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「以音」の意味が分かると、色々なことが分かる。
神生み神話の石土毘古について、「訓石云伊波、亦毘古二字以音、下效此也」とあり、「石は伊波と云うと訓み、亦毘古二字は音を以てす。下此に效(なら)う」と読み下す。
ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+
で、「日子」は「日」の否定で丹波系だと述べたが、「毘古」もまた「毘」が否定されており、「日子」と「毘古」で丹波、出雲が逆転しているのである。そして、ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+
で述べた、伊邪那岐命、伊邪那美命が丹波系であるという前提が崩れた。また後にやるとしよう。
大国主神。亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり。(大国主神。亦名謂二大穴牟遅神一、牟遅二字以音。亦名謂二葦原色許男神一、
色許二字以音。亦名謂二八千矛神一亦名謂二宇都志国玉神一、宇都志三字以音。併有二五名一。
とある。これで、今まで大国主神の神話と言われてきた大穴牟遅神の活躍が、大国主神のものではない可能性が出てきた。
問題は、「併有二五名一
」である。大国主神には「御名」でない五つの名、つまり「仮名」があると考えなければならない。
文脈で判断すれば、大国主神、大穴(牟遅)神、葦原(色許)神、八千矛神、(宇都志)国玉神となる。
しかし「文脈で判断しない」のが『記紀』の読み方である。文中にない名前で「併せて五つの名あり」としている可能性があるのである。
ひとつ例を挙げよう。
『書紀』の大国主神の説明に、
一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千矛神と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す其の子凡て一百八十一神有す。」
と、大国主神の「仮名」が七つになっている。
もうひとつ例を挙げよう。大国主神の子の木俣神について、
「かれその子を名づけて木俣神と云、亦の名を御井神と謂ふ。(故、名二其子一云二木俣神一、亦名謂二御井神一
也。)」
とあり、「云」と「謂」を使い分けているのではないかと考えることができる。そうなると、先の
「訓石云伊波」の「云」をもし否定と考えたとしよう。するとこの一文は無意味な文となる。将来これに意味を見出だす可能性もあるが、現時点では素直に「石を伊波と訓む」としないと先に進めない。
私は「云」が肯定で「謂」が否定だと思っているが、今までと違い、『古事記』の中に決定的な証拠に見つけられないでいる。
ただ例は挙げよう。八俣の大蛇の中から。
「ここに須佐之男命、人その河上にありと以為(おも)ほして、尋ね覚(ま)ぎ上り往きたまへば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣けり。ここに「汝等は誰ぞ」と問ひたまひき。かれ、その老夫答へ言さく、「僕は国つ神大山津見神の子なり僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、女が女は櫛名田比売と謂ふ」とまをしき。」
とある。ちなみに「覚ぎ上り」の「覚」の字は、
そして「童女」が出た。
ヤマトタケルは開化天皇である(62)~倭健命は熊曾健か? - 「人の言うことを聞くべからず」+
で述べた「童女」である。この自己紹介の部分は、「僕名謂
二足名椎一、妻名謂二手名椎一、女女謂二櫛名田比売一。」である。(岩波版では「女が名は櫛名田比売と謂ふ」となっているが、私が講談社版に合わせて修正した。)
よって、『古事記』の大国主神の紹介文は、「名」を「謂」が否定し、さらに「以音」が否定した「牟遅」、「色許」、「宇都志」は大国主神の「御名」でないことになる。
次回、『書紀』の大国主神の話をしよう。
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