読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(35)~神武東征からワカタケルに迫る①

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

市辺忍歯王がヤマトタケル=開化の子であるなら、『記紀』にあるように、ヤマトタケル=開化の子は殺されたと思っていた。
しかし、殺されたのは丹波系のヤマトタケル=開化の子ではなく、出雲系の人物であることがわかってきた。
ここで、

ヤマトタケルは開化天皇である(25)~飯豊皇女と「ハエ媛」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で紹介した、允恭天皇の皇后忍坂大中姫が、ヤマトタケルの系譜の大中姫に対応することから、允恭天皇を見てみよう
允恭天皇の和風諡号は、『古事記』では男浅津間若子宿禰天皇(おあさづまわくごのすくねのすめらみこと)『書紀』では雄朝津間稚子宿禰天皇である。奇異の感があるのは、諡号宿禰というカバネが入っていることと、「若子」という早世を思わせる語があることである。
ならば『書紀』に何歳で死んだと書いてあるかというと、

四十二年春一月十四日、天皇が亡くなられた四十二年春一月十四日、天皇が亡くなられた。年は若干であったーー七十八歳というーー

 

古事記』にも、「天皇の御年、漆拾捌歳(ななそぢあまりやとせ)」とある。
人を愚弄するような『書紀』の記述だが、『古事記』と『書紀』の享年が同じであるのは、事実であるか『古事記』と『書紀』の共謀であるかのどちらかである。
事実ならば丹波系のヤマトタケル=開化の子の享年であり、共謀ならば出雲系の人物の寿命を長くしたことになる。
真実はおそらく両方で、二人の人物を習合したうえで、変換したのだろう。二人のうち一方は殺された方で、もう一方は殺した方である。
とすると、論理的には長寿ののちに殺された可能性があるとしても、ヤマトタケル=開化の子は自然死したと考えた方がいい。

そろそろ、ヤマトタケル=開化の子に、便宜上の名前をつけよう。
このシリーズでは、ヤマトタケル=開化の子をワカタケルとする。その理由は、ヤマトタケルの系譜にあるヤマトタケルの子がワカタケルだからである。
ワカタケルというと、雄略天皇を連想しがちで、雄略の父の允恭をヤマトタケル=開化の子と見立てた後では不似合いの感があるが、神話の世界では父と子、敵同士が習合し、分化するのが難しくなっている。ただ前回の雄略がシシを殺す話は、私はヤマトタケル=開化の子の話だと思っている。
ワカタケルの子については、適宜な名前を考えている。話を先に進めよう。

ワカタケルが出雲系の人物を殺したことについて、もっと証拠を固めていきたい。そのため、もう一度神武東征を見て行きたい。

神武東征で神武が戦った敵は、エウカシ、ヤソタケル、エシキ、ナガスネビコで、うちナガスネビコとエシキに神武が勝った様子がないことは

ヤマトタケルは開化天皇である⑤~神武東征、オオクニヌシの国譲りから見る『古事記』の「和」の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた。
ただしこれは、『古事記』の話である。『書紀』ではどうなっているか。
まずエウカシから。神武は八咫烏を遣わして、エウカシに帰順を求めたが、『古事記』ではエウカシは鳴鏑を放って八咫烏を追い返している。
鳴鏑を放ったことから、エウカシが大山咋であることがわかる。ただし『書紀』では、エウカシは鳴鏑を放っていない。
エウカシは戦おうとしたが、皇軍に敵し難いと思い、御殿を造り皇軍をもてなすふりをして密かに仕掛けを作った。その仕掛けを見破られ、自ら仕掛けにかかって死ぬ。ここは『記紀』共通である。
次にヤソタケルだが、ヤソタケルの場合は逆に、神武の方が忍坂に大室を造り、ヤソタケルの軍勢をもてなすふりをして、宴の最中に皇軍がヤソタケルの軍勢に斬りかかって皆殺しにする点で『記紀』共通である。しかし『書紀』の方は、そこに至る経緯が大部違う。

そのころ国見丘の上に、八十梟帥(ヤソタケル)がいた。女坂には女軍を置き、男坂には男軍を置き、墨坂にはおこし炭をおいていた。

 

エウカシの弟、オトウカシが神武に、

倭の国の磯城邑に、磯城の八十梟帥がいます。また葛城邑に、赤銅の八十梟帥がいます。この者たちは皆天皇にそむき、戦おうとしています。

 

と言う。ヤソタケルが二人いるのである。
こののち、皇軍は国見丘でヤソタケルを斬る。二人のヤソタケルのうちのどちらかは記載されていない。
まだヤソタケルの残党がいたので、皇軍は忍坂に大室を造り、酒宴を催し騙し討ちにする。
その課程で、皇軍がいくつか歌を歌うが、その後の文が異様である。

これは皆密旨をうけて歌ったので、自分勝手にしたことではない。

 

と『書紀』は言う。言い訳がましいが、実は神武に責任を負わせているのである。
まるで討ってはならない人物を討ったような文章だが、この残党に、首領のヤソタケルがいたとは書かれていない。
次回、ヤソタケルの正体と、エシキ、ナガスネビコに迫っていこう。


メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。