「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(24)~飯豊皇女は三人いる

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

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飯豊皇女は、『古事記』では『亦の名』を忍海郎女、青海郎女とある。『古事記』での飯豊皇女は、市辺忍歯王の妹である。
『書紀』では飯豊皇女は、磐坂市辺押磐皇子の娘である。
この推古天皇より前に女帝として即位したのではないかと言われる飯豊皇女が、果たして本当に即位したのかという点も含めて見ていこう。

『書紀』では、顕宗と仁賢の兄弟が皇位を譲り合い、皇位の空位が続いている間、飯豊皇女が仮に朝政をみたとある。
この記述から、飯豊皇女が本当は天皇だったのではないかという説が生まれた。
一方『古事記』では、顕宗と仁顕が皇位を譲り合う記述はない。清寧天皇が死んだあと皇位が空位になった時に、


是に日継知らす王を問ふに、市辺忍歯別王の妹、忍海郎女、亦の名飯豊王、葛城の忍海の高木の角刺宮に坐しき     

 

とある。
この『古事記』の記述も、飯豊皇女が天皇だった証拠だと、研究者は言う。しかし私はこの研究者の見解に賛同しない。『書紀』は飯豊皇女は天皇だったことを暗示しているが、『古事記』はそうではない。

まず、確認しなければならないことがある。
古事記』の飯豊皇女の初出は、『履中記』で、市辺忍歯王の妹、青海郎女、亦の名を飯豊郎女とある。
次が『顕宗記』で、先の文章のところである。ここでは市辺忍歯別王とあり、市辺忍歯王ではない。飯豊皇女の名前も先の記述と一致しない。青海郎女と忍海郎女、飯豊郎女と飯豊王の違いがある。
ここで考えるべきは、よく研究者が議論する、「イリ王朝・ワケ王朝説』である。つまりミマキイリヒコ(崇神)、イクメイリヒコ(垂任)を代表とする「イリ」の名を持つ人々と、オシロワケ(景行)を代表とする「ワケ」の名を持つ人々は別の氏族、王朝の人達だという説である。
私は「イリ」と「ワケ」がきれいに分けられるとまでは思わないが、それでもこの説を支持している。ならば市辺忍歯別王は「ワケ」王朝の人物であり、市辺忍歯王は「イリ」の名が無くとも、「イリ」王朝の人物と考えるべきである。そして崇神=延烏郎で、垂任を開化天皇の分身的な人物(垂任にどのような神話的役割があるのかは充分にわかっていないとしても)と考える私の見解は「イリ」=丹波王朝で「ワケ」=出雲王朝である。

次に、文章を見ていこう。
「是に日継知らす王を問ふに」の前は、清寧天皇が死んで皇位継承者がいなくなったことが記されているので、「是に」をこの状況と捉えれば、皇位継承者を探し回って飯豊皇女に当たったと読める。ならば飯豊皇女は本当に天皇であり、『記紀』で天皇としての独立した伝記を与えられなければならない。
しかし、私にはそう読めない。文法的に正しくても、動詞が間違っているからである。「問ふ」は「聞く、尋ねる」の意味はあっても、「探す」と読むのは間違いである。ならばここは、誰かが誰かに尋ねたのである。誰が尋ねたのかは、諸臣とするしかない。
問題は「誰に」尋ねたかだが、「是に」とある以上、前の文章に尋ねる人物がいなければならない。
ところが、その人物がいない。前の文章に「是に」に該当する人物がいないので、その人物を推測しなければならない。推測する限り、その人物は飯豊皇女しかいない。
そしてこの飯豊皇女は、『古事記』の忍海郎女ではない。
『書紀』で「仮に朝政を御覧になった」とある飯豊皇女は、「忍海飯豊青尊」と名乗ったとある。この場合「忍海」はフェイクで、「青」を重視し、「古事記』の青海郎女と同一人物と見るべきだろう。また『書紀』では、飯豊皇女は忍海部女王とも記されている。「忍海」は丹波、出雲両方につけて混乱させる含みを持っているので、青海郎女が母で、忍海部女王が娘、そしてこの二人は丹波系である。
「葛城の忍海の高木の角刺宮に坐しき」と記された忍海郎女は、ただいたのであり、皇位に氏名されたのではない。
これが神話である。神話は文法的に無意味な文章を挿入して、新たな物語を作っていく。
次回は『書紀』の忍海部女王と、その母の青海郎女を追っていこう。


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