」ではない。
いや、二重否定と見るならば「桃」に「御名」を与えたことになり、伊邪那岐命は「桃」と関係がある。

前回「其妹」伊邪那美命が「あなたの夫」と呼び掛けたのは伊邪那岐命でなく、伊邪那岐命の後ろから来た者である。
この「後ろから来た者」は雷神の属性が無く、「千五百」でない。しかし「現しき青人草(宇都志伎
此四字以音青人草之)」と云ったように、「伎」でないという共通項がある。これが前回述べた「仕掛け」である。
「ここに伊邪那岐命詔りたまひしく」とあるが、「詔」という字には常に「云」「言」「謂」などの「いう」を意味する動詞がついている。つまり「詔」という字だけでは動詞として意味をなさないと考えることができる。だから「愛しき我が妹の命」と「詔」しても「云った」ことにならない。
つまり伊邪那岐命にとっては、黄泉国は無縁の場所である。だから出ていくのも自由であり、故に閉じ込められなかったのである。
ならば「後ろから来た者」はだれだろうか?
私はこれも「イザナギ」だと考えている。「あなたの夫」と「其桃」伊邪那美命に云われても、本来の関係は伊邪那岐命より近い人物である。しかし少なくとも『古事記』では、この人物に名前はない。

次回、伊邪那「伎」命が日向の橘の小門の阿波岐原で禊をする場面を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(85)~黄泉国で伊邪那岐命は片想いする。

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古事記』の前回の続き。

かく白しつその殿の内に還り入りし間、いと久しくして待ちかねたまひき。故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火燭(とも)して入り見ます時、うじたかれころろきて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には析雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、併せて八の雷神成り居りき。

 

「その殿の内に還り入りし間」は「還入其殿内之間」で二重否定で「其妹」伊邪那美命は「殿」の中に入っている。
「故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて」は「刺左之御美豆良三字以音、下效此。湯津津間櫛之男柱一箇取闕而」でなぜか「左」ではいけないらしく、「美豆良」は「以音」である。この場合「みずら」でないと考えた方が良さそうである。そして「湯津津間櫛之男柱」で「櫛」あるいは「湯津津間櫛」でないものから「男柱」を闕き取っている。
「一つ火燭して入り見ます時」は「燭一火入見之時」で「入って見て」いない。
実は、ここまでの主語は「其妹」伊邪那美命である。伊邪那岐命ではない。
「うじたかれころろきて」は「宇士多加礼許呂呂岐弖此十字以音」で「岐」が否定され、「其妹」伊邪那美命伊邪那岐命と同じ属性にないことがわかる。「美豆良」が以音なのは女性だからで、「入って見て」いないのは既に殿の内にいるからである。
そして「頭には大雷居り(於頭者大雷居)」と八つの雷神が現れたことで、「其妹」伊邪那美命には雷神の属性がある。

ここで伊邪那岐命と「其妹」伊邪那美命のおいかけっこを飛ばして、二人が「事戸を渡す」、つまり離婚する場面を見てみよう。

最後にその妹伊邪那美命、身自ら追ひ来たりき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、各対ひ立ちて、事戸を渡す時、伊邪那美命言ひしく、「愛しき我が汝夫の命、かく為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」といひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここをもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。故、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。

 

伊邪那岐命は「愛しき我が汝妹の命」と云ったが、前回見たように「那邇」は「以音」なので「愛しき我が妹の命」と云ったことになる。
これでは話が違うではないか、と思うだろうが、これでいいのである。
「ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて」は「爾千引石引塞其黄泉比良坂」で、「其」黄泉比良坂に千引の石を「其妹」伊邪那美命が置いたのである。これで伊邪那岐命は、黄泉国から出られなくなった。
そして「その石を中に置きて(其石置中)」向かい合った。この石は千引の石とは別の石である。
「事戸を渡す時」は「度事戸之時」で二人は離婚していない。
それなのに「其妹」伊邪那美命は「伊邪那美命言ひしく、『愛しき我が汝夫の命』(伊邪那美命言、愛我那勢命)」と「あなたの夫」というのである。黄泉の国では、伊邪那岐命の片想いとなる。
「その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ(号伊邪那美命黄泉津大神)」の伊邪那美命が「其妹」伊邪那美命でないのは明らかである。
実は「津」は否定の字で、「大神」は否定されるが「黄泉」は肯定される。
先に「『湯津津間櫛之男柱』で『櫛』あるいは『湯津津間櫛』でないもの」と書いたのはこのためで、「湯津津間」とは「湯」を二重否定で肯定しているのである。
話を戻せば、「其伊邪那美命」で「其妹」でない伊邪那美命を「黄泉」と「号けた」のは、「其妹」伊邪那美命が「黄泉大神」だからで、そのことを隠すためと考えることができる。
しかし「其」黄泉比良坂では黄泉比良坂に石が寘かれていないことになり、伊邪那岐命はいつでもそこから出られるのではないかと思うだろう。
これには仕掛けがある。次回、この前の伊邪那岐命伊邪那美命のおいかけっこを見てから、この続きを見てみよう。

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