「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(62)~倭健命は熊曾健か?

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古事記』の倭健命の熊曾征討を見てみよう。
読み下し文①。


天皇小碓命に詔りたまはく、「何とかも汝の兄は朝夕の大御食に参出来ざる。専ら汝ねぎ教え諭せ」とのりたまひき。かく詔りたまひて以後、五日に至るまでなほ参出ざりき。ここに天皇小碓命に問ひたまはく、「何とかも汝の兄は、久しく参出ざるもし未だ誨へずありや」ととひたまへば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしき。また「如何かねぎつる」と詔りたまへば、答へて白さく、「朝曙に厠に入りし時、待ち捕へ掴み批(う)ちて、その枝を引き闕きて、薦に嚢みて投げ棄てつ」とまをしき。
ここに天皇、その御子の健く荒き情を惶みて詔りたまはく、「西の方に熊曾健二人あり。これ伏はず礼旡(な)き人等なり。かれ、その人等を取れ」とのりたまひて遣はしき。この時に当りて、その御髪を額に結はしき。ここに小碓命、その姨倭比売命の御衣・御裳を給はり、剣を御懐に納れて幸行でましき。かれ、熊曾健の家に至りて見たまへば、その家の辺に軍三重に囲み、室を作りて居りき。ここに御室楽(みむろうたげ」せむと言ひ動(とよ)みて、食物を設(ま)け備へたり。かれ、その傍を遊び行きて、その楽の日を待ちたまひき。

 

今までにも変換できない漢字があったが、今回より変換できなかった漢字の画像を貼ることにする。現状必要ではないが、不正確であり、今後必要になる可能性があると考えているからである。「待ち捕へ掴み批(う)ちて」の「掴」の字の画像。

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いくつか確認しよう。「ここに天皇、その御子の健く荒き情を惶みて」は、「於天皇、惶其御子之健荒之情而詔之」で、「その御子でない健く荒くない情を惶みて詔らず」と読む。「其御子之健荒之情」は二重否定ではないかと思う読者もいると思うし、私にも迷いがあるが、ここで二重否定にする意味がないのでそう読まないでおく。景行天皇は「御子」でない者を恐れたのである。
そして「熊曾健二人」とは、同名の者が二人いるということで、この二人が兄弟だとは言っていない。さらに「その御髪を額に結はし」たのは、前文の主語を引き継いで景行天皇である。
読み下し文②。

ここにその楽の日に臨みて、童女の髪の如その結はせる御髪を梳り垂り、その姨の御衣御裳を服し、既に童女(をとめ)の姿に成りて、女人の中に交り立ちて、その室の内に入りましき。ここに熊曾健兄弟二人、その嬢子(をとめ)を見感でて、己が中に坐せて盛りに楽しつ。かれ、その酣なる時に臨み、懐より剣を出し、熊曾の衣の衿を取りて、剣をその胸より刺し通したまひし時、その弟健畏みて逃げ出でき。すなはち追ひてその室の端の本に至り、その背の皮を取りて、剣を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾健白言さく、「その刀をな動かしたまひそ。僕白言すことあり」とまをしき。ここに暫し許して押し伏せたまひき。

 

「すなはち追ひてその室の端の本に至り」の「端」の画像。

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童女の髪の如その結はせる御髪を梳り垂り」は「如童女之髪_、梳垂其結御髪」、「その姨の御衣御裳を服し、既に童女の姿に成りて」は「服姨之御衣御裳、既成童女之姿一」である。主語は小碓命だから、小碓命童女、そして倭比売命であることが否定されているのである。すると「御髪を額に結」ったのは、「童女」の姿になるためではないかという推測が可能になる。
そしてこの後「童女」ならぬ「嬢子」が登場する。この「嬢子」を呼んだのは「熊曾健兄弟」で熊曾健ではない。「兄弟」だから『古事記』のルールで血のつながりもない者である。
「懐より剣を出し、熊曾の衣の衿を取りて、剣をその胸より刺し通したまひ」たのは誰だろう。前文の主語を引き継いで、「熊曾健兄弟」であるべきだろう。そして「熊曾の衣」は「熊曾之衣」である。熊曾でない者の衿をつかんで刺したのである。
「弟健」が「熊曾健」でないのはもちろんである。「その弟健(其弟健)」とあるので、刺されたのは弟健と見ていいだろう。
この後「熊曾健」が登場する。「僕白言すことあり(僕有白言)」とあるから、熊曾健は丹波系である。
読み下し文③、

ここに「汝命は誰ぞ」と白言しき。ここに詔りたまはく、「吾は、纏向の日代宮に坐しまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり。おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」とのりたまひき。
ここにその熊曾健白さく、「信に然(しか)ならむ。西の方に吾二人を除きて、健く強き人無し。然るに大倭国に、吾二人に益りて健き男は坐しけり。ここをもちて吾御名を献らむ。今より以後は、倭健御子と称(たた)ふべし」とまをしき。このことを白し訖(を)へしかば、すなはち熟瓜の如振り析きて殺したまひき。

 

「纏向の日代宮に坐しまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり」は「坐纏向之日代宮、所大八島、大帯日子淤斯呂和気天皇之御子、名倭男具那王者也」で、景行天皇の「御子」ではない。小碓命の亦の名は「倭男具那命」なので、「倭男具那王」でもない。そして弟健を殺したのは熊曾健である。
それでは熊曾健が倭健命なのかといえばそうではない。「今より以後は、倭健御子と称(たた)ふべし」とあるように、この熊曾健は倭健命ではない。とすると、本当の倭健命は、ここに登場しなかったもう一人の熊曾健の可能性が高い。
この記事を踏まえて、次回、もう一度大国主神の神話を見てみよう。

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