「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑱~ヤマトタケルは大国主である

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

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『書紀』本文の八岐大蛇のくだりにおいて、素戔嗚尊スサノオノミコト)は八岐大蛇を退治した後、奇稲田姫(クシイナダヒメ)を娶る。クシイナダヒメは大己貴神(オオアナムチノカミ)を生むが、『古事記』ではスサノオ櫛名田比売クシナダヒメ)の間に産まれたのは八島士奴美神(ヤジマジヌミノカミ)である。『書紀』本文の『古事記』との違いは、『古事記』に対する最大の否定である。『書紀』は基本的に『古事記』に則った記述をしながら、異説によって『古事記』を解体するため、本文が『古事記』と違うのは、通常より強いメッセージが出ていると見るべきである。

異伝第一は「清の湯山主、名は狭漏彦八嶋篠とつけた。あるいは清の繋名坂軽彦八嶋手命(ユイナサカカルヒコヤシマデノミコト)という。また清の湯山主、名は狭漏彦八嶋野という。この神の五代の孫は大国主神である」
とある。狭漏彦という名前にサルタヒコとの共通性を感じるが、サルタヒコがわからないので、ここでは深入りしないでおこう。スサノオの子は、サルタヒコとヤジマジヌミをくっつけたような名前である。しかしスサノオから大国主までの代数は、『古事記』と一致している。
異伝第二では、奇稲田姫は真髪触奇稲田媛となっている。「真髪触」というところに、仁徳天皇の妃となった髪長姫との関係性を感じるが、これもよくわからない。この奇稲田媛を「後に素戔嗚尊が妃とされて、生ませられた六代の孫を、大己貴命という」とある。ここもスサノオ大国主の代数は同じである。
異伝第三はスサノオの子孫の記述がない。
異伝第四はスサノオが子の五十猛(イタケル、イソタケル)と共に新羅の国に降る。そして「この地に私は居たくないのだ」と言って日本渡り、出雲で大蛇を斬って草薙剣を取り出す。
「これは私の物とすることはできない」とスサノオは言って、五代の孫の天之葺根神に、剣を天に奉らせた。イタケルは日本中に木を植えて有功(いさおし)の神となった。
異伝第五はスサノオが各地に木を植える話である。

さて、読者諸氏は天之冬衣(アメノフユキヌ)という神をご存知だろうか?
アメノフユキヌとは、『古事記』における大国主の父である。もっとも名前だけの登場なので、大国主の母の刺国若比売(サシクニワカヒメ)に比べて存在感は薄い。
しかし、このアメノフユキヌという名前に違和感を持たなければならない。なぜならアメノフユキヌとは、天神、または天孫の名前だからである。
天津神国津神の違いは、高天原に住んでいることである。ニニギノミコトのように降臨して、高天原に住まなくなると、その子孫は天孫と呼ばれる。そして天津神がすべて名前に「アメノ」を冠するとは限らないが、天孫でも「アメノ」を冠することはない。ただし尾張氏では天香山命、天村雲命と、二人「アメノ」を冠した人物がいる。尾張氏の格の高さの現れである。
そしてスサノオはアマテラスの弟だが、高天原を追放されたスサノオの家系は、少なくとも子の代からは国津神扱いである。だから、アメノフユキヌの代で、スサノオ系譜に天神または天孫が差し込まれたと見るべきである。
そしてこのアメノフユキヌは『書紀』の天之葺根である。少し名前を変えることで、アメノフユキヌ=天之葺根だと分かりにくいようにしてある。つまり大国主スサノオの六代孫とするのは、『書紀』と『古事記』を編纂した者達の共犯である。天之葺根は草薙剣高天原に奉るが、本当は逆で、草薙剣を持って降臨したのだろう。
こうして大国主スサノオの直系ではなく、スサノオの娘を娶ってスサノオの権威を承ける形となった。
それでは大国主スサノオの子となっているのはどういうことか?
それは異伝第四に、スサノオがイタケルとともに新羅に降臨するところを見ればわかる。これをもってスサノオ新羅から来たと見る研究者もいるが、そうではない。スサノオはイタケルと一緒でなければ、新羅から来ないのである。つまり重要なのはイタケルである。イタケルこそがヤマトタケル=開化であり、イタケルの父であるスサノオは、実は延烏郎である。そしておそらく、ヤマトタケル=開化が新羅産まれであることを示しているのではないだろう。ヤマトタケル=開化は、私はむしろ日本で産まれた可能性が高いと思っているが、これは丹波勢力が新羅由来であるのを、単純に示す神話である。

異伝第五はイタケルが日本に木を植えたとする異伝第四の否定である。木を植えたのはスサノオであり、木を植えることにももちろん意味がある。
実は邪馬台国は中国の春秋・戦国時代の呉の国の末裔と名乗っていたことが、中国の文献に記されている。そして邪馬台国の隣の狗奴国=熊曾もまた、呉の国の末裔である可能性が高い。
呉の国は周王朝の一族とされているので、姓は姫氏である。このため紀伊国や紀氏なども、邪馬台国や狗奴国=熊曾と関係あるとする研究者も多い。そして異伝第五は、出雲と狗奴国=熊曾の関係を暗示している。

私は出雲と丹波を分けて研究しているが、多くの研究者はそうではないため、スサノオ新羅に降臨したとなれば、スサノオ新羅と関係があると思ってしまう。
しかし『記紀』、特に『書紀』の方は、しばしば出雲勢力の人物を利用して丹波勢力の人物のことを語っているように思われる。そうなるとそれぞれの話ごとに、どちらの勢力の人物かを吟味しなければならない。非常に困難な作業で、精査したつもりが間違える可能性が高い作業である。またこのことは私が最近思った仮説であり、完全に検証出来ていないのだが、一応読者諸氏にお伝えしておく。


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