「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(38)~出雲系の男が丹波系の女に殺された可能性について①

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おそらく出雲系の男が、丹波系の女に殺された可能性がある。
その痕跡も『記紀』には残されている。
有名なのは、ヤマトタケルが童女に変装して、クマソタケルを殺した話だろう。
また安康天皇が皇后長田大郎女(『書紀』では中蒂姫)の連れ子の目弱王に殺される。『古事記』では目弱王は七歳とある。幼児が人を殺すのは考えにくいので、これも女が殺した話が変形したと考えることもできる。
またこんな話もある。


また一説によると、新羅王ををとりこにして海辺に行き、石の上に腹ばわせた。その後、斬って砂の中に埋めた。一人の男を残して、新羅における日本の死者として帰還された。その後新羅王の妻が、夫の屍を埋めた地を知らないので、男を誘惑するつもりでいった。「お前が王の屍を埋めたところを知らせたら、厚く報いてやろう。また自分はお前の妻となろう」と。男は嘘を信用して屍を埋めたところを告げた。王の妻と国人とは謀って男を殺した。さらに王の屍を取り出してよそに葬った。そのとき男の屍をとって、王の墓の土のそこに埋め、王の棺の下にして、「尊いものと卑しいものとの順番は、このようなのだ」といった。
天皇はこれを聞いてまた怒られ、大兵を送って新羅を滅ぼそうとされた。軍船は海に満ちて新羅に至った。このとき新羅の国人は大いに怖れ、皆で謀って王の妻を殺して罪を謝した。

 

この話は、神功皇后新羅征伐の話の異説として記されている。
新羅丹波系とすれば、王の妻に殺された男は出雲系である。
さらにもうひとつ、気になる記述がある。建波邇安王の反逆のくだりである。『古事記』から見てみよう。


かれ、大毘古命高志国(こしのくに)に罷り往きし時、腰裳服(け)せる少女、山代の幣羅坂に立ちて歌いて曰はく、
御真木入日子はや 御真木入日子はや 己が緒を 盗み殺せむと 後つ戸よ い行き違ひ 前つ戸よ い行き違ひ 窺はく 知らにと 御真木入日子はや
(御真木入日子はまあ、御真木入日子はまあ。自分の命をひそかにねらって殺そうとする者が、人が来ると後の戸から行き違い、前の戸から行き違いして、こっそりと伺っているのも知らないで、御真木入日子はまあ)
とうたひき。ここに大毘古命あやしと思ひて、馬を返してその少女に問ひて曰はく、「汝が謂ひし言は何の言ぞ」といひき。ここに少女答へて曰はく、「吾は言(ものい)はず。ただ歌を詠ひしのみ」といひて、即ちその所如も見えずて忽ち失せにき。

 

この後、大毘古は崇神に報告し、少女の歌を建波邇安王の反逆の兆候と解釈する。
次に、『書紀』の同じところを見てみよう。


崇神十年九月)二十七日、大彦命は和珥の坂についた。とき少女がいて歌っていた。
御間城入彦はや 己が夫を 弑せむと 盗まく知らに 姫遊びすも

 

「己が夫」とあるのが気になる。『古事記』では「己が緒」とあり、緒は「玉の緒」の意味で命のことだと、講談社の『古事記』の注釈にある。しかし『書紀』では、この部分は女性に語りかけている。そして後半は、崇神が女性と戯れているところを狙われていると見ることができるが、この部分は男に語りかける内容であり、前半と矛盾する。
古事記』では幣羅坂、『書紀』では和珥坂となっているのも気にかかる。
この点について、まだ深入りしないでおこう。
ただ、崇神に仮託して、何物かの暗殺に女性が関与しているのが、ここから察することができる。

ここで、崇神の名前に注目しよう。
崇神の和風諡号は『古事記』では御真木入日子印恵命である。
『書紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇である。
『書紀』の和風諡号にある「五十瓊」から連想されるのは、垂任天皇の皇子で景行天皇の兄である五十瓊敷入彦である。
五十瓊敷入彦は、石上神宮
太刀千口を納めたことで知られている。また『書紀』では、垂任に「何が欲しいか」と尋ねられ、五十瓊敷命が「弓矢が欲しいです」と答え、景行が「天皇の位が欲しいです」と答えたため、景行が天皇になった経緯が記載されている。
石上神宮に太刀を納めた件について、『書紀』は異説を伝えている。


ある説によると、五十瓊敷皇子は、茅渟の菟砥の河上においでになり、鍛冶の名は河上という者をおよびになり、太刀一千口を造らせられた。この時に楯部、倭文部(しとりべ)、神弓削部、神矢作部、大穴磯部、泊橿部、玉作部、神刑部、日置部、太刀佩部など合わせて十種品部(とものみやつこ)を、五十瓊敷皇子に賜った。その一千口の太刀を忍坂邑に納めた。その後、忍坂から移して石上神宮に納めた。

 

ここで忍坂がでた。この五十瓊敷皇子はヤソタケルである。
私は五十瓊敷入彦、五十瓊敷命、五十瓊敷皇子と、三つの表記を使ったが、この表記は『書紀』によるものである。

ヤマトタケルは開化天皇である(24)~飯豊皇女は三人いる - 「人の言うことを聞くべからず」+

の中で、「イリ」の名を持つ者を丹波系、「ワケ」の名を持つ者を出雲系としたが、五十瓊敷入彦と表記される場合は丹波系であり、五十瓊敷命、五十瓊敷皇子とある場合は出雲系である。だから御間城入彦五十瓊殖天皇も、御間城入彦が丹波系、五十瓊殖が出雲系を現す。
次回、五十瓊敷入彦を見ていこう。


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