「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(75)~末多王は任那人、そして…

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『書紀』の「雄略紀」二十一年を見てみよう。

二十一年の春三月に、天皇百済、高麗の為に破れぬと聞きて、久麻那利(こむなり)を以て汶洲王に賜ひて、其の国を救ひ興す。時人皆云はく、「百済国、属(やから)既に亡びて、倉下に聚(いわ)み憂ふと唯(いへど)も、実に天皇の頼に、更其の国を造(な)せり」といふ。汶洲王は蓋鹵王の母の弟なり。日本旧記に云はく、久麻那利を以て、末多王に賜ふといふ。蓋(けだ)し是、誤ならむ。久麻那利は、任那国の下多呼利県(あるしたこりのこほり)の別邑なり。

 

「下多呼利県」の「多」と「利」は代字である。それぞれ、

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となる。
「其の国を救ひ興す(其興其国)」、「更其の国を造(な)せり(更造其国)」とあるが、

ヤマトタケルは開化天皇である(67)~「等」はアバウトな否定、「其」は文脈を引き継ぐとは限らない。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見たように文脈を引き継ぐとは限らず、「其の国」は百済を意味しない。
しかし、このように書く理由はないのである。
「日本旧記に云はく」以降の文に、「久麻那利を末多王に賜る」とあるが、「蓋し是、誤ならむ」として否定している。「蓋し」とは古臭い言い回しだが一応現代語で、「思うに」という意味である。その理由が「久麻那利は、任那国の下多呼利県の別邑なり」である。
久麻那利は熊津(ゆうしん)のこととされる。現代の韓国の中清南道公州市で、熊津なら明らかに百済の領域で、任那のはずがない。
ところが、「久麻那利は、任那国の下多呼利県の別邑なり」の原文は「任那国下多呼利県之別邑也」で、「之」と「別」の二重否定で久麻那利=下多呼利県となる。「蓋し」は「思ったけど違う」という、否定に見せた肯定にここではなる。

ヤマトタケルは開化天皇である(73)~「主嶋」はヤマトタケル=開化の出生地 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、典拠がある場合は『書紀』の本文が否定されると述べたが、『日本旧記』によって本文が否定された以上、「其の国を救ひ興す」と「わざわざ百済でない国が救い興された」と強調する必要がないからである。
ならば二重否定かというとそう簡単なことではないように思う。
天皇百済、高麗の為に破れぬと聞きて(天皇聞下百済
高麗所破上」は「百済、高麗と為り」と読むべきではないかと考えるからである。ただこの点はこれ以上深入りしない。「百済、高麗と為り」と読むと見えてきそうなところがあるのだが、また機会のある時にすることにしよう。

続いて、二十三年の記事。

二十三年の夏四月に、百済の文斤王(もんこんおう)、薨せぬ。天王、昆支王の五の子の中に、第二にあたる末多王の、幼年(わか)くして聡明(さと)きを以て、勅して内裏に喚(め)す。親(みずか)ら頭面を撫でて、誠勅慇懃(いましむることねんごろ)にして、其の国に王とならしむ。依(よ)りて兵器を賜ひ、併せて筑紫国の軍士五百人を遣して、国に衛り送らしむ。是を東城王とす。

 

「依りて兵器を賜ひ」の「依」は代字で正しくは

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である。
原文では、「第二にあたる末多王(第二末多王)」と、「是を東城王とす(是為東城王)」が末多王が東城王でないことを表す以外に怪しい所はない。「第二にあたる末多王」が怪しいのは、『書紀』では、血の繋がりと兄弟順を顕す時は「第~子」と記述するからである。本来「子」は血の繋がりを顕していないが、「第~子」と記載された場合は、『古事記』の「御子」と同じになると考えている。しかしそういう記述ではなく、「昆支王の五の子の中に(昆支王五子中」の末多王が選ばれたとなっている。「五の子」が昆支王の「御子」でないのは明白である。

ヤマトタケルは開化天皇である(73)~「主嶋」はヤマトタケル=開化の出生地 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた「百済新撰に云はく」以降の記述は、実は百済のことではなく、任那の下多呼利県のことである。
武寧王は「是崑支王子の子(是崑支王子之子」で末多王の異母兄である。
「今案ふるに、嶋王は是蓋鹵王の子なり。末多王は、是崑支王の子なり。此を異母兄と曰ふは、未だ詳ならず」とあるのは重要である。
「嶋王是蓋鹵王之子也。末多王、是崑支王之子也」で、武寧王でなく嶋王のことを述べ、「此を異母兄と曰ふは」と、嶋王が末多王の異母兄であることを否定している。
「今案ふるに」以降は末多王は任那人であり、その異母兄の武寧王任那人であることを最後まで否定しなかったのである。
この問題は、「異母兄」をどう理解するかにあるだろう。それはまた機会のある時にしよう。

次回、稚日本根子彦大日日「尊」の生年の可能性がある雄略三年を見ていこう。

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