「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(73)~「主嶋」はヤマトタケル=開化の出生地

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武烈紀の武烈四年の記事。

是歳、百済の末多王、無道して、百姓(たみ)に暴虐す。国人、遂に除てて、嶋王をたつ。是を武寧王とす。百済新撰に云はく、末多王、無道して、百姓に暴虐す。国人、共に除つ。武寧王立つ。諱は斯麻王といふ。是れ崑支王子の子なり。即ち末多王の異母兄なり。崑支、倭に向づ。時に、筑紫嶋に至りて、斯麻王を生む。嶋より還し送りて、京に至らずして、嶋に産る。故因りて名づく。今各羅の海中に主嶋有り。王の産まれし嶋なり。故、百済人、号(なづ)けて主嶋とすといふ。今案(かむが)ふるに嶋王は是蓋鹵王の子なり。末多王は、是れ崑支王の子なり。此を異母兄の曰ふは、未だ詳ならず。

 

まず、崑支の「崑」は検索できない漢字で、正しくは

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である。

ヤマトタケルは開化天皇である(72)~百済武寧王の誕生 - 「人の言うことを聞くべからず」+

の雄略五年の記事には実は続きがある。

秋七月に、軍君、京に入る。。既にして五の子有り。百済新撰に云はく、辛丑年に、蓋鹵王、弟昆支君を遣して、大倭に向でて、天王に侍らしむ。以て兄王の好(よしみ)を脩むるなりといへり。

 

とある。
「昆支」、「昆支君」などとあるが、現時点でこれらを区別することに意味は感じていない。
問題は、「昆支君」が「大倭」に向かい、「天王」に仕えたと書かれていることである。「軍君」は「日本」に向かい、「天皇」に仕えたはずである。
「曰」だから「加須利君」はそう言ってないではないかと思うならそれは違う。「乃ち其の弟軍君に告げて曰はく」は「乃告其弟軍君」で二重否定である。「曰」以外にどれが否定の字かと言えば、それは「乃」である。
「乃」を「すなわち」と読ませ、文章の冒頭に置いているが、「乃」は冒頭にある時はその文章の全体か文章の動詞、おそらく文章の動詞を否定している。『古事記』に宇遅能和紀郎子の異母妹宇遅乃若郎女が登場するが、宇遅乃若郎女の存在理由の少なくともひとつは、宇遅乃若郎女が宇遅能和紀郎子と近親婚関係にないことを知らせることで「乃」が否定の意味だとわからせるためである。
加須利君は軍君に、「日本に行き天皇に仕えろ」と言っている。「大倭」でなく「日本」、「天王」でなく「天皇」である。「大倭」という表記はいくつかの箇所で見かけているが、未だに仮説を立てられる段階にはない。とにかくここで言えることは、加須利君=蓋鹵王、軍君=昆支ではないということである。
しかし軍君に「昆支なり(昆支也)と注がついている。だから軍君=昆支だと思うだろうが、おそらくこの注が嘘である。
注の真偽を見分ける方法は、典拠があるかどうかだろう。「昆支」が「大倭」に向かったことは、『百済新撰』は『書紀』にしか存在したことが記されていない散逸文献だが、とにかく『百済新撰』を典拠として、加須利君=蓋鹵王、軍君=昆支を遠回しに否定しているのである。

さて、武烈四年の記事である。
「崑支王子」、「昆支」、「昆支王」という表記の違いがあるが、やはり現時点でこれらの表記の違いを区別はできない。
違いは「昆支」と「崑支」だろう。「昆支」が「大倭」に向かい「天王」に仕えたのに対し、「崑支」は「倭」に向かった。その「崑支」の「御子」が武寧王である。「是れ崑支王子の子なり(是崑支王子之子」とあるので、武寧王が崑支王子の「御子」なのは確実である。
そして武寧王は、諱が斯麻王である。『書紀』には「御名」という表記がないので、諱が『古事記』の「御名」のことだと思っている。
嶋王は加須利君の「御子」である。嶋王も武寧王ではないかと思うだろうが、「是を武寧王とす(是為武寧王)である。

ヤマトタケルは開化天皇である(63)~「おれ」は「お前」か? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で見てきたことが、ここで生きてくる。
「意礼大国主神と為り(意礼二字以音大国主神」とあるように、本来その人物でない者が成り代わったように装うには「為」る必要があるのである。
「今案ふるに嶋王は是蓋鹵王の子なり(今案嶋王是蓋鹵王之子也)」は嘘で、嶋王は加須利君の「御子」である。嘘を述べるために「今案ふるに」と言っているのである。
その軍君→昆支→崑支と変わるごとに、行き先が日本→大倭→倭と変わっていく。

「各羅の海中に主嶋有り」とあるが、この場合「各羅」は海の名前である。
嶋王は各羅嶋で生まれている。斯麻王は筑紫嶋で生まれており、これは九州をさす。主嶋と接点のある者は登場しない。
「故、百済人、号けて主嶋とすといふ」は「故百済人号為主嶋」で、「号けて主嶋と為す」と読むべきである。本来主嶋と呼ばないものを主嶋と「為」したのである。
ここで推測しなければならない。つまり『書紀』は、本来の主嶋を別のものに、そして百済人が呼ぶものにしなければならなかった。ならば主嶋とは、ヤマトタケル=開化の出生地ではないか?そして『書紀』が百済人が主嶋と呼んだことに仕立てようとしたことは、ヤマトタケル=開化が新羅人である可能性をかえって強めているのではないか?
主嶋については心当たりがある。次回、『風土記』を見ていこう。

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