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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑨~邪馬台国の位置と利用された神武東征

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

田中力著『日本古代史を科学する』(PHP新書)は、『魏志倭人伝』に記載されている邪馬台国までの道程を、明確に示した。
著作権に触れる恐れがあるので、ここでその内容に触れることは控えるが、ひとつだけ述べれば、海路の距離を、魏の国が周王朝で使われていた短里で計測したことである。これで従来、太平洋に突き抜けていた航路が明確になった。
そして、『日本古代史を科学する』が示した邪馬台国の位置は宮崎平野である。邪馬台国の南にあり、邪馬台国と争ったという狗奴国は、都城から鹿児島県までとなる。
歴史学会には、ひとつの定説がある。それは邪馬台国の女王卑弥呼が死んだ年が、西暦248年であることである。
そして西暦248年とは、皆既日食の年でもある。100年に満たない間に、皆既日食が二度起こっている。

歴史研究者達の間にあるもうひとつの有力な説があり、それは卑弥呼が「王殺し」にあったというものである。
「王殺し」とは、イギリスの
社会人類学者J・フレイザーが提示した古代の危機回避の習慣で、世界の生命力と王の生命力は連動しており、天災や戦争の敗北などは王の生命力の衰えであり、王を殺して新しい王と取り替えることで、世界の生命力を回復するという、古代の宗教観に基づいている。このような宗教観は、古代には世界中の至るところにあった。
魏志倭人伝』には、
「張政等を遣わし、因って詔書・黄幢をもたらし、難升米に拝仮せしめ、檄を為りて之を告喩す。卑弥呼以て死す」
とあり、何が「以て」なのかが記されておらず、卑弥呼の死に何かしらの含みがあるかのように見える。当時、邪馬台国は狗奴国と戦争中であり、敗戦の責任をとって卑弥呼が「王殺し」にあったと主張する研究者は、故・松本清張をはじめ多数いる。この場合、皆既日食は敗戦の象徴であり、「王殺し」による王の取り替えで太陽が復活した。この事件が神話化されたのが「天の岩戸」である。

卑弥呼の死により、宗女の台与が王となるが、卑弥呼と台与の関係は「宗女」という言葉でしか示されていない。「宗女」とは宗家の娘という意味だろうが、本当に台与が卑弥呼の宗家筋にあたるのかはわからない。
「天の岩戸」神話で復活した太陽神が台与であるのはほぼ間違いないだろうが、台与とは何者なのか。

古事記』の国生み神話で、九州は4つに別れている。
筑紫国、豊国、肥国、熊曾国である。
熊曾国は宮崎県南部と鹿児島県である。記紀では「日向三代」と呼ばれ、日向国こそが天皇家の出身地であるかのように書かれているが、熊曾国は高千穂の峰を霧島山に比定した場合、「日向三代」の舞台が全て含まれることになる。
そして、熊曾国の名が国生み神話の段階で出てくるのは、日向と呼ばれた地が、本当は熊曾国であることを意味する。
邪馬台国は狗奴国と戦争中であり、戦争中、または敗戦後に皆既日食があり、卑弥呼は「王殺し」にあった。ではその後の戦況はどうなったかと言えば、邪馬台国が勝てる可能性は少ないだろう。ならば卑弥呼の後をついだ台与とは、狗奴国の王女であると捉えた方が自然であり、この狗奴国が熊曾国であると私は思っている。

そもそも卑弥呼とは日の御子、日の巫女を意味している。
邪馬台国がなぜ丹波勢力と同じ太陽信仰をしていたかについて、本居宣長の有力な説がある。邪馬台国は大和の王朝を詐称したと、宣長は言うのである。
邪馬台国丹波の太陽信仰を模倣したが、皆既日食による神的カリスマを欠いていた。神性の不足を魏に朝貢することで補おうとしたため、邪馬台国は歴史に名を残した。
その後150年ほどの間、日本から中国に朝貢した記録はない。
神武東征があったとすれば、まさにこの記録のない時期であり、邪馬台国の前に成立した丹波勢力も中国に朝貢した形跡がないことから、日本の大統一期には、かえって中国と朝貢を行わない可能性があることを、ほのかに想像できる。そしてどちらの時期にも皆既日食が絡んでおり、中国と朝貢をしない理由は、神的カリスマを帯びた王の登場により、中国に朝貢する必要がないのと、ナショナリズムの萌芽を考えることができる。
また、このように考えることもできる。
「天の岩戸」神話は、延烏郎と細烏女に始まる太陽信仰の記憶を消すために利用されたのであり、その象徴が神武東征とその繰り返しの応神東征であると。その場合、「天の岩戸」神話は利用できればよいのであって、必ずしも現実に起こった事件である必要はない。私が

ヤマトタケルは開化天皇である⑤~神武東征、オオクニヌシの国譲りから見る『古事記』の「和」の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で神武東征が無かった可能性も考える必要があると述べたのは、「天の岩戸」神話が延烏郎と細烏女の記憶を消した点を考慮しなければならないからである。
神武東征が無かったとは、私も思っていない。神武東征はあった。
しかし神武東征の本来の姿は、我々が知っている姿と相当違っている。その本来の姿を説明できる段階に、まだこのシリーズは達していない。今後しばらくは、ヤマトタケル=開化の実像に迫り、そこから話を広げていくことにしよう。


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