「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(64)~「以音」は「字に意味はない」の意味

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古事記』の天津日高日子番能邇邇芸能命と木花之佐久夜毘売の話を見ていこう。

ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ」とまをしき。また「汝の兄弟ありや」と問ひたまへば、「我が姉、石長比売あり」と答へ白しき。ここに「吾汝に目合せむと欲ふは奈何(いか)に」と詔りたまへば、「僕はえ白さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ」と答へ白しき。かれ、その父大山津見神に乞ひに遣はしたまひし時、いたく歓喜びて、その姉石長比売を副へ、百取の机代の物を持たしめて、奉り出しき。かれここに、その姉はいと凶醜(みにく)きによりて、見畏みて返し送り、ただその弟木花之佐久夜毘売を留めて、一宿婚したまひき。

 

「ここに『誰が女ぞ』と問ひたまへば、答へ白さく、『大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ』とまをしき」は「爾問誰女、答‐白‐之、大山津見神之女、名神阿多都比売、此神名以音。亦名謂木花之佐久夜毘売此五字以音。」
である。
「答‐白‐之」とあるのは、「答え白していない」という意味である。
この場合、2つの意味が考えられる。
ひとつは「美人」のセリフが肯定、または否定の意味を持っていようと、「そのようなことは言っていない」という意味。
もうひとつは、セリフ内の肯定、否定の語を否定するという意味である。
他に2つ指摘することがある。
「名」という字が使われている場合、それはその人物の本当の名前を意味しない。
古事記仲哀天皇の条の気比大神のエピソードにも、伊奢沙和気大神之命が「吾が名を御子の御名に易へまく欲し(以吾名御子之御名)」という。これで実際に名前を替えていないこともわかる。人物の真実の名前は「御名」である。
もっとも「仮名」としての「名」はあり得ると思っているが、その場合でも「名」は否定の意味を失っていないと、現時点では考えている。
問題は、「此五字以音」である。「此五字以音」が「音で読む」、つまり「字に意味はない」と解釈すべきかどうか。
「字に意味はない」なら、このあとの「木花之佐久夜毘売」は「美人」とは別人になる。
なお神阿多都比売にも「此神名以音」とあるが、この場合は「此五字以音」と違い、「神名」で二重否定と考えるべきだろう。「名は神阿多都比売」と合わせて三重否定、「答‐白‐之」と合わせれば肯定とも考えられる。
「木花之佐久夜毘売」はセリフ内では肯定、「答‐白‐之」と合わせて否定だが、問題は「謂」である。だがこの問題は次回に回す。

この後の下りを見てみよう。石長比売が送り返された件についての話は省く。

かれ、後に木花之佐久夜毘売参出て白さく、「妾は妊身みて、今産む時になりぬ。この天つ神の御子は、私に産むべからず。かれ請す」とまをしき。ここに詔りたまはく、「佐久夜毘売一宿にや妊める。これわが子には非じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。ここに答え白さく、「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿の内に入り、土以ちて塗り塞ぎて、産む時にあたりて、火をその殿につけて産みき。かれ、その火の盛り、燃ゆる時に生みし子の名は、火照命。こは隼人阿多君の祖なり。次に生みし子の名は、火須勢理命、次に生みし子の名は、火遠理命、亦の名は天津日高日子穂穂手見命三柱

 

「佐久夜毘売」が「木花之佐久夜毘売」でないことにこだわるのは、それほど意味はないと思う。「木花之」で「木花」が否定されているからで、同一と断定できなくても、別人の可能性を考える必要性が生じていないと判断すべきである。
「この天つ神の御子は、私に産むべからず」は「是天神之御子、私不産」で「天つ神でない御子」である。「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」は「吾妊之子、若国神之子者、産不レ幸、若天神之御子者幸」で、「孕んでない『子』は、もし国つ神の『子』でないなら幸あり、天つ神の御子でないなら幸なし」となり、どちらにしても国つ神の「御子」である。
「産」と「生」はどうやら使い分けているようで、本来血縁関係にない者を出産する場合に「生」が使われるようである。
三柱の神の出産についてだが、「其火盛焼時、所生之子名、火照命此者隼人阿多君之祖。次生子名、火須勢理命須勢理三字以音。次生子御名、火遠理命。亦名、天津日高日子穂穂手見命三柱」となり、大変ややこしい。火照命は「生んでない『子』」である。つまり木花之佐久夜毘売の真実の子である可能性がある。
他二人は「生みし子」だが、火須勢理命は「須勢理」の三字を音で読み、「名」と合わせて「御名」と考えることができる。つまり須勢理毘売の真の近親婚者である。そして火遠理命講談社と違い「御名」である。これはまだ検証段階だが、「遠」の字が否定を表していると考えている。
こうして三柱の神は国つ神の「御子」だが、天つ神の「名」を与えられた。
木花之佐久夜毘売は国つ神の子を「生んだ」、または「産んだ」が、一人称を「妾」、または「吾」と言うのは、木花之佐久夜毘売が天つ神である可能性を生じさせるためである。
現実にはそうでない可能性が高いが、「美人」と木花之佐久夜毘売が同一だろうが別人だろうが、大山津見神の娘としての木花之佐久夜毘売の記述はないのである。

次回、再度大国主神の話に戻ろう。

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