「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(85)~黄泉国で伊邪那岐命は片想いする。

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古事記』の前回の続き。

かく白しつその殿の内に還り入りし間、いと久しくして待ちかねたまひき。故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて、一つ火燭(とも)して入り見ます時、うじたかれころろきて、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黒雷居り、陰(ほと)には析雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、併せて八の雷神成り居りき。

 

「その殿の内に還り入りし間」は「還入其殿内之間」で二重否定で「其妹」伊邪那美命は「殿」の中に入っている。
「故、左の御みづらに刺せる湯津津間櫛の男柱一箇取りかきて」は「刺左之御美豆良三字以音、下效此。湯津津間櫛之男柱一箇取闕而」でなぜか「左」ではいけないらしく、「美豆良」は「以音」である。この場合「みずら」でないと考えた方が良さそうである。そして「湯津津間櫛之男柱」で「櫛」あるいは「湯津津間櫛」でないものから「男柱」を闕き取っている。
「一つ火燭して入り見ます時」は「燭一火入見之時」で「入って見て」いない。
実は、ここまでの主語は「其妹」伊邪那美命である。伊邪那岐命ではない。
「うじたかれころろきて」は「宇士多加礼許呂呂岐弖此十字以音」で「岐」が否定され、「其妹」伊邪那美命伊邪那岐命と同じ属性にないことがわかる。「美豆良」が以音なのは女性だからで、「入って見て」いないのは既に殿の内にいるからである。
そして「頭には大雷居り(於頭者大雷居)」と八つの雷神が現れたことで、「其妹」伊邪那美命には雷神の属性がある。

ここで伊邪那岐命と「其妹」伊邪那美命のおいかけっこを飛ばして、二人が「事戸を渡す」、つまり離婚する場面を見てみよう。

最後にその妹伊邪那美命、身自ら追ひ来たりき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置きて、各対ひ立ちて、事戸を渡す時、伊邪那美命言ひしく、「愛しき我が汝夫の命、かく為ば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」といひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋を立てむ」とのりたまひき。ここをもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。故、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。

 

伊邪那岐命は「愛しき我が汝妹の命」と云ったが、前回見たように「那邇」は「以音」なので「愛しき我が妹の命」と云ったことになる。
これでは話が違うではないか、と思うだろうが、これでいいのである。
「ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて」は「爾千引石引塞其黄泉比良坂」で、「其」黄泉比良坂に千引の石を「其妹」伊邪那美命が置いたのである。これで伊邪那岐命は、黄泉国から出られなくなった。
そして「その石を中に置きて(其石置中)」向かい合った。この石は千引の石とは別の石である。
「事戸を渡す時」は「度事戸之時」で二人は離婚していない。
それなのに「其妹」伊邪那美命は「伊邪那美命言ひしく、『愛しき我が汝夫の命』(伊邪那美命言、愛我那勢命)」と「あなたの夫」というのである。黄泉の国では、伊邪那岐命の片想いとなる。
「その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ(号伊邪那美命黄泉津大神
)」の伊邪那美命が「其妹」伊邪那美命でないのは明らかである。
実は「津」は否定の字で、「大神」は否定されるが「黄泉」は肯定される。
先に「『湯津津間櫛之男柱』で『櫛』あるいは『湯津津間櫛』でないもの」と書いたのはこのためで、「湯津津間」とは「湯」を二重否定で肯定しているのである。
話を戻せば、「其伊邪那美命」で「其妹」でない伊邪那美命を「黄泉」と「号けた」のは、「其妹」伊邪那美命が「黄泉大神」だからで、そのことを隠すためと考えることができる。
しかし「其」黄泉比良坂では黄泉比良坂に石が寘かれていないことになり、伊邪那岐命はいつでもそこから出られるのではないかと思うだろう。
これには仕掛けがある。次回、この前の伊邪那岐命伊邪那美命のおいかけっこを見てから、この続きを見てみよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(84)~「其妹」伊邪那美命は何者か?

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古事記』の前回の続きから。

ここに二柱の神、謀りて云ひけらく、「今吾が生める子良からず。なほ天つ神の御所(みもと)に白すべし」といひて、すなはち共に参上りて、天つ神の命を請ひき。ここに天つ神の命もちて、太占(ふとまに)に卜相(うらな)ひて、詔りたまひしく、「女先に言へるによりて良からず。また還り降りて改め言へ」と詔りたまひき。故ここに反り降りて、更にその天の御柱を先の如く廻りき。ここに伊邪那岐命、先に「あなにやし、えをとめを」と言ひ、後に妹伊邪那岐命、「あなにやし、えをとこを」と言ひき。かく言ひ竟へて御合して、生める子は、淡道の穂の狭別島。

 

「今吾が生める子良からず」は「今吾所生之子不良」で「生んでないのではない子」という二重否定、「なほ天つ神の御所に白すべし」は「猶宜天神之御所」で「天神でない者のみもと」となり、「所」は「御」がついているので否定の意味はないと見るべきである。「天つ神の命を請ひき」「ここに天つ神の命もちて」はそれぞれ「請天神之命」「爾天神之命以」で命じたのは天神ではない。
「太占に卜相ひて」は「布斗麻邇爾(上)此五字以音卜相」であるから「ふとまにして」と読むのが正しいと思う。そして(上)があるので「布斗麻爾邇」と読むことになるはずである。その後の「詔りたまひしく」は「詔之」で詔していない。
この後の伊邪那美命は「妹伊邪那美命」で「其妹」伊邪那美命ではない。ここで同じ伊邪那美命でも人物が変わっている。そして「妹伊邪那美命」は「阿那邇夜志愛袁登古袁」云い、「御合」して淡道之穂之狭別島を生んだ。
「御合」という語は他には大国主神の話で須勢理毘売との間で使われる。しかし大国主神大穴牟遅神)と須勢理毘売の間に「御子」はいない。

次に伊邪那美命が死んだ後を見てみよう。

故ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「愛しき我が汝妹の命を、子の一つ木に易へむと謂(おも)へや」とのりたまひて、すなはち御枕方に匍匐(はらば)ひ、御足方に匍匐ひて哭きし時に、御涙に成りし神は、香山の畝尾の木の本に坐す、名は泣沢女神。

 

「愛しき我が汝妹」は「愛我那邇妹命乎那邇二字以音。下效此」だが「詔りたまひしく」が「詔之」なので「那邇」としか云っていないことになる。
『履中紀』に大虚から「鳥往来ふ羽田の汝妹は、羽狭に葬り立往ちぬ」と声が聞こえて、まもなく皇妃の黒媛が死んだと天皇が知らせを受けるという記事がある。
「羽田の汝妹」が黒媛を指すなら、「汝妹」は「あなたの妹」「あなたの妻」を指すことになり、「我が妻」という意味にはならない。もっとも伊邪那岐命は「那邇」つまり「あなた」としか云っていない。

次に伊邪那岐命の黄泉国訪問を見てみよう。

ここに其妹伊邪那美命を相見むと欲ひて、黄泉国に追ひ往きましき。ここに殿の䏬戸より出て向かへし時、伊邪那岐命、語らひ詔りたまひしく、「愛しき我が汝妹命、吾と汝と作れる国、未だ作り竟へず。故、還るべし」とのりたまひき。ここに伊邪那美命答え白ししく、「悔しきかも、速く来ずて。吾は黄泉戸喫しつ。然れども愛しき我が汝夫の命、入り来ませる事恐し。故、還らむと欲ふを、且(しばら)く黄泉神と相論(あげつら)はむ。我をな視たまひそ」とまをしき。

 

「䏬戸」の「䏬」は代字で、本来は

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である。
伊邪那美命は「其妹」である。
伊邪那岐命は「詔之」でやはり「詔りたまわない」。
そして「我が汝夫の命」は「我那勢命那勢二字以音。下效此」で那勢と云っていない。「其妹」伊邪那美命にとっては「愛しき我が命」なのである。
「其妹」伊邪那美命伊邪那岐命とどういう関係か?次回、この続きを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(83)~(上)という謎の記号

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古事記』の国生み神話から。

その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何か成れる」ととひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処あり」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処あり。故、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合はざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さむと以為(おも)ふ。生むこと奈何(いかに)」とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、すなはち「汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、約(ちぎ)り竟へて廻る時、伊邪那美命、先に「あなにやし、えをとこを」と言ひ、後に伊邪那岐命、「あなにやし、えをとめを」と言ひ、各言ひ竟へし後、その妹に告げたまひしく、「女人先に言へるは良からず」とつげたまひき。然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子。この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも亦、子の例には入れざりき。

 

まず、「その妹伊邪那美命に問ひたまはく」は「於是問其妹伊邪那美命曰」で「妹」が「其」で否定されている。
ただし「妹」が兄妹(姉弟の可能性もある)か夫婦かは注意する必要がある。
真に血の繋がった兄弟姉妹を指す場合、「伊呂妹(いろも)」などという言葉を『古事記』では使う。ただ昔から「妹」は兄妹や夫婦を指すと言われており、「子」と違って単純に血縁関係を否定することはできない。
ただこの時伊邪那岐命は「曰」で問うていないが、「其妹」伊邪那美命は「答白」となぜか答えている。
「みとのまぐはひ為む」は「為美斗能麻具波比此七字以音」で二重否定で「みとのまぐはひ」をしようと言ったことになっているが、「かく期りて」は「如此之期」で「このようでなく期って」という否定である。
こうして見ると、「国土を生み成さむと以為ふ(以為生成国土」も「以為(おも)ふ」でなく「以て為す」と読んで「国土を生み成さない」と否定に解するべきなのだろう。
「かく期りて」の後の「すなはち」は「乃」で「詔りたまわない」で否定である。

ここで重要な記号がある。
古事記』には(上)という謎の記号がある。
返り点ではない。

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五行目の「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)」の「愛」と「袁」の間に(上)があり、返り点でないことがわかる。
しかし(上)はあっても(中)(下)はない。
その代わり(去)がある。

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もっとも、(去)須比智邇神のところでしか見つけていない。
この暗号をどう読むかについて、私は(上)はひとつ上の字と交換、(去)はその字を取り去ることにしている。
要はそれまでと違った読み方になればいいという程度で、(上)(去)の違いに意味を見つけていないのだが、それでも結構それなりに読めるのである。
この部分を文章として抜き出せば、「伊邪那美命、先に『あなにやし、えをとこを』と言ひ」は「伊邪那美命、先言阿那邇夜志愛(上)袁登古袁此十字以音。下效此」で「阿那邇夜志袁愛登古袁」、「あなにやしをえとこを」となればいい。つまり文章にならない。「言ひ」で言っていないことになるが、「以音」で二重否定になっているということだろう。
「その妹に告げたまひしく、『女人先に言へるは良からず』とつげたまひき」は「告其妹曰、女人先言不
良」で「女人が先に言わないのは良くないと言わなかった」ということか?二重否定と取ればともかく引っ掛かる言葉である。
「くみどに興して」の「くみどに」は「久美度邇此四字以音」で「くみどに興して」いない。

次回、この続きを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(82)~天照大「御」神は何者か

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古事記』の天孫降臨の初めから。

天照大御神の命もちて、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ。」と言よさしたまひて天降したまひき。ここに天忍穂耳命天の浮橋に立たして詔りたまひしく、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国はいたく騒ぎてありなり」と告りたまひて、更に還り上りて、天照大神に請(まお)したまひき。ここに高御産巣日神天照大御神の命もちて、天の安の河の河原に、八百万の神を神集へに集へて、思金神に思はしめて詔りたまひしく、「この葦原中国は、我が御子の知らす国と言依さしたまへりし国なり。故、この国に道(ち)速振る荒振る国つ神等の多(さは)なりと以為(おも)ほす。これ何れの神を使はしてか言趣(む)けむ。」とのりたまひき。
ここに思金神また八百万の神、議(はか)りて白ししく、「天菩比神、これ遣はすべし。」とまおしき。故、天菩比神を遣はしつれば、すなはち大国主神に媚び附きて、三年に至るまで復奏さざりき。

 

天照大御神の命もちて」は「天照大御神之命以」で「天照大御神でない者の命を以て」である。「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ。」は「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命之所知国」で「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命でない者が知らさない国」で二重否定の肯定である。
そして天忍穂耳命が復奏したのは天照大神で天照大「御」神ではない。
「ここに高御産巣日神天照大御神の命もちて、天の安の河の河原に、八百万の神を神集へに集へて」は「爾高御産巣日神天照大御神之命以、於天安河之河原、神二集八百万神集而」でやはり「天照大御神でない者の命を以て」となる。
「この葦原中国は、我が御子の知らす国」は「此葦原中国者、我御子之所知国」である。
ところが「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」は「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」で「葦原」が否定されている。
高御産巣日神は、「天照大御神でない者の命を以て」思金神に「思はしめて」、つまり方策を考えさせて「葦原中国は我が御子の知らす国」と詔した。高御産巣日神には葦原中国の統治を主張する権利があるのである。
続いて「ここに思金神また八百万の神、議(はか)りて白ししく」だが、「爾思金神及八百万神、議白之」で「議りて白して」いない。「議り白」さずに派遣された天菩比神だが、「すなはち大国主神に媚び附きて」は「乃媚大国主神」で大国主神に媚びていないのである。天菩比神にはただならぬ存在感がある。

対して天照大「御」神はどうか。
まず正勝吾勝勝速日天忍穂耳命だが、速須佐之男命との誓約によって生まれたのは正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命である。これを「自ら吾が子ぞ」と言って「子」としたが「御子」とは言っていない。
そして「正勝吾勝勝速日」でない天忍穂耳命天照大神に復奏した。それは天照大「御」神が「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ」と言っていないからである。それを「天照大御神之命以」と合わせて二重否定のように見せかけているがやはり言っていない。私が「言」を否定の字と見たのはこのことによる。
当然正勝吾勝勝速日天忍穂耳命と親子関係はない。むしろ天照大神天忍穂耳命の方が真に親子なのではないかと思われる。「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国」とも関係がない。天照大「御」神は実に立場がないように見える。
ところが、そのことがかえって天照大「御」神に存在感を与えているようにも見える。そのうち述べるとしよう。

次回、国生み神話について見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(81)~星川皇子の謀反

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『書紀』前回の続き。

天皇、弟君の不在(な)きことを聞こしめして、日鷹吉士堅磐固安銭堅磐、此をば柯陀之波(かたしは)と云ふ。を遺して、共に復命さしめたまふ。遂に即ち倭国の吾礪(あと)の広津広津、此をば比慮岐頭(ひろきつ)と云ふ。邑に安置(はべらし)む。病みて死(みまか)る者、衆(おお)し。是に由りて、天皇、大伴大連室屋に詔して、東漢直掬(やまとのあやのあたひつか)に命(みことおほ)せて、新漢陶部高貴・鞍部堅貴・画部因斯羅我・錦部定安那錦・訳語卯安那等を、上桃原・下桃原、真神原の三所に遷し居らしむ。或本に云はく、吉備臣弟君、百済より還りて、漢手人部・衣縫部・宍人部を献るといふ。

 

今回の話の胆は、末尾の「或本に云はく」からである。
ここで訂正。

ヤマトタケルは開化天皇である(78)~雄略が吉備上道臣田狭の妻稚媛を奪う事件 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で「一書」は肯定と述べたがそれは「一」と「書」の二重否定による肯定である。
「一本」の場合、「書」と逆に「本」は肯定の意味なので「一本」は否定の意味である。「別本」も同様。
そして「或本」は「或」も「本」もどちらも肯定の意味である。つまり注は真実を語っている。本文が嘘なのである。
吉備臣弟君が百済から帰って献ったのは漢手人部・衣縫部・宍人部である。

ヤマトタケルは開化天皇である(77)~「膳夫」と「宍人部」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

にも登場した宍人部が入っており、それは百済由来である。
私は出雲系を邪馬台国の系統だと思っているが、どういう訳か出雲系を百済由来だと『書紀』は思わせたいらしい。

ヤマトタケルは開化天皇である(80)~「才伎」は百済とは無縁 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、百済由来でない「才伎」を百済から連れてきたように見せかけ、樟媛が連れてきた分と合わせて、「才伎」を連れてきたのを樟「媛」の手柄にしようとした。

ヤマトタケルは開化天皇である(68)~天宇受売「神」が「名猿田毘古神」の「名」を顕した真の理由 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で「名猿田毘古神」から猨田毘古之男神に変わるのを見てきたが、
「猨」のけもの偏を手偏に変えると「媛」になる。
ならば「媛」は丹波系かといえば、私はまだそこまで断定していない。ともかく「才伎」を連れてくる役割が弟君から樟媛に移ったか、または弟君の手柄を半減させた。
そして新漢陶部高貴・鞍部堅貴・画部因斯羅我・錦部定安那錦・訳語卯安那等を上桃原・下桃原、真神原の三所に移動させた。しかし「等」なのでこれは否定で、弟君の連れてきた「漢手人部・衣縫部・宍人部」を『書紀』の書き手は手に入れたいというのが本音だと判断できる。

次に『清寧紀』を見ていこう。

(雄略)二十三年の八月に、大泊瀬天皇、崩(かむあが)りましぬ。吉備稚媛、陰に幼子星川皇子に謂(かた)りて曰はく、「天下之位(たかみくらい)登らむとならば、先づ大蔵の官(つかさ)を取れ」とのたまふ。長子磐城皇子、母夫人の、其の幼子に教ふる語を聴きて曰はく、「皇太子(清寧天皇)、是我が弟と踏(いへど)も、安(いづく)にぞ欺くべけむ。不可為(しかはすべからず)」とのたまふ。星川皇子、聴かずして、輙(たやす)く、母夫人の意に随(したが)ふ。遂に大蔵の官を取れり。外門を錙(さ)し閉めて、式(も)て難(わざわひ)に備ふ。権勢の自由にして、官物(おほやけもの)を費用す。是に、大伴室屋大連、東漢掬直に言ひて曰はく、「大泊瀬天皇の遺詔し、今至りなむとす。遺詔に従ひて、皇太子に奉るべし」といふ。乃ち軍士(いくさ)を発して大蔵を囲繞(かく)む。外より拒(ふせ)ぎ閉めて、火を縦(つ)けて燔殺す。是の時に吉備稚媛、・磐城皇子の異父兄兄君・城丘前来目名を闕(もち)せり。星川皇子に随ひて、燔殺されぬ。

 

今回の代字は、「外門を錙し閉めて」の「錙」」、「是我が弟と踏も」でそれぞれ

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である。

ヤマトタケルは開化天皇である(78)~雄略が吉備上道臣田狭の妻稚媛を奪う事件 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように、雄略の配偶者は稚「姫」で、その間に磐城皇子と星川稚宮皇子が生まれたことになっている。もっともこの親子関係も判然としないものだが、このくだりに登場するのは吉備稚媛で、その子とされるのは星川皇子であり「稚宮」がない。それも「幼子」「母夫人」と呼ぶだけで親子であるように見せているが、そのように判断はできないだろう。「長子」と呼ばれる磐城皇子も同様である。
「天下之位登らむとならば」の「天下之位」では「天下」を否定することになるが、なぜこのように書かれているのかはよくわからない。
「母夫人の、其の幼子に教ふる語を聴きて曰はく」は「聴母夫人教其幼子之語曰」で、「其の幼子でない者」という二重否定で星川皇子を指すのは間違いない。
「輙く、母夫人の意に随ふ」は「輙随母夫人之意」で、「母夫人でない者の意に従う」となる。吉備稚媛以外に星川皇子を唆す存在がいることを示唆している。
「大泊瀬天皇の遺詔」は「大泊瀬天皇之遺詔」で「大泊瀬天皇でない者」、つまり大泊瀬幼武天皇のことを指すのだろう。大伴室屋大連は「言ひて曰はく」で二重否定で言ったことになる。
「乃ち軍士を発して大蔵を囲繞む」以降だが、「乃」について私が新たに思ったことは、「乃」は主語が変わるまで動詞を否定し続けるのではないかということである。つまり外から塞いでもいないし、火をつけて焼き殺してもいない。軍隊で囲んでいないのだからそうなるのが当然である。そうでなかったとしても、星川皇子は大蔵の官を得て外門を閉めたが、「中に入った」とは書いていない。中にいない星川皇子が焼き殺されることはないのである。
吉備稚媛と兄君、城丘前来目は星川皇子に従って焼き殺されたが、星川皇子、そして磐城皇子は生き残った。その理由は二人が『書紀』にとって重要だからである。それは私が開化天皇と同一と見た清寧天皇の「兄」と「弟」であることとおそらく関係がある。

次回から、『古事記』に戻ることにする。

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ヤマトタケルは開化天皇である(80)~「才伎」は百済とは無縁

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『書紀』前回の続き。

任那国司田狹臣、乃ち弟君が伐たずして還ることを喜びて、密に人を百済に使(や)りて、弟君に戒めて曰はく、「汝が領項(くび)、何の牢錮(かたきこと)有りてか人を伐つや。伝に聞く、天皇、吾が婦を幸して、遂に児息聞児息は、巳(すで)に上の文に見ゆ。を有(たも)つと。今恐るらくは、禍の身に及ばむこと、足を轎(た)てて待つべし。吾が児汝は百済に跨(こ)え拠りて、日本にな通ひそ。吾は、任那に拠り有ちて、亦日本に通はじ」といふ。弟君の婦樟媛、国家の情深く、君臣の義切(ことわりたしか)なり。忠なること白日に踰(こ)え、節(またきこと)青松に冠(す)ぎたり。斯(こ)の謀叛を悪(にく)みて、盗(ひそか)にその夫を殺して、室の内に隠し埋みて、乃ち海部値赤尾と与(とも)に百済の献れる手末(たなすえ)の才伎を将(ひき)ゐて、大嶋に在(さぶら)ふ。

 

今回代字としたのは「足を轎てて待つべし」の「轎」と「児息は、巳(すで)に上の文に見ゆ」の「巳」で正しくは

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である。
任那国司田狹臣」とあり、これで吉備上道臣田狹と田狹臣が別人であることがはっきりした。
「乃ち弟君が伐たずして還ることを喜びて」は「乃喜弟君不伐而還」なので「弟君が伐たずして還ることを喜ばず」である。「任那国司」としては、新羅が討たれないのは嬉しくないのである。
「汝が領項」は「汝之領項」で否定だが、「曰」で弟君の「領項」である。
「吾が児汝は百済に跨え拠りて、日本にな通ひそ」は「吾児汝者、跨百済、勿使於日本」なので「通うこと勿れ」、つまり「百済に留まって日本に帰るな」である。「吾は、任那に拠り有ちて、亦日本に通はじ」も同様である。
「弟君の婦樟媛」は「弟君之婦樟媛」で、弟君との間に夫婦関係はない。
「盗(ひそか)にその夫を殺して」は「盗殺其夫」である。
「夫」が真実の夫婦関係を表さないとどこかで書いたが、ここで訂正しよう。
「夫」は真実の夫婦関係を表す。「其」がそれを否定するのである。「婦」も同様。なお「妻」については、『古事記』でその記述が出た時に訂正するかどうか決めるとしよう。
「乃ち海部値赤尾と与に百済の献れる手末の才伎を将ゐて」は「乃與海部値赤尾百済所献手末才伎」で率いたことを否定している。

ヤマトタケルは開化天皇である(80)~弟君と老女はどこにいたか - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、百済は既に今来の才伎を贈ってており、大嶋に今来の才伎をまとめている。
「乃」が無ければ、百済は二度「才伎」を贈ったことになる。このような文章になるのは、弟君と樟媛に同じことをしたように見せる必要があるからである。
前回記事の「百済の貢れる今来(いまき)の才伎を大嶋の中に集聚へて」は「集百済所貢今来才伎於大嶋中」で、樟媛の文と同様百済の後に「所」がある。
私は今回、始めて「所」が否定の意味ではないかと疑った。
記紀』で「謂」が否定であるのは述べたが、他「所謂」という語がしばしばあり、これが肯定か否定かの判断が今までつかなかった。しかし「所謂」が二重否定なら、今まで読めなかった部分が読めるようになる。
ただし「所」は名詞の否定で、「~でない者が言わない」という二重否定である。
話を戻せば、「所」は百済を否定しているととりあえず考えて、弟君は百済とは無縁で、樟媛の方が百済と関係があると考えられる。
もうひとつ考えられるのが、「才伎」が百済と無縁だということである。
理由は「伎」にある。
どこかで伊邪那「伎」命を出雲系と書いたのだが、これも訂正。「伊邪那「伎」命は丹波系である。しかし伊邪那「岐」命とはもちろん別人である。『古事記』に戻った時の述べよう。とりあえずここでは、弟君は百済とは無縁、樟媛は原文からは判断出来ないと見るべきである。
次回、この続きを見て、その後『清寧紀』を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(79)~弟君と老女はどこにいたか

1~50を読みたい人はコチラ↓

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『書紀』の前回の続き。

田狭、既に任所に之(ゆ)きて、天皇、其の婦を幸(つかは)しつることを聞きて、援(たすけ)を求めて新羅に入らむと思欲ふ。時に、新羅。中国(みかど)に事(つか)へず。天皇、田狭臣の子弟君と吉備海部値赤尾とに詔して曰はく、「汝、往きて新羅を罰(う)て」とのたまふ。是に、西漢才伎歓因知利(かふちのあやのてひとくわんいんちり)、側(おもと)に在り。乃ち進みて奏して曰さく、「奴(やつかれ)より巧(たくみ)なる者、多に韓国に在り。召して使すべし」とまうす。天皇、群臣に詔して曰はく、「然らば、歓因知利を以て、弟君等に副へて、道を百済に取り、併せて勅書を下ひて、巧の者を献(たてまつ)らしめよ」とのたまふ。是に弟君、命を衞(うけたまは)りて、衆を率て、行きて百済に到りて、其の国に入る。国神、老女に化為(な)りて、忽然に路に逢へり。弟君、就(ゆ)きて国の遠さ近さを訪ぬ。老女、報へて言さく、「復(また)一日行きて、而して後に至るべし」とまうす。百済の貢れる今来(いまき)の才伎を大嶋の中に集聚(つど)へて、風候(さもら)ふと称(い)ふに託(つ)けて、淹(ひさ)しく留れること月数(へ)ぬ。

 

「中国」は「みかど」と読んで日本のことを指す。
「是に弟君、命を衞りて」の「衞は代字で

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である。
「田狭、既に任所に之きて」は「田狭既之任所」だが、「之」を「行く」と解することでこのように読み下されている。
「之」は暗号としては否定だが、「乃」と違い、通常前にある名詞を否定する。この場合、田狭と「之」の間に「既」があり、名詞を否定できないようになっている。だから「之」は、この場合動詞ととるべきだろう。
動詞ととって否定の意味があるかどうかだが、この後は「任所」とあるだけで任那とは書いていない。動詞としての「之」に否定の意味があれば、ただの「任所」を否定する必要はそんなにないと考えるべきだろう。今のところは動詞としての「之」に否定の意味はないと判断しておこう。田狭は任所に行ったが任那に行ったとは書いていない。
は「天皇、其の婦を幸しつることを聞きて」は「聞天皇之幸其婦」で、「其」は田狭の夫人の否定で、「天皇でない者が田狭の夫人でない者の所に行った」となるがどういうことだろう?「天皇でない者」は田狭の夫人の所に行かなかったが天皇は行ったともとれるニュアンスである。
「田狭臣の子弟君」は「田狭臣子弟君」で、弟君が田狭臣の「御子」でないことがこれで確定する。
西漢才伎歓因知利が「乃ち進みて奏して曰さく」とあるが、「乃進而奏曰」だから「乃ち進みて而して奏して曰さく」である。「進んで」いるから「而して」いるのであって、「而して」いないなら「奏して」いない。しかし「曰」は二重否定で「言っている」可能性がある。
この後天皇も「言っていない」が、「弟君等に副へて」の「等」は弟君を否定しているので二重否定になる。ならば歓因知利を弟君に同伴させたかといえばそうではない。『書紀』では台詞は基本的に「言っていない」ので、弟君だけが「言った」ことになるのは、弟君と歓因知利の関係の明確な否定と考えるのがもっとも妥当だと思う。
「行きて百済に到りて、其の国に入る」は、弟君が百済に入っていないことを表しているようだが、判然としない。それでも出てきた国神は百済の者ではない。
「国神、老女に化為りて」の「化為」を「為る」と同じと判断して良いかまだわからないが、ここでは同じと判断しよう。「老女」は『記紀』において重要な存在らしく、度々登場する。
「就きて国の遠さ近さを訪ぬ」とは、「老女」が「其の国」にいないからである。当然老女は国神ではない。老女は「其の国」にはいないが、弟君は話すことができる距離にいる。
位置関係を考えれば、弟君は任那にいると考えられ、老女は百済にいると考えられる。しかし本当にそうだろうか?
老女が「報へて言」したのは、「言った」ことの否定である。
「復一日行きて、而して後に至るべし」とは、道が遠くないことだと思うのだが、弟君は帰った。
ところが「百済の貢れる今来の才伎を大嶋の中に集聚へて(集百済所貢今来才伎於大嶋中)」とある。百済に入らずに人を受け取ることができるのだろうか?
だから弟君は百済から、新羅に入国したと考えることもできる。その場合、国神は新羅の者である。
『書紀』は新羅の国神を老女に仕立てあげて、それを任那の国神のように見せようとしているのだろうか?
そしていずれにせよ、老女は百済にいるとしか考えられない点は注目すべきところだろう。
次回もまた、この続きを見ていこう。

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