「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(66)~すり替えられた大国主神

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『書紀』の大国主神の記述をもう一度見てみよう。


一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千矛神と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す。其の子凡て一百八十一神有す。

 

「曰」という字が、ここでは問題である。
古事記』では、「曰」という字は、あまり使わない。変わりに「白」という字を多用する。
もっとも「白」ばかりではなく、「曰」もある。「曰」と「白」は字体が近い。ならばこの二字は使い分けられていると考えるべきだろう。
ならば「曰」が用いられている記述を紹介しよう。
href="http://sakamotoakiraf.hateblo.jp/entry/2018/08/27/064357">ヤマトタケル開化天皇である(61)~須佐之男命は大国主神になったのか? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で既に紹介した記述である。

ここにその后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて歌ひて曰はく、
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男にいませば うち廻る島の崎々 かき廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男はなし 汝を除て 夫はなし 綾垣の ふはやが下に むし衾 にこがや下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に
寝をしなせ 豊御酒 奉らせ
(八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちになっているでしょう。それにひきかえ、私は女性の身ですから、あなた以外に男はありません、あなたのほかに夫はないのです。綾織の帳のふわふわと垂れている下で、苧(からむし)の夜具のやわらかな下で、栲の夜具のざわざわとなる下で、沫雪ように白い若やかな胸を、栲の綱のように白い腕を、愛撫しからませ合って、わたしの美しい手を手枕として、脚を長々と伸ばしておやすみなさいませ。さあ御酒を召し上がりませ。)

 

href="http://sakamotoakiraf.hateblo.jp/entry/2018/06/23/064720">ヤマトタケル開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、須勢理毘売「命」とは須佐之男命の「妻」である。そして61番で紹介した「八千矛の 神の命 吾が大国主」は「夜知富許能 迦微能美許等夜 阿賀淤富久邇奴斯」で、、丹波系を表す「迦」の字が入っている。
しかし「曰」である。とすれば、「曰」が言ったことの否定と考えるのが妥当だろう。
しかしここには、もう一段深く考える必要がありそうである。
須勢理毘売「命」は須佐之男命の「妻」だが、「妻」とは記紀神話においては「子」や「兄」と同じ、造作された関係である。
そして「その后」、「嫡后」という言葉が出ている。この字は真実の夫婦関係を表しているのではないか?
もしそうならば、前回見たように八千矛神大国主神だから、須勢理毘売「命」と大国主神は真実の夫婦ということになる。須勢理毘売「命」も、名前からは丹波系と判断するしかない。これで須勢理毘売「命」は、須勢理毘売と同一ではないが、同じ丹波系だということができる。
これで、私の仮説に一歩近づいた。
私はワカタケルが兄妹婚をして娘が産まれ、その娘とワカタケルが親娘婚をして産まれたのがヤマトタケル=開化だという仮説を立てて、このブログを書いてきた。
この仮説は、直感でしかない。
須勢理毘売と須勢理毘売「命」も、親娘だと判断する材料はない。しかしそれでも、丹波系の女性が記紀神話に二人登場していること、そして須勢理毘売「命」が近親婚をしている可能性があることまでは証明できたのである。

ただ、ここで問題が生じている。
私はヤマトタケル=開化が日本の最初の統一者だと思っているが、そうであれば大国主神ヤマトタケル=開化だと見るべきだと思う。そしてその配偶者の須勢理毘売「命」がヤマトタケル=開化の母でもあると見るべきである。そして大穴牟遅神の配偶者須勢理毘売を『古事記』は「嫡妻」としている。「嫡妻」である以上「妻」でない、真実の夫婦関係なのだと考えることができる。
しかし須勢理毘売は須佐之男命の「女」であり須勢理毘売の「母」は須勢理毘売「命」ということになる。ワカタケルが大穴牟遅神に相当し、その「嫡妻」が須勢理毘売である以上、ワカタケルはヤマトタケル=開化の「子」に相当する。これでは私の主張と逆になる。
もちろん以上の関係は造作されているので、『古事記』の内容を鵜呑みにする必要はないのだが、ヤマトタケル=開化とワカタケルの関係を明白にする道筋はまだまだ立たない。しかしこれで、私が何度もワカタケルがヤマトタケル=開化の子だと考えた理由の一端は読者諸氏にお見せできたと思う。
そしてまた、大穴牟遅神=ワカタケルとなるとも限らないのである。なぜなら大穴牟遅神の一人称は全て「吾」である。「吾」が出雲系の一人称だとは確定していないが、その可能性が高いと思っている。
ならば「嫡妻」の「嫡」とは何かといえば、フェイクだと考えることができる。「嫡」に意味はなく、真実の夫婦関係は「后」や「娶」などで示されるということである。
とにかく大穴牟遅神の件は後回しにして、ワカタケルが父でヤマトタケル=開化が子だとする仮説を維持して、話を進めていく。

「曰」に話を戻そう。
須勢理毘売「命」の歌は万葉仮名で書かれている。
だから「八千矛」を「夜知富許」、「大国主」を「淤富久邇奴斯」と記述する。
しかし「八千矛」は「夜知富許」ではないし、「大国主」も「淤富久邇奴斯」ではない。そう記述すれば嘘になる。
現状わかっていることは、『古事記』は丹波系のことで嘘は書けないことである。ならば「曰」は「言っていない」と解釈するのが妥当である。事実、『古事記』の歌はほとんど、あるいは全て「曰」である。つまり歌は、ある者の属性が違う者に渡される、あるいはある者の属性を否定する詐術として使われているのである。

ヤマトタケルは開化天皇である(63)~「おれ」は「お前」か? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた「意礼」が大穴牟遅神だとすれば、大国主神としてのヤマトタケル=開化の属性が「意礼」に付け替えられたとこれで解釈できそうである。しかも「意礼」は「二字以音」で、嘘はついていない。また倭健命の熊曾征伐で殺されたのも「意礼」と解釈できそうである。
こうして大国主神は「大国主神」、「八千矛神」の属性を奪われ、大穴牟遅神に「宇都志国玉神」の属性が加えられ、「葦原色許男命」と「謂」われた。
さらに大穴牟遅神は「始めて国を作」ったとされた。別に嘘ではないだろう。日本を統一したわけではないのだから。

『書紀』の大国主神の記述に戻せば、「一書に曰はく」で文章全体に否定を書けている。
「一書」は「一柱」で神や人物一人を表し、「一」で神や人物を表さないのを今までも見てきた。また「一に云はく」という表現もあるので、「一書」は文献の肯定である。
亦の名は大物主神で肯定、「国作大己貴命と号す」で否定であり、他は全て「曰」で肯定している。
『書紀』は大国主神、いや須佐之男命が国を作ったことを否定しているのである。
これは『古事記』の主張が間違いだからではない。丹波系が国を作ったのが出雲系より後であることを示唆するものである。
また『書紀』が嘘を言っているとも言えない。『書紀』の大国主神須佐之男命でなく「意礼」なら、筋は通るのである。
そしてヤマトタケル=開化の「大国主神」としての立場は「意礼」に奪われたのである。
ただし、二重否定でなく、「言っていない」という解釈も可能である。しかしそれは大国主神ヤマトタケル=開化に対する言い訳に過ぎないのだろう。

ところで「其の子凡て一百八十一神有す」とはどういうことだろうか。
それを探るため、次回、国譲りの神話と垂仁天皇の乙訓伝説を見ていこう。

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