「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑩~『海部氏系図』に見るヤマトタケルの姿と熊野の神

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丹後国一宮籠神社所蔵で国宝に指定されている『海部氏系図』『海部氏勘注系図』には、記紀に記されていない多くの情報があるが、その中でも最も注目すべきなのは、系図の中に、天皇の和風諡号を持つ人物が複数登場することだろう。
その人物達は、
六世孫 建田勢命(玉手見命、安寧天皇
九世孫 乙彦命(彦国玖琉命、孝元天皇
十一世孫 小登與命(御間木入彦命、崇神天皇
十二世孫 建稲種命(彦大毘毘命、開化天皇
十三世孫 志理都彦命(大足彦命、景行天皇
である。
うち、崇神、開化、景行は順に繋がっており、崇神の子が開化、開化の子が景行となっている。

もうひとつ注目すべきは、系図の中に「日女(ヒルメ)命」という名の、二人の女性が登場することである。
一人は九世孫乙彦命(孝元)の妹で、「亦名」として倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)、神大市姫命(カムオオイチヒメノミコト)日神などの名前が記載されている。ヤマトトトヒモモソヒメとは卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳の被葬者で、カムオオイチヒメもスサノヲの妻として『古事記』に登場する。日神はアマテラスの別名である。
二人目の日女命は小登與命(崇神)の妹で、「亦名」として稚日女(ワカヒルメ)小豊姫、豊受姫、豊秋津姫、宮簀姫、日神神荒魂命などの名前のある。
稚日女はアマテラスの妹として、『書紀』に登場する。
小豊姫の小豊は小登與であり、小登與命の妻、つまり兄妹婚を表している。
豊受姫とは、伊勢神宮の外宮に鎮座する豊受大神のことであり、宮簀姫とは尾張国造の娘で、ヤマトタケルの妻となった人物である。また宮簀姫とは宮津姫、つまり籠神社のある京都府宮津市の姫であることを表しているのだろう。豊秋津姫はアマテラスの子の天押穂耳の妻となった万幡豊秋津姫を思わせる。日神神荒魂命も、天照大神荒魂という名前で『書紀』に登場する。
開化天皇崇神の子で、崇神の妻が宮簀姫と呼ばれた人物なら、ヤマトタケルとは宮簀姫の夫である人物になる。そして開化天皇が実母を娶った人物なら、ヤマトタケル崇神か開化に絞られる。
私はヤマトタケル開化天皇だと主張する者だが、もし崇神が延烏郎で、崇神の妹で妻である日女命=宮簀姫が細烏女であるならば、話はすっきりするのだが、現時点ではそこまで飛躍できない崇神が延烏郎ならば、ヤマトタケルは二世紀から三世紀にかけての人物になるが、ヤマトタケルがそれ以降の、実母を娶った強大な王である可能性も、充分に残っているからである。
つまりヤマトタケルがいつの時代の人物であるかという年代の特定が、ヤマトタケルの実像に迫る鍵となるのだが、年代を特定する方法はあるだろうか?
無くはない。鍵は意外なところにある。それは熊野である。

全国に三千社ある熊野神社総本社は、和歌山県にある熊野三山である。
熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社であり、古来より朝廷の尊崇が篤かった。
しかし熊野三山の神々は、記紀神話に登場しない。八幡宮日枝神社のように、全国に数千社あり、朝廷の信仰の篤い神社は、みな記紀神話に祭神が登場するのに、熊野の神々は登場しないのである。ちなみに熊野三山の神々はそれぞれ、

熊野本宮大社…家都美御子大神(ケツミミコオオカミ)
熊野速玉大社…熊野速玉大神(クマノハヤタマオオカミ)
熊野那智大社…熊野夫須美大神(クマノフスミオオカミ)

となっている。
このうち熊野速玉大神が、『書紀』に登場する速玉男(ハヤタマノオ)だというが、これは本宮の伝承であり、速玉大社ではイザナキだと伝えている。熊野速玉がハヤタマノオだとしても、なぜ熊野の名を冠していないのかという疑問が残る。
また熊野夫須美は、アマテラスとスサノヲの誓約(うけい)により誕生した熊野久須毘(クマノクスビ)のことではないかとも言われているが、これもはっきりしない。私は違うと思っているが。
そして、熊野本宮のケツミミコに至っては、イザナミ、その化身の菊理姫、スサノヲなどの説があり、三社の中で最も正体がつかみづらい。
熊野三山の縁起も、ここでは割愛するが、仏教説話で粉飾されて、縁起の原型を推測するのは不可能である。
日本神話の神は事歴のない者が多く、何のためにその神がいるのか、その正体が何なのかわからない神が多いが、熊野の神はその典型だと言える。
しかし熊野の縁起が意外なところにあるとしたら?その場合、熊野の神の正体がわかる。ただし熊野本宮の神のみである。
そして、熊野の縁起はある。それは神武東征の中にあるのである。

東征でナガスネビコに破れた神武は、紀州に迂回して、南から大和に入ろうとする。しかしその途中、熊野で神の妨害に遇い、難渋する。
その様子を、今回はまず『書紀』の方から見てみよう。
「悪い神が毒気を吐いて人々を萎えさせた。このため皇軍はまた振るわなかった(宇治谷孟訳、原文無し)」
先代旧事本紀も同様の記述である。この神は、何が「悪い」のかが、読んでいてわからない。
『書紀』の記述を先に見たのは、もちろん理由がある。それでは『古事記』の記述を見てみよう。
「熊野村に至りましし時、大熊ほのかに出で入りて即ち失せぬ。ここに神倭伊波礼毘古命、たちまちにをえまし、また御軍(みいくさ)も皆をえて伏しき」
「ほのかに出で入りて即ち失せぬ」とは、ちらりと見え隠れして、やがて姿を消したということである。すると神武とその兵達が、病になって倒れたというのである。
私は『古事記』のファンタジーの表現力には常に関心する者だが、この記述はファンタジーを通り越してホラーである。もっとも、ホラーの表現方法は今も昔も変わらないとも言えるが。
つまり、熊野の神は熊であり、そしてこの熊は怨霊である。次回、熊野の神話を具体的に検証する。


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