「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(58)~健内宿禰は女である。

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古事記仁徳天皇の条で、

また一時、天皇豊楽したまはむとして、日女島に幸行しし時、その島に雁卵を生みき。ここに健内宿禰命を召して、歌を以ちて雁の卵を生みし状を問ひたまひき。その歌に曰りたまはく、
たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 そらみつ大和の国に 雁卵生むと聞くや
ここに健内宿禰、歌を以ちて語りて曰さく、
高光る 日の御子 うべしこそ 問ひたまへ まこそに 問ひたまへ 吾こそは 世の長人 そらみつ 大和の国に 雁卵生むと いまだ 聞かず
かく白して御琴を給はりて歌ひて曰はく、
汝が御子や 終に知らむと 雁は卵生むらし
こは本岐歌の片歌なり。

 

仁徳が「大和の国に雁が卵を産んだと聞いたことがあるか」と歌で尋ねると、健内宿禰は「聞いたことがない」と答える。そして「汝が御子や 終に知らむと 雁は卵生むらし」という歌で締めくくる。その後「枯野という舟」のエピソードが続き、履中天皇の条になる。 

「終に知らむ」とは次に天皇になることを意味しているとするが、次の履中天皇が「子、伊耶本和気王」とあるように、履中は仁徳の子ではない。

「終」とは仁徳の次を意味しない。 ならば履中は誰の子だろうか。


 『古事記』考元天皇の条では、健内宿禰の「子」についての記述がある。

また木国造の祖宇豆比古の妹、山下影日売を娶して生みし子、健内宿禰。この健内宿禰の子併せて九たり。男七たり、女二たり。 波多八代宿禰は、波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖なり。次に許勢小柄宿禰は、許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖なり。次に蘇賀石河宿禰は、蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・桜井臣・岸田臣の祖なり。次に平群都久宿禰は、平群臣・佐和良臣・馬御杙連臣の祖なり。次に木角宿禰は、木臣・都奴臣・坂本臣の祖なり。次に久米能摩伊刀比売、次に怒能伊呂比売、次に葛城長江曾都毘古は、玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣等の祖なり。また若子宿禰は、江野間臣の祖なり。

 

「この健内宿禰の子」は「此健内宿禰之子」なので、子供は皆「御子」である。

しかし 子供の数は柱で数える。「併せて九たり」とは、健内宿禰の「御子」は9人ではないことを意味する。 それにしても9人も「子」がいて、配偶者の記述が一人もないのは、健内宿禰くらいである。 


次に、仲哀天皇の条の、仲哀天皇が死ぬ場面を見てみよう。 

「その大后息長帯日売命は、当時帰神したまひき」 と始まるこの記述では、「帰神」を「かむがかり」と読んでいる。

しかしこれは「神に帰る」と読むべきだろう。天の石屋戸の記述でも、天宇受売命は「神懸りして」とある。息長帯日売命は「神が乗り移った」のではなく「神」なのである。

 仲哀天皇が死ぬところを飛ばして、その後を見てみよう。

ここに驚き櫂ぢて、殯宮に坐せまつりて、更に国の大ぬさを取りて、生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚の罪の類を種々求ぎて、国の大祓をして、また健内宿禰沙庭に居て神の命を請ひき。ここに教へ覚したまふ状、具に先の日の如く、「凡そこの国は汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国ぞ」とさとしたまひき。
ここに健内宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の腹に坐す御子は、何れの子にか」とまをせば、「男子なり」と答へて詔りたまひき。

 

「その神の腹に坐す御子は、何れの子にか」は「坐其神腹之御子、 何子歟」である。しかし「凡そこの国は汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国ぞ」は「凡此国者、坐汝命御腹之御子、所 治国者也」で、文中の「之」は読み下しできない字である。

そして「汝命」とは、息長帯日売命のことではなく、健内宿禰のことである。

 「御腹」を「之」が否定しており、「国を知らす」のは健内宿禰の「御子」ではない。

しかし「その神の腹に坐す御子」とは、息長帯日売命の「御子」でもないのである。身体の部所にも「御」がなければ、その人物の身体を指していない。だから「腹」は、息長帯日売命の「御腹」ではない。そして健内宿禰の「御腹」に「御子」がいることを、『古事記』は否定していないのである。

 これで、健内宿禰に配偶者の記述がない理由がわかった。

健内宿禰が女性である、少なくともそう読んで欲しいから、『古事記』は配偶者の名前を記述しなかったのである。 

そして健内宿禰の「御子」が伊耶本和気王と読んで欲しいのが、『古事記』の目論見である。以前述べたように、葛城之曽都毘古を「御子」としたところは訂正しなければならない。 


他に、最近二つの発見があった。それを述べるため、次回、大国主の神話に触れるとしよう。 


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