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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑭~熊野の神話の最古層

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

イザナミの墓は、『書紀』では熊野の有馬村となっている。
その有馬村の地に、現在花窟神社がある。現在の地名では、三重県熊野市有馬町となる。昔は、三重県の一部までが紀伊国だった。
花窟神社では、イザナミ軻遇突智尊(カグツチノミコト)を祭神としている。
この花窟神社に、「陰石」と呼ばれる巨石がある。空から降ってくる隕石のことではなく、「陽石」に対置される岩である。「陽石」は神倉神社にある。神倉神社の神体のゴトビキ岩のことである。
神倉神社の祭神は、天照大神と高倉下である。もっとも注意しなければならないのは、神社において祭神はしばしば変わる。神倉神社は熊野三山の元宮だが、現在は熊野速玉大社の摂社であり、社務書に神職が常駐していない。
このような状態の神倉神社が、いにしえの祭神を正確に伝えている保証はないのだが、やはり神倉神社が、高倉下を祭神としているのは重要だと言える。
先代旧事本紀』では、高倉下は熊野高倉下という。「熊野」の名を冠しながら、高倉下は熊野では神倉神社でしか祭られていない。高倉下を祭る神社は、三重県の高倉神社である。場所は旧伊賀国になる。
熊野では高倉下は摂社で祭られ、本社の祭神としては伊賀で祭る。高倉下を熊野から離したい意図が見えるようである。

熊野速玉大社は、神倉神社から遷座して成立した。『熊野大権現熊野速玉大社御由緒』には、
「神代の頃、神倉山に祀られ、景行天皇の58年に今の処に新しく境内・社殿をつくって移られたので、神倉山の旧宮に対して新宮と称した」
とある。
つまり、神倉神社と熊野速玉大社の神は同じであるはずだが、奇妙なことがある。
「一般に神社の社殿は神体山や磐座を背にしているか、それに近い状態にある。ところが新宮の場合、社殿は南面し、ゴトビキ岩はその西南にあって途中を山がさえぎり、新宮の社地からまったく見ることができず、また特別な方位関係も今のところ見いだせない」
つまり、神倉神社と熊野速玉大社の神は同じ神としながらも、実は別の神である。

花窟神社と神倉神社は、「陰石」と「陽石」で対になっている。
「陰石」と「陽石」とは陰陽説に基づくのだろう。「陽」が男性、「陰」が女性を表す。
花窟神社イザナミの墓で、イザナミカグツチを祀っている。ならば「陰石」とはイザナミを指すと考えられる。
イザナミが細烏女ならば、天照大神と高倉下を祀っている神倉神社の「陽石」とは、細烏女の子で夫であるヤマトタケル=開化だろう。
ここで思い出すべきは『古事記』である。『古事記』では、イザナミ伯耆国比婆山に葬られたとある。
私の見解は、『古事記』が出雲勢力によって作られ、『書紀』が丹波勢力によって作られたというものである。『古事記』はイザナミの墓を比婆山とし、黄泉比良坂を出雲国にあるとして、出雲を死の国とし、イザナミの権威に通じる悪の国とした。
しかし、本来の黄泉国は紀伊国にあったのである。『書紀』では、
「あるいはいわゆる泉津平坂とはまた別のところではない。ただ死に臨んで息が絶えそうなときをこういうのだと」
と述べ、黄泉津比良坂が地上にあることを否定する。これは『書紀』勢力が黄泉国につながる悪の国であることの否定である。『書紀』は善悪の別を明確にしないことで、後世に訴える力が『古事記』に劣るものになった。しかしこのことは、本来の黄泉の国が紀伊の熊野であることを意味する。
そして黄泉国に関する記述は、『古事記』より後に成立した『書紀』の方が古い。『書紀』はしばしば、『古事記』より古い神話の原型を留めている。
その古い神話の黄泉国の王は、ヤマトタケル=開化である。しかし『記紀』ともに、黄泉国にヤマトタケル=開化にあたる人物は登場しない。せいぜい『古事記』の黄泉神がヤマトタケル=開化ではないかと想像できる程度で、黄泉国の王がヤマトタケル=開化であった痕跡は、神話上は完全に消された。しかし『古事記』の勢力が欲しがった黄泉国=悪の権威とは、本来イザナミ=細烏女ではなく、ヤマトタケル=開化の権威だった。これが、熊野の神話の最古層である。

なお、花窟神社にはカグツチが祀られているが、カグツチヤマトタケル=開化である。次回はカグツチのことを述べていく。



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