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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(42)~平群志毘と目弱王

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

吉備品遅部雄鮒に該当しそうな人物として、平群志毘が挙げられる。
古事記清寧天皇条で、顕宗天皇が即位する前に、菟田首の娘の大魚(おふを)を巡って志毘と争い、顕宗が志毘を殺す。『書紀』ではこの争いは、武烈天皇平群鮪(志毘)との争いになっており、大魚も物部麁鹿火の娘、影媛になっている。
『書紀』の話は、また後にしよう。
鮪とは小魚であり、大魚との関係は親子関係を暗示していると解釈できる。しかし魚であっても、鮒と特定はできない。
『書紀』では、「影媛は真鳥大臣の子の鮪に犯されていた。」とあるが、『古事記』では、志毘と大魚の性的関係は記載されていない。

平群臣の祖、名は志毘臣、歌垣に立ちて、その袁祁命の婚はむとしたまふ美人(をとめ)の手を取りき。

 

とあるのみである。また顕宗の歌に、

塩瀬の 波折りを見れば 遊び来る 鮪が端手に 妻立てり見ゆ
(潮の流れる早瀬の、波が幾重にも折重なって立っている所を見ると、迷いこんで来た鮪のひれのところに、妻が立っているのがみえる。)

 

とある。平群志毘が鮪なら、『古事記』も平群鮪と表記するだろう。また顕宗は、大魚を妻と言っている。
また、

大魚よし 鮪突く海人よ しがあれば 心恋(うらごほ)しけむ 鮪突く鮪
(鮪を銛で突く海人よ、その鮪が遠ざかって言ったら、さぞ恋しいことだろう。鮪を突くシビノ臣よ)

 

と顕宗が歌っている。訳は次田真幸の訳をそのままのせたが、「鮪突く鮪」と後の方の鮪を平群志毘と解釈できない以上、鮪はむしろ顕宗のことである。
吉備品遅部雄鮒に一番近いのは、顕宗である。

他にも鮒や魚に関する名前は『記紀』に登場するが、その紹介は後回しにしよう。
魚を離れて、次に安康天皇を殺した目弱王の記事を紹介しよう。
目弱王は大日下王と長田大郎女の子で、安康が大日下王を殺し、長田大郎女を皇后とする。
しかし七歳の時、安康が父を殺したのを知り安康を殺す。その後都夫良意富美(つぶらおほみ)の家に逃げるが、大長谷王子(後の雄略)にその家を軍勢で囲まれ、都夫良意富美と共に死んだと言う。
果たしてそうか。『古事記』を見てみよう。


ここにその殿の下に遊べる目弱王、この言を聞き取りて、すなはち天皇の御寝しませるを窃かに伺ひて、その傍の太刀を取りて、すなはちその天皇の頸を打ち斬りて、都夫良意富美の家に逃げ入りき。

 

とあり、確かに都夫良意富美の家に逃げている。しかし、雄略が軍を興すと、

また軍を興して都夫良意美の家を囲みたまひき。

 

と、都夫良意富美が都夫良意美になっている。

ここに都夫良意美、この詔命を聞きて自ら参出で、佩ける兵を解きて、八度拝みて白さく、
「先の日問ひたまひし女子、訶良比売は侍はむ。また五処の屯宅(みやけ)を副へて献らむ。しかるにその正身(ただみ)参向はざる所以は、往古より今時に至るまで、臣連の王の宮に隠ることは聞けど、未だ王子の臣の家に隠りまししことは聞かず。是を以ちて思ふに、賤しき奴意美は力をつくして戦ふとも更に勝つべきこと無けむ。然れども、己を恃みて陋(いや)しき家に入り坐しし王子は、死ぬとも棄てまつらじ」とまをす。
かく白して、またその兵を取りて還り入りて戦ひき。ここに力窮まり矢尽きぬればその王子に白さく、「僕は手ごとごとに傷ひ、矢もまた尽きぬ。今は得戦はじ。如何にせむ」と目をしき。その王子答えて詔りたまはく、「然らば更に為むすべなし。今は吾を殺せよ」とのりたまひき。かれ、刀を以ちてその王子を刺し殺し、すなはち己が頸を切りて死にき。

 

ここに登場する「王子」は、一度も目弱王と呼ばれていない。しかも「王子」と呼ばれた人物は、『古事記』では即位前の雄略以外には見当たらない。
目弱王は殺されていない。
目弱王は何者か?
次回、海幸山幸神話から検証する。

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