「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(67)~「等」はアバウトな否定、「其」は文脈を引き継ぐとは限らない。

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大国主神の国譲りの神話の、健御雷神が八重事代主神健御名方神の二神に国譲りを要求し、二神の了承を得て大国主神に再び国譲りの要求をした後の大国主神の台詞から。

ここに答へて白さく、「僕が子等二神の神の白すまにまに僕も違はじ。この葦原中国は、命のまにまに献らむ。ただ僕が住所は、天神の御子の天津日継知らしめす、とだる天の御単の如くして、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治めたまはば、僕は百足らず八十洞手に隠りて侍らむ。また僕が子等百八十神は、すなはち八重事代主神、神の御尾前となりて仕え奉らば、違ふ神はあらじ」とまをしき。

 

「八十洞手」の「洞」の字は、

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この「一百八十の子等」の「等」とは何だろうか?
「等」はアバウトという意味での否定である。「~など」と言いながら、実は違ったという意味の否定を表している。
他にも「~等之祖」という記述があったりする。例えば葛城長江曾都毘古は「玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣等之祖」とあり、これらの氏族の祖先であることをアバウトに否定している。

それでは、『古事記』の開化天皇の条の、開化天皇の「御子」日子坐王の記述を見てみよう。


また近淡海の御上の祝がもちいつく天之御影神の女、息長水依比売を娶して生みし子、丹波比古多々須美知能宇斯王、次に水穂之真若王、次に神大根王、亦の名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売。五柱

 

で、「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」となっており、「名」が「丹波比古多々須美知能宇斯王」を指すのか、それとも「丹波比古多々須美知能宇斯王」が「御名」で、「丹波比古多多須美知能宇斯王」の別の「名」なのかわからないようになっている。
次に、同じ開化天皇の条から。

その美知能宇斯王、丹波の河上の麻須郎女を娶して生みし子、比婆須比売命、次に真砥野比売命、次に弟比売命、次に朝庭別王。四柱

 

「其美知能宇斯王」とあるので、「美知能宇斯王」は「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」と現状見るしかない。ただし「生みし子」は「生子」なのでこの系譜は造作されている。
次に垂仁天皇の条から。

また丹波比古多々須美知能宇斯王の女、氷羽州比売命を娶して生みましし御子、印色之入日子命、次に大帯日子淤斯呂和気命、次に大中津日子命、次に倭比売命、次に若木入日子命。五柱

 

丹波比古多々須美知能宇斯王之女」とあるので、氷羽州比売命は「丹波比古多々須美知能宇斯王」の「御子」である。
次にその後、

またその氷羽州比売命の弟、沼羽田之入毘売命を娶して生みましし御子、沼帯別命、次に伊賀帯日子命。二柱

 

「其氷羽州比売命之弟」とあるので、沼羽田之入毘売命と氷羽州比売命は姉妹関係にある。
次にその後、

またその沼羽田之入日売命の弟、阿耶美能伊理毘売命を娶して生みましし御子、伊許婆夜和気命、次に阿耶美津比売命。二柱

 

「其沼羽田之入日売命之弟」とあるので、阿耶美能伊理毘売命と沼羽田之入日売命は姉妹関係にある。しかし「沼羽田之入毘売命」ではなく、沼羽田之入日売命」である。「丹波比古多々須美知能宇斯王」の系譜はここで途切れている。

ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた、「入」が「日子」の否定とする説を、私はここで否定する。
もっとも「入」には意味があるが、ここでは語らない。ちなみに
阿耶美能伊理毘売命は「阿耶美能伊理毘売命此女王名以音」とある。
「其」とある場合、前の文脈を引き継ぐ場合と、引き継がない場合があるようである。その場合、前の文脈と違う人物、物であることを示す字がその後にくる。それが「沼羽田之入毘売命」と「沼羽田之入毘売命」の違いである。
では「開化天皇の条の「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」はどうかというと、「名」として紹介されたものが、「以音」により「御名」となるのである。同様の理由で、阿耶美能伊理毘売命も「御名」となる。この場合、「美知能宇斯王」は「丹波比古多々須」が省略されただけで、前の文脈を引き継いでいると見るべきだろう。
そして重要なのは、「名」として紹介されなくとも、「名」のまま登場する人物が「記紀」に存在する可能性があることである。

次に垂仁天皇の条の乙訓伝説を見てみよう。


またその后(沙本毘売のこと)の白したまひしまにまに、美知能宇斯王の女等、比婆須比売命、次に弟比売命、次に歌凝比売命、次に円野比売命、併せて四柱を喚上(めさ)げたまひき。ちなみに。然るに比婆須比売命・弟比売命の二柱を留めて、其弟王二柱は、いと凶醜(みにく)きによりて、本つ土に返し送りたまひき。
ここに円野比売慚(は)じて言はく、「同じ兄弟の中に、姿醜きを以ちて還さえし事、隣里に聞えむ、これいと慚づかし」といひて、山代国の相楽に至りし時、樹の枝に取り懸りて死なむとしき。かれ、其地を号けて懸木と謂ひしを、今は相楽と云ふ。また弟国に至りし時、遂に峻しき淵に堕ちて死にき。かれ、其地を号けて堕国と謂ひしを、今は弟国と云ふなり。

 

「美知能宇斯王之女等」と「等」が入っていることで、アバウトに「美知能宇斯王之女」であることを否定している。比婆須比売命と弟比売命は「美知能宇斯王」の「女」で「御子」ではない。しかし歌凝比売命、円野比売命は「美知能宇斯王之女」だとは言っていない。しかも開化天皇の条には、真砥野比売命という円野比売命と間違える人物まで登場している。真偽はともかく、『古事記』は歌凝比売命と円野比売命を「美知能宇斯王之女」と思ってもらいたい意図がある。
興味深いのは、「山代国の相楽」は「山代国之相楽」で、「山代国」ではないが相楽であるのは間違いないのに、「弟国に至りし時」は「到弟国之時」と、弟国に居たのを否定している。それなのに「今云弟国也」と、その場所が弟国だと言い張っている。『古事記』にとって、円野比売命が死んだ場所は「弟国」でなければならないのである。

以上、「等」はアバウトの意味の否定だが、前回述べた『書紀』の大国主神のように一百八十一の「子」が、いるかどうかは、『古事記』からは判別できない。またそれを逆手にとって、『書紀』は百八十一の子がいる」と主張し、すり替えた大国主神を真の大国主神だと主張しているのである。

次回は、以前コメントを頂いたたぬきさんとの約束で、猿田毘古神をやるとしよう。

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