「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

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ヤマトタケルは開化天皇である(94)~伊邪那「岐」命は「木の神」の父ではない

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前回の続き。

火神軻遇突智が生るるに至りて、其の母伊奘冉尊、焦かれて化去りましぬ。時に、伊奘諾尊、恨みて曰はく、「唯、一児を以て、我が愛しき妹に替へつるかな」とのたまひて、則ち頭辺に匍匐ひ、脚辺に匍匐ひて、哭き泣ち流涕びたまふ。其の涙堕ちて神と為る。是即ち畝丘の樹下に所居す神なり。啼沢女命と号す。遂に所帯(はか)せる十握剣を抜きて、軻遇突智を斬りて三段に為す。

 

「火神軻遇突智が生るるに至りて」は「至火神軻遇突智之生成」で「軻遇突智でない神が生まれない」で軻遇突智が生まれたこと読ませたいらしい。
「其の母伊奘冉尊、焦かれて化去りましぬ」は「其母伊奘冉尊、見焦化去」となり一見そのままのようだが、「見焦」をどう読めばいいのかわからない。また「化去」は前回神に為ることを示す何かがあると述べたが、『古事記』での「かむさる」は「神避」と書く。「避」と「去」を同じと見ていいかどうか、今の時点では判断がつかない。
「伊奘諾尊、恨みて曰はく」は「伊奘諾尊恨之曰」で「恨まないで言った」となる。伊奘冉尊は軻遇突智の母ではないから恨みはないだろう。
その内容は「唯、一児を以て、我が愛しき妹に替へつるかな(唯以
一児、替我愛之妹者
乎)」で、「児」は『古事記』の「御子」と同じだと私は思っている。「一児を以て愛してない妹と替えない」で「愛する妹と替えた」と読ませたいようである。
ここで『古事記』の同じ場面を見てみよう。

かれここに、伊邪那岐命詔りたまはく、「愛しき我が汝の命を、子の一つ木に易へむと謂へや」とのりたまひて、すなわち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時に、御涙に成りし神は、香山の畝尾の木の本に坐す。名は泣沢女神。かれ、その神避りましし伊邪那美神は、出雲国と伯伎国の境の比婆の山に葬りまつりき。
ここに伊邪那岐命、佩かせる十拳剣を抜きて、その子迦具土神の頸を斬りたまひき。

 

「かれここに、伊邪那岐命詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へむと謂へや」とのりたまひて」は「故爾伊邪那岐命詔之、愛我那邇妹命乎、那邇二字以音、下效此。子之一木」となる。
「詔之」とあると「詔」に「云う」の意味があるのかと思うが、
「詔」に意味はないので「之」があっても否定にならないと考えるべきだろう。
注目すべきは「一木」である。「木」と「愛我那邇妹命那邇二字以音」を替えたと「云って」いないのである。「一木」は従来一柱の意味とされてきたが、木の神久久能智神と解釈すべきだろう。その木の神と伊邪那岐命の「妹」を引き換えにしていない。

ヤマトタケルは開化天皇である(91)~「神生み」後の伊邪那美命は全く違う属性の人物 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように、木の神久久能智神は速秋津日子の「御子」である。ここに「火神」=「木の神」の構図が成立し、少なくともこの構図を前提として話が進んでいる。そして伊邪那岐命=速秋津日子ではない。
先の『書記』の一文に戻ろう。「愛する妹と替えた」と読んでしまうと、『古事記』の「替えたと云っていない」という解釈と一致しない。つまり「~でない~を~しない」という『書紀』の文法を「~を~した」と読み替えるのは、少なくとも『古事記』と文章が一致しないか、『古事記』に対応する文がない限りはするべきでないとなる。
「智」という字にも注意しよう。久久能智神と火神軻遇突智は「智」で共通している。
ここで訂正。前回「木神を句句廼馳と云わない」と述べたが、「木神でない者を句句廼馳と云わない」と解釈すべきである。「水門の神」と「土の神」も同様である。これを「木神を句句廼馳という」と解釈できないのは先に見たのと同様、「智」と「馳」が共通しないことで証明される。
次に『書紀』を見よう。「則ち頭辺に匍匐ひ、脚辺に匍匐ひて、哭き泣ち流涕びたまふ(則匍匐頭辺、匍
匐脚辺、而哭泣流涕焉)」で頭と脚に「御」がついてないので「頭でない方に腹這わず、脚でない方に腹這わないで哭く」となる。
古事記』は「すなわち御枕方に匍匐ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時に(乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時)」で枕の方に腹這わず、足の方に腹這わないで哭く時に」となり、『書紀』と一致しない。
『書紀』の次の文。「其の涙堕ちて神と為る。是即ち畝丘の樹下に所居す神なり。啼沢女命と号す(其涙堕而為神。是即畝丘樹下所居之神。号啼沢女命矣」で「其」と「涙」で「御涙」と同じになるので、「涙が落ちて神となる。これは畝丘の樹の下にいない神である。啼沢女命と云わない」となる。「樹」の字は重要で、大国主神の神話(と見せた大穴牟遅神の神話)など、いくつかの箇所に出てくる。
「啼」は

ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

にも登場する。伊奘諾尊は「啼」かないのである。
古事記』では「御涙に成りし神は、香山の畝尾の木の本に坐す。名は泣沢女神(於御涙成神、坐香山之畝尾木本、名泣沢女神)」で「涙が落ちて成らない神は、香山でない畝尾の木の下に坐す。泣沢女神という名前でない」となる。涙から生まれず、香山でないのはともかく「樹」の下にはいないが「木」の本にいる。
泣沢女神、啼沢女命は「泣」と「啼」、そして「哭」の区別のためにのみ存在する神だと、『記紀』においてはそう言うしかないだろう。泣沢女神、啼沢女命のどちらも伊邪那岐命、伊奘諾尊に関係はない。
しかし「哭」は共通する。ここは伊邪那岐命と伊奘諾尊が同じに見えるようにする意図があるが、別人とする主張の方がずっと強い。一方速須佐之男命は「啼」と関係がある。速須佐之男命は「知」が使えないことがわかっている。ならば「智」はどうだろう?
『書紀』の文、「遂に所帯(はか)せる十握剣を抜きて、軻遇突智を斬りて三段に為す(遂抜所帯十握剣
、斬軻遇突智三段)」で「帯びていない十握剣を抜かずに軻遇突智を斬らずに三段に成す」となる。斬らないのに三段にするとはどういうことかわからないが今は追求しないでおこう
古事記』は「ここに伊邪那岐命、佩かせる十拳剣を抜きて、その子迦具土神の頸を斬りたまひき(於伊邪那岐命、抜御佩之十拳剣、斬其子迦具土神之頸)」で「佩いている十拳剣で御子迦具土神でない頸を斬った」となり、斬っていない点はとりあえず共通する。

次回は『書紀』の本文の伊奘諾尊がどうなのか見てみよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(93)~伊邪那「伎」大神は海神か?

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『書紀』の神生み神話の異伝六は、その後のくだりが私の見る限り『古事記』の内容に一番よく似ている。さっそく見てみよう。

一書に曰はく、伊奘諾尊と伊奘冉尊と、共に大八洲国を生みたまふ。然して後に、伊奘諾尊の曰はく、「我が生める国、唯朝霧のみ有りて、薫り満てるかな」とのたまひて、乃ち吹き撥(はら)ふ気、神と化為(な)る。号(みな)を級長戸辺命(しなとべのみこと)と曰す。亦は級長津彦命と曰す。是、風神なり。又飢(やは)しかりし時に生めりし児(みこ)を、倉稲魂命と号す。又、生めりし海神等を、少童命と号す。水門神等を速秋津日命と号す。木神等を句句廼馳と号す。土神を埴安神と号す。然して後に、悉(ふつく)に万物を生む。

 

まず「我が生める国」という伊奘諾尊の台詞は「我所生之国」で、伊奘諾尊が生んだ国があるのは間違いない。しかし「共に大八洲国を生みたまふ(共生大八洲)」とあり、「一書曰」と合わせて否定になるので、伊奘諾尊が生んだ国は大八洲ではないことになる。
古事記』ではどうなっているだろうか。「故、この八島を先に生みしによりて大八島国と謂ふ(故、因此八島先所一レ生、謂大八島)」で、「八つの島を先に生まないことにより、大八島国と云わない」となる。八つの島は淡道之穂之狭別島(淡路島)、伊予之二名島(四国)、隠伎之三子島(隠岐島)、筑紫島(九州)、伊伎島(壱岐島)、津島(対馬)、佐度島(佐渡島)、大倭豊秋津島(本州)の八つの島である。この後吉備児島、小豆島、大島、女島、知訶島両児島を生んでいる。
このように見ると『古事記』の伊邪那岐命と伊奘諾尊は同じように見えるが、「島」と「洲」の違いに注意しよう。

ヤマトタケルは開化天皇である(73)~「主嶋」はヤマトタケル=開化の出生地 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように、「嶋」の字は使わない訳ではないのである。このシリーズでは『古事記』は講談社学術文庫版では「島」、岩波文庫版では「嶋」を用いているので、「島」と「嶋」は同じ字として扱っている。伊邪那岐命と伊奘諾尊は別人である可能性もある。
「乃ち吹き撥ふ気、神と化為る」は「乃吹撥之気、化為神」で「曰」と「乃」と「之」の三重否定で「吹き払わなかった気」となる。
「化為」に注意しよう。「為」は「~になる」と云いながら実際にはなっていないことを表すが「化為」はどうだろう。「化去」で「かむさり」と読むので、「化」には神でない者を神にする何かがあるのかもしれない。よって「化為」で神になったとこの場では解釈しておこう。
「号を級長戸辺命と曰す。亦は級長津彦命と曰す(号曰級長戸辺命。亦曰級長津彦命)」は「亦名」となっていないのでどちらも「御名」である。しかし級長津彦命は「津」が入っており「級長」が否定されている。一柱の神として矛盾しているように見える。
古事記』に登場するのは風神「名」志那都比古神此神名以音である。「名」が「以音」だから字が意味を持つことになる。
従来は「都」を丹波系でさらに否定の意味を持つと主張してきたが、最近迷いが出ている。理由は「都」を否定と読める例が見つからなくなっているからだが、否定と読めば「志那」と「級長」は共通することになる。
また本当に風神かどうか、「吹き払わなかった気」で神に「化為」っている。「是、風の神なり(是風神也)」は「一書曰」で否定されるので風神でないことになる。
古事記』の風神は「名」志那都比古神なので、志那都比古神は風神ではない。この点も『書紀』と共通しているといえる。
「又飢しかりし時に生めりし児を、倉稲魂命と号す(又飢時生児、号倉稲魂命)」はまだ『古事記』の宇迦御魂神を十分に検討していないので後回しにする。
「又生めりし海神等を、少童命と号す(又生海神等、号少童命」は「生んだ海神は少童命と云わない」である。

ヤマトタケルは開化天皇である(89)~二人のイザナギのすり替え - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように、綿津見神は阿曇連の先祖ではなく、海神とも書いていない。また伊邪那「伎」大神とも無縁である。しかしそうなると伊邪那「伎」大神が綿津見神を生んでいない理由がわからなくなる。
古事記』で初めて海神が登場するのは海幸山幸神話からである。『古事記』には海神の「御祖」が伊邪那「伎」大神だと思わせようとする意図があると考えるべきだろう。『書紀』の「海神を少童命と云わない」というのは『古事記』の意図を看破したように見えるが、ちょっと単純過ぎる。しかし伊奘諾尊が海神を生んだのは間違いないようである。
ひとつ仮説をたてよう。伊邪那「伎」大神が海神だと考えれば『記紀』の間に整合性が生まれる。この仮説をいつ証明できるかはわからないが、今この場でこの説を主張おいてもいいだろう。

次からが注意。「水門神等を速秋津日命と号す(水門神等号速秋津日命)」、「木神等を句句廼馳と号す(木神等号句句廼馳)」、「土神を埴安神と号す(土神等号埴安神)」とある。
それぞれ「水門神を速秋津日命と云わない」、「木神を句句廼馳と云わない」、「土神を埴安神と云わない」となるが、これらの神を伊奘諾尊は生んでいない。いや伊奘冉尊が生んでいないというべきか。

ヤマトタケルは開化天皇である(91)~「神生み」後の伊邪那美命は全く違う属性の人物 - 「人の言うことを聞くべからず」+

によれば、伊邪那岐命伊邪那美命は「名」速秋津日子神を生み、速秋津比売神を生んでいない。そして速秋津比売神は多分出雲系ではなく、速秋津日子と速秋津比売が兄妹である。なお「名」速秋津日子神は水戸神なので、水門神とは違う。
『書紀』の速秋津日命は、「名」速秋津日子命と同一と考えるのがより妥当であり、伊奘諾尊はその「御祖」ではない。ここで伊邪那岐命と伊奘諾尊にずれが生じ、別人だという疑惑が生まれる。

ヤマトタケルは開化天皇である(92)~伊邪那美神はどこに葬られたのか - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、『古事記』の淡那美神から国之久比奢母智神までを抜いて、淡那芸神から野神までをそれぞれ速秋津日子、速秋津比売の順に親子関係を結ばせていった場合、木神は速秋津日子の「御子」になる。
古事記』の久久能智神は「御名」なので、句句廼馳は同じククノチと呼んでも久久能智神とは別の存在である。字に共通性がないということである。しかしそうなると、伊邪那岐命と別人で丹波系の可能性が高い伊奘諾尊が木神を生んでいないというのに不審を感じてくる。「生んだ」と書いていない=生んでいないではない。生んだのにそれを書いていない可能性もある。
土神についてだが、『古事記』では「次に屎に成りし神の名は、波邇夜須毘古神、次に波邇夜須毘売神(次於屎成神名、波邇夜須毘古神。此神名以音。次波邇夜須毘売神。此神名亦以音。)」で、波邇夜須毘古神のみが屎から「成った」神である。そして波邇夜須毘古神は「御名」で波邇夜須毘売神は「名」である。
そして土神とは書いていない。この点『書紀』と共通する。単に屎から生まれただけの波邇夜須毘古神を土神にするための意図だろうか?まだ答えを急ぐべきではないだろう。

次回、この続きを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(92)~伊邪那美神はどこに葬られたのか

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伯耆大山

 

古事記』の神生み神話の続き。

次に生みし神の名は、鳥之石楠船神、亦の名は天鳥船と謂ふ。次に大宜都比売神を生みき。次にに火之夜芸速男神を生みき。亦の名は火之炫毘古神と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ。この子を生みしに因りて、みほと灸かえて病み臥せり。たぐりに成りし神の名は、金山毘古神、次に金山毘売神。次に屎に成りし神の名は、波邇夜須毘古神、次に波邇夜須毘売神。次に尿に成りし神の名は、弥都波能売神、次に和久産巣日神。この神の子は豊宇気毘売神と謂ふ。かれ、伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神避りましき。

 

この分は今まで伊邪那美命が主語だと思われていたので、火之夜芸速男神伊邪那美命が生み、その火に陰部を焼かれて伊邪那美命が死んだと理解されてきた。しかしこの文は「かれ、伊邪那美神は」まで主語が伊邪那美命ではない。前の文の続きで、主語は大山津見神と野椎神である。

ヤマトタケルは開化天皇である(91)~「神生み」後の伊邪那美命は全く違う属性の人物 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、「持ち別けて」二柱の神が「子」または「御子」を生んだ場合、二つの分け方を提示してある。ひとつは「次に~神」とある神も含めて順番に振り分ける方法、もうひとつは「次に~神」というのを除いて「次に~神を生みき」とあるのを取り上げて順番に振り分ける方法である。そして私は後者の分け方が正しいと思っている。
後者の分け方だと、天之狭土神、大宜都比売神大山津見神が生み、天鳥船、火之夜芸速男神を野椎神が生んだことになる。
一方前者の場合は、天之狭土神天之狭霧神天之闇戸神大戸惑子神、天鳥船、火之夜芸速男神大山津見神が生み、国之狭土神国之狭霧神国之闇戸神大戸惑女神、大宜都比売神を野椎神が生んだことになり、問題の文では大山津見神と野椎神の「子」または「御子」が逆転することになる。
前回、沫那芸神、木の神、野の神が速秋津日子の「御子」で、風の神と山の神が速秋津比売の「御子」であると書いた。
しかし先述と同じ前者の方法で、沫那美神以下も含めてみると、沫那芸神、頬那芸神、天之水分神天之久比奢母智神、風の神、山の神を速秋津日子が生み、沫那美神頬那美神国之水分神国之久比奢母智神、木の神、野の神を速秋津比売が生んだことになる。さらにこの見方を進めていくと、天之狭土神天之狭霧神天之闇戸神大戸惑子神、天鳥船、火之夜芸速男神は速秋津日子の「孫」であり、国之狭土神国之狭霧神国之闇戸神大戸惑女神、大宜都比売神が速秋津比売の「孫」となる。
配偶者が出雲系である速秋津比売の「子」または「御子」は出雲系でなければならない。
古事記』はヒントを教えながらも、読む者を罠に誘おうとしている。野椎神は速秋津日子が生み、野椎神が火之夜芸速男神を生んだのを、速秋津比売が野椎神を、そして大山津見神が火之夜芸速男神を生んだことにしようとしている。

しかも真相はさらに奥にあるようである。
この後「かれ、伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神避りましき」とある。
伊邪那美神の「那美」は「以音」である。
「神」となっている点に注目しよう。伊邪那美「神」は神世七代の一代として登場する。

次に成りし神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神。次に角杙神、次に妹活杙神。次に意富斗能地神、次に妹大斗乃弁神、次に於母陀流神、次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神

 

伊邪那岐神伊邪那美神は「次伊邪那岐神、次妹伊邪那美神此二神名亦以音如上。」とある。
省略するが、角杙神活杙神以外は「此二神名以音」と注がある。もっともこの文で、「名」で表されているのは宇比地邇神のみである。つまりほとんど無意味である。
しかし「此二神名亦以音如上(此の二神の名亦音を以てすこと上の如し)」とはどういうことだろうか?
これを「名」ではなく「御名」を「以音」で読ませようということならば、火の神を生んだ伊邪那美神神代七代伊邪那美神と同じとなる。
それはともかく、野椎神が生んだのは火之夜芸速男神で、火の神ではない。「この子を生みしに因りて、みほと灸かえて病み臥せり」の「みほと」は「美蕃登此三字以音」で、陰部が焼かれたことを表さない。
しかも「この子を生みしに因りて(因此子)」である。生んだとしても、それが「御子」だとは限らない。まるで野椎神が生んだのは本当は火の神であったかのようである。

神生み神話は、火の神をだれが生んだかについてしっくりこないことが多い。
ここまでは火の神を野椎神が生んだのが妥当であるように思えるが、そうではなく大山津見神が火の神を生んだように思えるのである。
その理由は、ひとつは「亦の名は火之炫毘古神と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ」という記述にある。火之迦具土については「亦名火之迦具土神迦具二字以音。」とあり、まるで火の神の方には「迦」の字があるかのように思えてくる。そうすると伊邪那「伎」大神と「其妹」伊邪那美命は親子関係にあることになる。
もうひとつは、速秋津比売が生んだのが大山(上)津見神で、その後に大山津見神と書かれるが、どちらも「大山」でないことを意味しているからである。

かれ、その神避りましし伊邪那美神はは出雲国と伯伎国との堺の比婆の山に葬りまつりき(故、其所神避伊邪那美神者、葬出雲国伯伎国堺比婆之山

 

これはどうやら「神避らなかった方の伊邪那美神」と読むのが正しいらしい。この伊邪那美神が、「其妹」伊邪那美命であるように思える。そして「其」伊邪那美神が葬られたのは比婆山ではない。

比婆山久米神社 - Wikipedia

比婆山にあるこの神社の祭神は伊邪那美之尊である。
ならばどこに葬られたかというと、「出雲国と伯伎国の堺」なのは間違いないのである。
この条件を満たし、「神避らなかった」伊邪那美神の埋葬にふさわしい山がある。
お分かりだろう。中国地方の最高峰、伯耆大山のことである。
伯耆大山に葬られたのが「神避らなかった」伊邪那美神、すなわち「其妹」伊邪那美命で、その「御子」が火の神、すなわち伊邪那「伎」大神ではないかというのが私の推測なのだが、ここには論証するだけの材料がない。

論証するためには、地固めが必要である。
そのために次回、『書紀』の神生み神話の異伝六を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(91)~「神生み」後の伊邪那美命は全く違う属性の人物

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古事記』の神生み神話から。

次に水戸神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生みき。(次生水戸神、名速秋津日子神、次妹速秋津比売神大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神。

 

ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+

を書いた頃とは大部考えが変わっている。
「速」が否定だという考えは今はほとんど持っていない。「別」も何らかの意味があるが、単純に否定とは言い難いと思っている。ただ「別」の結論はまだ先にしたい。
速秋津比売神伊邪那岐命伊邪那美命の「御子」ではない。確実に「御子」とみなすには「次~を生み」と一柱ずつかかれなければならない。伊邪那岐命伊邪那美命が生んだ水戸の神は「名」速秋津日子神のみである。しかし「妹」速秋津比売神とあり、配偶者か兄弟姉妹かを示されているので、おそらく「名」速秋津日子神の配偶者なのだろう。
大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神」が秋津比売神の属性を示しているのは確かだが、属性を変えられたのではなく強調されたのである。そしておそらく出雲系ではない。

この速秋津日子・速秋津比売が二の神、河海によりて持ち別けて生みし神の名は、沫那芸神、次に沫那美神、次に頬那芸神次に頬那美神次に天之水分神、次に国之水分神、次に天之久比奢母智神、次に国之久比奢母智神沫那芸神より国之久比奢母智神まで、併せて八神。次に風の神、名は志那都比古神を生み、次に木の神、名は久久能智神を生み、次に山の神、名は大山津見神を生み、次に野の神、名は鹿屋野比売神を生みき。亦の名は野椎神と謂ふ。志那都比古神より野椎まで、併せて四神。

 

「御名」の速秋津日子と速秋津比売がおそらく兄弟姉妹である。「神」があるかどうかは最初のうちは区別の役に立つが実際は「名」や「以音」などの複雑な暗号がその属性を決めていくのであって「神」や「命」は付随的なものである。「日子」が丹波系であるという見解は変わっていないので、この二柱の神は丹波系である。
「速」は最近では、丹波系より出雲系についている場合が多いが、「速」自体に意味はないと見ている。ここまで言ってしまえばはっきり言うが、伊邪那岐命伊邪那美命は出雲系である。少なくともここまでは、
「河海によりて持ち別けて」は「因河海持別而」で、「別」を否定の記号だと思っていた私としては戸惑っている。「持たずに」では意味が通らない。「別」は今まで固有名詞や代名詞についていたが、「持」は動詞で「而」は「~して」なので、今は「別けて」と呼んでいいだろう。その場合、後の神々のおそらく最初の二柱の神がそれぞれ速秋津日子、速秋津比売の「御子」である。しかし「二の神」とあるのに注意しよう。本当は一柱である可能性もある。
また違う見方もある。沫那美から国之久比奢母智神までを抜いて、沫那芸神、風の神、木の神、山の神、野の神をそれぞれが生んだと考えることである。その場合沫那芸神、木の神、野の神が速秋津日子の「御子」で、風の神と山の神が速秋津比売の「御子」である。速秋津比売は「名」速秋津日子神の配偶者なので、このように考えた方が良いかもしれない。
その「沫那芸神、次に沫那美神」は「沫那芸神、那芸二字以音。下效此。次沫那芸神、那美二字以音。下效此。」である。
前回見たように、丹波系だと思っていた「毘」が早い段階でその意味を失っていたのと同様、「那美」の二字がこの時点で意味を失っているのである。もし伊邪那美命が「那美」の二字にしかその属性を意味する字がないなら、この後の伊邪那美命は全くの別人である。しかし沫那芸神は「生みし神の名は(生神名)」で、二重否定で逆に意味が浮き出している。つまり速秋津日子と沫那芸神に関連があるということである。
国之水分神までは特に重要なものはないが、天之久比奢母智神は「天之久比奢母智神自久以下五字以音。下效此。」となっている。「天」には「アマ」と「アメ」の二つの読みがあり、「アメ」が丹波系だから国之久比奢母智神が「国」が否定されて、二柱とも出雲系の可能性が高いと考えられる。
「次に風の神、名は志那都比古神を生み(次生風神、名志那都比古神此神名以音。)」、「次に木の神、名は久久能智神を生み(次生木神、名久久能智神此神名以音。)」とこの二柱の神は二重否定で御名となる。
「次に山の神、名は大山津見神を生み」は「次生山神、名大山(上)津見神」で大津山見神とでもなるのだろうか。「野の神」は鹿屋野比売神は「名」で、野椎神が「御名」である。
次を見てみよう。

この大山津見神・野椎神の二の神、山野によりて持ち別けて生みし神の名は、天之狭土神、次に国之狭土神。次に天之狭霧神、次に国之狭霧神、次に天之闇戸神、次に国之闇戸神、次に大戸惑子神、次に大戸惑女神天之狭土神より大戸惑女神まで併せて八神。。

 

この大山津見神は、大山(上)津見神とは違う。
「持ち別けて」神を生んだのなら、天之狭土神大山津見神の「御子」で、国之狭土神が野椎神の「御子」でなければならないはずである。しかしそうなると、丹波系の野椎神から国つ神でない神から生まれたことになる。そうすると大山津見神一柱が天之狭土神のみを生んだと考えるべきだろうか?
この後も続きがある。次回、この続きを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(90)~十柱の神の正体

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最初に訂正。
前回、『書紀』の異伝第四と書いたが、異伝第六の誤りである。
それでは『書紀』異伝第六を見てみよう。

伊弉諾尊、既に還りて、乃ち追ひて悔いて曰はく、「吾前に不須也凶目(いなしこめ)き汚穢(きたな)き処に到る。故、吾が身の濁穢(けがらわしきもの)を滌ひ去(う)てむ」とのたまひて、則ち往きて筑紫の日向の小戸の橘の檍原(あはきはら)に至りまして、祓(みそ)ぎ除(はら)へたまふ。遂に身の所汚(きたなきもの)を盪滌ぎたまはむとして、乃ち興言(ことあげ)して曰はく、「上瀨は是太(はなは)だ疾(はや)し。下瀨は是太だ弱し」とのたまひて便(すなわ)ち中瀨に濯ぎたまふ。因りて生める神を、号けて八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と曰す。次に其の枉れるを矯(なほ)さむとして生める神を、号けて神直日神と曰す。次に大直日神。又海の底に沈き濯ぐ。因りて生める神を、号けて底津少童命(そこつわたつみのみこと)と曰す。次に底筒男命。又潮の中に潛き濯ぐ。因りて生める神を、中津少童命と曰す。次に中筒男命又潮の上に浮き濯ぐ。因りて生める神を、号けて表津少童命と曰す。次に表筒男命。凡て九の神有す。其の底筒男命中筒男命表筒男命は、是即ち住吉大神なり。底津少童命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所祭る神なり。

 

『書紀』異伝第六の物語は、『古事記』に非常に良く似ている。しかしこの伊弉諾尊が誰なのかはわかっていない。
それでは見ていこう。『書紀』の異伝は「一書に曰はく」で始まるので、その後の文章の動詞は全て否定される。
伊弉諾尊、既に還りて(伊弉諾尊既還)」は「伊弉諾尊は既に帰っていない」である。「乃ち追ひて悔いて曰はく」は「乃追悔之曰」で、「追ひて悔いて」いないし「云って」いないである。
「吾前に不須也凶目き汚穢き処に到る」は「吾前到
於不須也凶目汚穢之処」で「『須』でない凶目で汚穢でない処に到る」となる。

ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

と見比べてみよう。
須佐之男命は「八拳須」が生えるまで啼き続けたが、速須佐之男命は伊邪那「伎」命とは違う属性であり、伊邪那「伎」命の「御子」は「須佐」だとわかっている。
しかし「八拳須」により、速須佐之男命に「須」がついても問題がなく、「佐」だけが伊邪那「伎」命の「御子」の属性を表すとわかる。
「『須』でない凶目」は「須佐」でないことを表さないが、伊弉諾尊はそう「云って」いないのである。
「故、吾が身の濁穢を滌ひ去てむ」は「故当滌
去吾身之濁穢」で、「我が身でない」濁穢を
洗うと「云って」いない。伊弉諾尊は読む者をミスリードしようとしながら、それを「云わない」ことでその正体を隠している。
筑紫日向の小戸の橘の檍原は「筑紫日向小戸橘之檍原」で、「橘小戸之」となる『古事記』と比べて明確に「橘」が否定されているが、そこに行っていない。
「遂に身の所汚を盪滌ぎたまはむとして」は「遂将滌身之所汚」で、「身」は「御身」でないので二重否定だが、「所汚」で「汚れていない所」となる。
「乃ち興言して曰はく(乃興言曰)」で「乃」「言」「曰」で四重否定となる。
「便ち中瀨に濯ぎたまふ」は「便濯之中瀨也」で、「濯ぐ」が肯定されている。しかしなぜ「滌」の字を使わないのかという疑問が生じる。
「因りて生める神」は全て「因以生神」である。つまり全て伊弉諾尊より生まれていない。それは生八十枉津日神、神直日神、底津少童命、中津少童命、表津少童命の五柱である。
「其の底筒男命中筒男命表筒男命は、是即ち住吉大神なり」は、住吉神が底筒男、中筒男、上筒男であることを考えれば「其」がついている底筒男命と、表筒男命は正しい。しかし中筒男命も住吉神でないとするのは問題がある。
実は「中」という字は重要な字で、おそらくヤマトタケル=開化を表していると思っているのだが、「便ち中瀨に濯ぎたまふ」で伊弉諾尊が「中」であることを肯定してしまっている。「一書曰」で始まる異伝は間違えて記載することも可能なので、「中」の字を『書紀』が奪った、または譲り渡したと考えられる。
「底津少童命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所祭る神なり(底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣)」で阿曇連の神であるのは否定している。

以上から、伊弉諾尊は伊邪那「伎」命とは違う人物であることがわかる。
古事記』の「右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり」は「右件八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十柱神者、因御身、所生者也」で、禊によらない者である。しかも神ではない。

然して後に、左。眼を洗ひたまふ。因りて生める神を、号けて天照大神と曰す。復右の眼を洗ひたまふ。因りて生める神を月読尊と曰す。復鼻を洗ひたまふ。因りて生める神を素戔嗚尊と曰す。

 

神でない点に注目すれば、『古事記』の表記で伊豆能売、底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、速須佐之男命、『書紀』の表記で底津少童命、中津少童命、表津少童命、月読尊、素戔嗚尊の十柱と考えられる。

次回、『古事記』の神生み神話に戻ろう。
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ヤマトタケルは開化天皇である(89)~二人のイザナギのすり替え

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伊邪那「伎」大神の禊の天照大御神の生まれる前、辺津甲斐弁羅神より後。

ここに詔りたまはく、「上つ瀨は瀨速し、下つ瀨は瀨弱し」とのりたまひて、初めて中つ瀨に堕ちかづきて滌きたまふ時、成りし神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神。この二神は、その穢らはしき国に到りし時、汗垢(けがれ)によりて成りし神なり。次にその禍を直さむとして成りし神の名は、神直毘神、次に大直毘神。次に伊豆能売。併せて三神なり。次に水底に滌きたまふ時成りし神の名は、底津綿津見神、次に底筒之男命。中に滌きたまふ時成りし神の名は、中津綿津見神、次に中筒之男命。水の上に滌きたまふ時成りし神の名は、上津綿津見神、次に上筒之男命。
この三柱の綿津見神は、阿曇連等が祖神ともちいつく神なり。故、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金析命(うつしひかなさくのみこと)の子孫なり。その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり。

 

「ここに詔りたまはく」は於レ是詔之」で、『古事記』は二重否定で読ませようとしているが、今まで述べたように「詔」は意味のない字として読むことにする。「に堕ちかづきて」は「堕迦豆伎而」である。
「成りし神の名は」は全て「所成神名」だが、八十禍津日神だけは「所成坐神名」である。「坐」に何の意味があるのかは今のところわからない。
「その穢らはしき国に到りし時」は「所
其穢繁国之時」で三重の否定である。
神直毘神は「神直毘神毘字以音。下效此」で伊豆能売は「伊豆能売併三神也。伊以下四字以音」である。
底津綿津見神中津綿津見神上津綿津見神はそれぞれ「底津綿(上)津見神」「中津綿(上)津見神」「上津綿(上)津見神」となり、「綿」と「津」が逆となり「津」が連続して「底」「中」「上」が肯定される。
「この三柱の綿津見神は、阿曇連等が祖神ともちいつく神なり」は「此三柱綿津見神者、阿曇連等之祖神以伊都久神也。伊以下三字以音。下效此」で、「等」と「之」で二重否定となるが「祖神」に「御」がつかないため、「綿津見神」は阿曇連の先祖とはならない。「伊都久」が「以音」となるため、「都」はともかく「久」は伊邪那「伎」大神に縁のある字である可能性が高い。
「故、阿曇連等は、その綿津見神の子、宇都志日金析命の子孫なり」は「阿曇連等者、其綿津見神之子、宇都志日金析命之子孫也。
宇都志三字以音」で、阿曇連が「綿津見神」の先祖であることは否定されているが、宇都志日金析命「之子孫」をどう読むかが問題である。「子孫」と二字熟語で読んで否定の意味に捉えるか「子」と「孫」と読んで三重否定と捉えるかである。今のところ伊邪那「伎」大神とその「御子」に「日」との関連はないので、三重否定と捉えるのが妥当だと思う。
「その底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江の三前の大神なり」は「其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命者、墨江之三前大神也」で確かにこの三柱の神は住吉神ではない。
しかし「其」に注目しよう。「其」は底筒之男命にしかかかっていないと見るべきだが、二重否定でこの三柱の神を住吉神としようという意図がある。
仲哀天皇の条で底筒男、中筒男、上筒男が登場するが、この三柱の神が住吉神だとは書かれていない。『古事記』はここで、住吉神のすり替えを謀っている。

次に前回の続きを見てみよう。

故、伊邪那伎大御神、速須佐之男命に詔りたまはく、「何の由にか、汝は事依さしし国を治らさずて、哭きいさちる」とのりたまひき。ここに答へて白さく、「僕は妣の国根の堅州国に罷らむと欲ふが故に哭く」とまをしき。ここに伊邪那岐大御神、大く忿怒(いか)りて詔りたまはく、「然らば汝はこの国に住むべからず」とのりたまひて、すなはち神やらひにやらひたまひき。故、その伊邪那岐大御神は、淡海(あふみ)の多賀に坐すなり。

 

なんと伊邪那「伎」命は伊邪那「伎」大御神となっている。天照大御神に御頸珠を与えた影響のようである。
「哭きいさちる」は「哭伊佐知流」となる。

ヤマトタケルは開化天皇である(88)~伊邪那「伎」命は「迦」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

と比較してみよう。「佐」も「知」も伊邪那「伎」大御神に縁のある字だが、否定と捉えると「佐」と「知」が縁のない字になったように見えてしまう。
「根の堅州国」は「根之堅州国」で、速須佐之男命は「根」と縁がないと理解しておけばよいだろう。
そして次は伊邪那「岐」大御神が登場し、「大く忿怒りて」速須佐之男命を「すなはち神やらひにやらひたまひき(乃神夜良比爾夜良比賜也自夜以下七字以音)」となる。「夜良比爾夜良比」は二重否定になるが、「爾」に注目しよう。
「爾」は「ここに」という文章の頭によく使われる字だが、伊邪那「伎」大神の文章に使われた例はない。「爾」は伊邪那「岐」命の系統に使われる字と考えられる。
こうして、伊邪那「岐」命は伊邪那「岐」大御神となった。いや、天照大御神の配偶者となったと見るべきかもしれない。つまり天照大御神は、伊邪那「伎」大御神の配偶者だったのかもしれないのである。
最後に「故、その伊邪那岐大御神は、淡海の多賀に坐すなり(故、其伊邪那岐大御神者、坐淡海之多賀也)」で「淡海」でない多賀に伊邪那「岐」大御神「でない」者がいるということだが、「淡海」が琵琶湖か淡路島近海かについては学会で議論になっているところである。
つまり伊邪那「岐」大御神が滋賀県多賀大社と淡路島の伊弉諾神宮のどちらに祀られているかという議論だが、これはそのうちやるとしよう。

ところで、今回やると云った「右の件の八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぐによりて生りし者なり」だが、『書紀』の伊弉諾尊の禊が書かれている異伝第四を見なければ解けないことに気づいたので、次回、『書紀』の異伝第四を見るとしよう。

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