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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(39)~出雲系の男が丹波系の女に殺された可能性について②

印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)は『古事記』では、

鳥取の河上宮に坐して、横刀壱仟口(たちちふり)を作らしめ、これを石上神宮に納め奉り、すなはちその宮に坐して河上部を定めたまひき。

 

と書かれている。印色入日子
石上神宮について、『書紀』の記述を見てみよう。

(垂任)三十九年冬十月、五十瓊敷命は、茅渟(和泉の海)の菟砥の川上宮においでになり、剣一千口を造らせられた。よってその剣を川上部という。またの名を裸伴という。石上神宮に納めた。この後に五十瓊敷命に仰せられて、石上神宮の神宝を掌らせられた。

 

とある。「鳥取の河上宮」から「茅渟の菟砥の川上宮」に変わっている。「河上」から「川上」に変わっていることにも注意すべきだろう。
次に異説が紹介される。

ーーある説によると五十瓊敷皇子は、茅渟の菟砥の河上においでになり、鍛冶の名は河上という者をおよびになり、太刀ー千口を造らせられた。この時に楯部、倭文部(しとりべ)、神弓削部、神矢作部、大穴磯部、泊橿部、玉作部、神刑部、日置部、太刀佩部など十種の品部(とものみやつこ)を、五十瓊皇子に賜った。その一千口の太刀を忍坂邑に納めた。その後、忍坂から移して石上神宮に納めた。このときに神が「春日臣の一族で、名は市河という者に治めさせよ」といわれた。よって市河に命じて治めさせた。これが今の物部首の先祖である。

 

「ある説によると」で書かれる異伝に、『書紀』の本音がある。鍛冶師の「河上」が丹波系であることが、これによってわかる。十種の品部は、五十瓊敷皇子が河上部を定めた印色入日子命でないことを示している。
この後の文章を見てみよう。

八十七年春二月五日、五十瓊敷命が妹の大中姫に語っていわれるのに、「自分は年が寄ったから、神宝を掌ることができない。今後はお前がやりなさい」といわれた。大中姫は辞退していわれるのに、「私はか弱い女です。どうしてよく神宝を収める高い宝庫に登れましょうか」と。五十瓊敷命は、「神庫が高いといっても、私が梯子を造るから、庫に登るのが難しいことではない」と。諺にもいう「天の神庫は樹梯(はしたて)のままに」というのはこれがそのもとである。そして大中姫命は、物部十千根大連に授けて治めさせられた。物部連が今に至るまで、石上の神宝を治めているのは、これがそのもとである。

 

ここで大中姫が登場する。先の異伝で「忍坂」がでたので、允恭天皇の皇后の忍坂大中姫と解することもできる。
なお、先の異伝で春日臣が治めていた石上神宮の神宝を、物部氏が治める話に変わっている。これを見る限り、神宝を治める役割は物部氏でないことになる。
この後、以下の文が続く。

昔、丹波国の桑田村に名を甕襲という人がいた。甕襲の家に犬がいた。名を足往という。この犬は山の獣むじなを食い殺した。獣の腹に八尺の勾玉があった。それを献上した。この宝はいま石上神宮にある。

 

一見五十瓊敷入彦とは無関係な記述のようだが、ここまでで一くくりと見るべきである。
先に大中姫が出たのは、足往という犬に繋げるためである。
丹波の桑田というのは、

ヤマトタケルは開化天皇である(33)~磐之姫の正体 - 「人の言うことを聞くべからず」+

に登場した玖賀媛の出身地である。玖賀媛が足往=大中姫というストーリーを『書紀』は作り上げている。
ここで問題なのは、大中姫が「姫」表記で、出雲系であることを示していることである。ならば出雲系の姫が丹波系の男を殺したのか?
そうではない。これは丹波系の人物の事績を出雲に渡そうとしているのである。ならば『磐之姫の正体』の磐之姫は出雲系ではなかったか?
本当は丹波系である。次回、訂正が入る。


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