「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑪~神武東征から熊野の神話を取り出す

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ヤマトタケルは開化天皇である⑩~『海部氏系図』に見るヤマトタケルの姿と熊野の神 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、「熊野の神は熊であり、この熊は怨霊である」と述べたが、やや説明不足の観があり、納得できなかった読者もいたかもしれないので、この点捕捉しておく。
我々が怨霊を怨霊と認識するのは、小説であれ映画であれ、怨霊になる経緯が描かれているからである。
神武東征に登場する『古事記』の熊は、怨霊になる経緯が描かれていないが、充分に怨霊であることを暗示する描写になっている。
人を殺した、あるいは恨みを持って死なせた場合、加害者はその罪の意識を、意識の外に追い出そうとする。こうして罪の意識は無意識へと沈む。しかし抑圧して意識の外に追い出された罪の意識は、ちょっとしたことで無意識から意識へと浮上してくる。
罪の意識の浮上は、多く「幻視」という形で表れる。死んだ人物が目の前に現れる。加害者はそれを注視する。注視することでその人物が死んでいるのを意識するため、幻影は消える。しかしまた「幻視」を見る。こうして無意識に沈んでいた罪の意識が、意識の部分で大きくなり、加害者は精神を病んでいく。『古事記』の描写は、そういった人間の心理に重ねるようにして、ホラー的に描写したものである。
『書紀』、『先大旧事本紀』が「悪い神が毒気を吐いて」などと、三流のファンタジー作家でも書かないような描写をしているのは、熊野の神が怨霊であることを知られたくないからである。熊がフロイトの言う厳父のトーテムであることは言うまでもない。
もっとも「熊野の神は熊である」という主張は私の直観であり、この説得は私の直観に読者が共感することで成立する。論証ではないので、私の直観に納得できない読者を説得する術を、私は持っていない。この点も、会えてお断りしておく。

神武東征での熊野での事件は次のようになる。
神武の軍勢が熊野に進軍したところ、熊が表れて神武とその軍勢は倒れた。
そこに熊野の高倉下(タカクラジ)という者が現れ、倒れている神武に一ふりの横刀(たち)を献上すると、熊野の荒ぶる神が「自ら皆斬りたふさえ」、神武とその軍勢は正気を取り戻す。
起き上がった神武は高倉下にその横刀を得た理由を問うと、
「夢に天照大神高御産巣日神が現れ、二神が建御雷神を呼んで、『葦原中国(あしはらのなかつくに)は騒然として、我が御子達は病み悩んでいるらしい。その葦原中国を服従させた、そなたタケミカヅチが降りなさい』と言うとタケミカヅチノ神は『私が降らなくとも、その国を平定した太刀がありますから、これを降しましょう』と申し上げました。そしてタケミカヅチノ神は、『高倉下の倉の棟を穿って、その穴から落とし入れよう。だからお前は太刀を天つ神に献上しなさい』と夢の中で仰せられました」
と言い、太刀を献上した経緯を語った。この太刀が、現在石上神宮にある布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)である。
この話が分かりにくいのは、高倉下が登場し、神武に太刀を献上することで、話がややこしくなっているからである。
そこで、神話変換「もどき」をやってみよう。前回、私は「熊野の神話」と言った。つまりこの話は神武東征の話ではないのである。元々が熊野の単独の神話なら、神武東征の話の方が余分になる。神武もその軍勢も、アマテラスもタカミムスビもいらない。
すると熊と高倉下の対決になる。
それでは高倉下とは何者か?
大方の見解は、高倉下とは「高い倉を管理する人」だとしている。
しかし私は、この見解を信じていない。なぜなら「下」と書いて「ジ」とは読まないからである。つまり「タカクラジ」とは当て字なのだが、「高い倉を管理する人」という数多く存在しそうな人物を「タカクラジ」と読んだならば、「タカクラジ」は違ったパターンで、何かの文献に登場しそうだが、私の知る限り、高倉下は神武東征の段にしか登場しない。高倉下は普通名詞ではない。固有名詞である。
高倉下について、畑井弘氏が『物部氏の伝承』(講談社学術文庫)で、韓国語で大蛇のことをクラジと言うと述べている。
畑井氏の説の方を、私は支持する。つまり熊野の神話とは、熊と蛇の戦いである。

ならば熊と蛇の、どちらが勝者となったのか?
高倉下の運命は、実は神武が担っている。
布都御魂剣の霊威により目を覚ました神武は、
「長く寝(い)ねつるかも」
と言った。「長い間、寝たことだ」と言ったのである。
この神武の言葉を判断する前に見て頂きたいのが、『伊予国風土記逸文』にある文章である。逸文とは文献自体は散逸してしまったが、他の文献に引用される形で、部分的に残った文章のことである。内容は道後温泉の起源を語るものである。

「大穴持命(オオアナモチノミコト)は、見て後悔して恥じて、宿奈毘古奈命(スクナヒコナノミコト)を活かしたいと思い、大分の速見の湯を下樋(地下樋)によって持って来て宿奈毘古奈命に浴びさせたので、しばらくして生き返って起き上がられて、いとものんびりと長大息して『ほんのちょっと寝たわい』と言って四股を踏んだ」(吉野裕訳)

この文章は、スクナヒコナがなぜ死にかけていた(あるいは死んでいた)かが書かれていない。
この逸文は、『釈日本紀』に引用されていた。『釈日本紀』は、『日本書紀』の注釈書である。スクナヒコナが死にかけた経緯を語るのは都合が悪かったのかもしれない。
しかし、真相を率直に語らなくとも、完全に隠蔽しないのが神話なのである。オオアナモチが「見て後悔して恥じて」とあるのだから、オオアナモチがスクナヒコナを痛めつけた、あるいは殺したのである。殺したと言うのは大げさではない。逸文にはスクナヒコナが「生き返って」と書かれているのだから。
そして「ほんのちょっと寝たわい」というスクナヒコナの言葉、これが「長く寝ねつるかも」ならば、『釈日本紀』はこの逸文を引用できなかったかもしれない。つまりこの話は、熊野の神話と同型の話なのである。
熊野の話に戻ろう。「自ら皆斬りたふさえ」た熊野の荒ぶる神、これは少し複雑で、複数型になっていることと、熊と書かれていないことから、一応この神は、熊と同一ではない。
つまり、死んだのは高倉下である、というのが一応の解釈である。
しかし、「自ら皆斬りたふさえ」とあるように、自分で自分を斬ったとしているのは、この荒ぶる神に布都御魂剣が届いていないことを表している。このように記述しているのは、やはりこの荒ぶる神が、熊でないように見せて実は熊なのである。
実に複雑だが、これは殺された熊が怨霊となって、蛇=高倉下を殺すという二段構成を一段構成にしたためである。一段構成にした理由は、熊が怨霊であることを隠すためなのは言うまでもない。
そして『先代旧事本紀』によれば、高倉下は天香山命(アメノカグヤマノミコト)である。天香山命は代々熱田大宮司を務めた尾張氏の始祖、天火明命の子である。
神武が息を吹き替えした後、高天原から熊野の道案内にヤタガラスが遣わされる。カラスである。これは延烏郎ではないか?
そう考えると、『伊予国風土記逸文』にまた気になる記述がある。

「熊野の峰。熊野と名づけるわけは、昔、熊野という船をここで造った。今に至るまで岩になってある」(吉野裕訳)

岩と船、ニギハヤヒが乗ってきた天の磐船である。火明命とニギハヤヒは『先代旧事本紀』によれば同一である。ならば新羅から岩に乗って来た延烏郎は、火明命と同一であり、火明命は熊となる。火明命は、息子の天香山命に殺されたのである。

この天香山命ヤマトタケル=開化であると、私は言おうとしている。次回は、ヤマトタケル=開化の父、崇神天皇を見てみよう。


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