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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(31)~新羅の王?仁徳天皇

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

古事記』では、アメノヒボコの神話は応神天皇の条にある。応神崩御の記事の後に、アメノヒボコの神話があるのである。


また昔、新羅の国王(こにきし)の子ありき。

 

アメノヒボコの記事は始まっているので、アメノヒボコの話は応神崩御後の話ではない。応神より昔の話である。
アメノヒボコは日本に渡り、多遅摩(但馬)に土着する。
そしてアメノヒボコの記事の後に、秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)と春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の話がある。



かれ、この神の女(むすめ)、名は伊豆志袁登売(イヅシオトメ)神坐しき。

 

と、この記事は始まる。「この神」とは、但馬の伊豆志(出石)神社の神である。
秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫は兄弟である。
多くの男がイヅシオトメと結婚したいと思ったが、誰も結婚できなかった。秋山之下氷壮夫も失敗した。兄は弟に、
「汝(な)はこの嬢子(をとめ)を得むや」
と尋ねると、
「易く得む」
と弟は答える。「簡単だ」と言うのである。
兄は弟の答えを聞いて、酒や山や河の産物を賭けた。
以上のことを弟が母に伝えると、母はすぐに藤の蔓を取ってきて、それで上衣、袴、襪、沓を織り、また弓矢を作った。それを弟に着せ、弓矢を持たせてイヅシオトメの家を弟を行かせた。すると衣服や弓矢は全て藤の花になった。
弟は弓矢をイヅシオトメの家の厠に掛け、イヅシオトメが不審に思って弓矢を持って家に入ろうとしたときに、弟は後をつけてイヅシオトメと契り、一人の子が生まれた。

問題は、なぜこの神話が、『古事記』の応神天皇の条の最後にあるのかである。
それは、秋山之下氷壮夫、春山之霞壮夫、イヅシオトメがそれぞれ何物かわかることで理解できる。なお、イヅシオトメはアメノヒボコの子ではない。『古事記』には、アメノヒボコが持ってきた八種の神宝を「伊豆志の八前の大神」と言っており、出石神社にアメノヒボコが祀られているとは書いていない(現在の出石神社には、アメノヒボコが祀られている)。イヅシオトメは鏡や玉などの「神宝」の娘である。

イヅシオトメが秋山之下氷壮夫、春山之霞壮夫それぞれと結婚した場合、イヅシオトメが何物になるか考えてみよう。
秋山之下氷壮夫、春山之霞壮夫はそれぞれ秋の神、春の神である。ならば秋の神、春の神が誰かを考えてみればいい。
秋の神は、シナツヒコという。対になる女神もいて、シナツヒメという。つまりイヅシオトメはシナツヒメとなる。これはわかりやすい。
問題は春の神である。これは対応する男神がいない。
しかし女神はいる。佐保姫という。
佐保姫と同じ。サホヒメと呼ばれる人物がいる。垂仁天皇の皇后の沙本比売である。ただ、両者は無関係とされる。
これが関係あるとすればどうか。沙本比売には同じ名前の兄の沙本毘古がおり、沙本毘古が春山之霞壮夫に対応する。
佐保姫と沙本比売が無関係というのは神道の主張なので、私ももう少し補完して説明しなければならない。
シナツヒコに対応する人物が、もう一人いる。それは椎根津彦である。元の名は珍彦(ウズヒコ)で、神武東征の際、海路の道案内をしたものである。シナツヒコとシイネツヒコで、語感が似ている。
以上は『書紀』の内容で、シイネツヒコは『古事記』では棹根津日子となっている。名前の由来は、神武天皇の棹をさし渡して船に引き入れたことにあるのだが、『書紀』ではその棹が椎の木でできていたとされている。『古事記』作成者にとって、シイネツヒコの名前が都合が悪い証左である。
サホヒコは、妹のサホヒメに垂仁天皇を暗殺するように命じ、謀反を起こす。ヤマトタケル=開化の分身的存在でもある垂仁と争うサホヒコは出雲系であり、シナツヒコ=シイネツヒコは丹波系である。
そして、サホヒコとサホヒメの間には子がいる。
いや、二人の間に子がいるとは、どこにも書かれていない。しかしサホヒメと垂仁の間に生まれた子には、本当に二人の子か疑いがあるのである。
古事記垂仁天皇の条は


沙本毘古命の妹、佐波遅比売命を娶して生みましし御子、品牟都和気命(ホムツワケ)。

 

とある。佐波遅比売がサホヒメであるのは、別のところに記載されている。
しかし物語が進行し、サホヒコが謀反を起こし、その課程でサホヒメが生んだ子の名前は本牟智和気(ホムチワケ)なのである。ホムツワケとホムチワケで、名前が違う。
サホヒメは、「もしこの御子を自分の子と思うなら引き取ってください」と言う。ホムチワケが垂仁の子であるのに疑いがかかっている。
『書紀』では佐波遅比売もホムチワケも登場せず、子の名はホムツワケで統一され、「自分の子と思うなら」というくだりもない。
ホムチワケとはサホヒコとサホヒメの間の子であると解釈するのが、一番妥当だろう。

古事記』で応神崩御後にアメノヒボコ秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫のストーリーがある理由は明白である。
応神の後の仁徳天皇はサホヒコの子であり、新羅系の人物であるというのが、『古事記』の主張である。しかしそれは詐称であり、出雲系の丹波系の血筋への憧れを表すものである。

次回は、『書紀』の仁徳がどのように記されているかを見ていこう。


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