「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(36)~ヤソタケル、兄磯城、長髄彦

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ヤマトタケルは開化天皇である(35)~神武東征からワカタケルに迫る① - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、『書紀』には磯城のヤソタケルと、赤銅のヤソタケルの二人のヤソタケルが登場する。
今までのパターンから、二人のヤソタケルはそれぞれ丹波、出雲の系列の人物と考えられる。
磯城のヤソタケルの磯城は、「師木の水垣宮」「師木の玉垣宮」で「天の下治らしめ」た崇神、垂仁を思わせるので、磯城のヤソタケルが丹波系と考えていいだろう。
次に赤銅(あかがね)のヤソタケルだが、『記紀』では他に赤銅が出てくる箇所が見つからない。しかし白銅(ますみ)ならある。『書紀』の神世・神生みの異伝第一に、

伊弉諾尊のいわれるのに「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」とおっしゃって、そこで左の手で白銅鏡をおとりになったときに、お生まれになった神が大日孁尊(おおひるめのみこと、天照大神のこと)である。右の手で白銅鏡をおとりになったとき、お生まれになった神が月弓尊である。また首を回して後をごらんになった丁度そのときに、お生まれになったのが素戔嗚尊である。

 

とある。スサノオは白銅鏡によって生まれていないので、赤銅が出雲系を指すと思われる。
以上を踏まえて見ていこう。

そのころ国見丘の上に、八十梟帥がいた。女坂には女軍を置き、男坂には男軍を置き、墨坂にはおこし炭をおいていた。女坂・男坂・墨坂の名はこれから起きた。また兄磯城の軍は磐余(いわれ)の邑にあふれていた。

 

『書紀』の神武東征の記述である。
兄磯城の弟の弟磯城は神武に帰順し、

「わが兄の兄磯城は、天神の皇子がおいでになったと聞いて、八十梟帥を集めて、武器を整え決戦をしようとしています。速やかに準備をすべきです」

 

と神武に進言する。ここに倒したはずのヤソタケルが再び登場する。
次に椎根津彦が、

「今はまず女軍を遣わして、忍坂の道から行きましょう。敵はきっと精兵を出してくるでしょう。こちらは強兵を走らせて、直ちに墨坂を目指し、宇陀川の水をとって、敵軍が起こした炭の火にそそぎ、驚いている間にその不意をつけば、きっと敗れるでしょう」

 

と進言する。女軍を遣わすのはヤソタケルであり、墨坂に炭を置いているのもヤソタケルである。敵味方両方がヤソタケルになっている。
そして、

はたして男軍が墨坂を越え、後方から夾み打ちにして敵を破り、梟雄(たける)兄磯城を斬った。

 

とある。男軍を神武が使い、ヤソタケルになっている。また梟雄兄磯城とあることで、兄磯城もヤソタケルになったことがわかる。

結論から言えば、磯城のヤソタケルと兄磯城は丹波系である。『書紀』は兄磯城の軍勢を磐余の地に置き、イワレヒコである神武と重ね、忍坂の大室で殺したことにした。
しかしこの捏造は、『書紀』もはっきりと書くことができなかった。そのために殺したのをヤソタケルの残党とした。こうしてヤソタケルと磯城のヤソタケル、兄磯城を徐々に習合させていき、丹波系の人物が殺される話に作り替えていった。

それではナガスネヒコはどうかと言えば、『古事記』は最初に「登美の那賀須泥毘古」と記し、その後登美毘古とのみ書いている。一方『書紀』は、


長髄というのはもと邑の名であり、それを人名とした。

 

とある。登美毘古と長髄彦は違う。登美の那賀須泥毘古とは、登美毘古と長髄彦を同一に見せかけた虚構の名前である。
鳥見の戦いで金色の鵄が飛来し、長髄彦の軍勢がその光に眩惑されて、神武が勝利する。金色の鵄にちなんで、その地が鳥見と名付けられる。鳥見は鳥見だろう。長髄彦に勝ったのは登美毘古である。

次回、登美毘古と、神武東征以外にヤソタケルが登場する場面がある。それらを見ていこう。


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