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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑧~韓国、延烏郎と細烏女の伝説

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

ヤマタノオロチは高志(越、北陸地方)のヤマタノオロチであり、オオクニヌシ八千矛神と言う名前で、高志の沼河比売ヌナカワヒメ)のもとに通う。
ヤマタノオロチヌナカワヒメに高志という名詞が付くのは、出雲と高志を直結させるためである。
出雲と高志を直結させると、違和感がでる。
古事記』により、出雲世界は出雲、伯耆因幡の三ヶ国であることがわかる。一方高志は若狭、越前、加賀、能登越中、越後の六ヶ国である。
出雲世界と高志を直結させると、その間の丹波丹後、但馬の三ヶ国が空く。三丹地方と呼ばれるこの地域には、元々の天照大神ではないかと言われる天火明命アメノホアカリノミコト)が丹後国一ノ宮籠神社に鎮座し、新羅の王子天日矛(アメノヒボコ)が但馬国一ノ宮出石神社に鎮座している。
三丹地方は、出雲とは別の勢力である。『古事記』は出雲とは別の勢力の存在を明らかにするため、出雲と高志を直結させたのである。

韓国慶尚北道浦項市虎尾串に迎日公園という公園があり、その公園には、延烏郎と細烏女という夫婦の像が立っている。
延烏郎と細烏女像のそばに、日本語で説明文がある。

新羅第八代阿達羅王四年丁酉、東海のほとりに延烏が浜辺で海藻を採っていると、急にひとつの岩があらわれ、彼を乗せて日本へ運んで行った。その国の人びとは、ただならぬ人物だと思い、王に迎えた。
細烏は、夫が帰ってこないので、海辺に探しに行ったところ、 夫の履物が岩の上にあった。履物を取ろうとして岩に上がると、また前と同じように動き出し、日本に連れて行った。その国の人たちは彼女を見て驚き、王に報告した。夫婦は再会し、細烏は貴妃の定められた。
このとき新羅で、太陽と月の光が消え去った。日官は『わが国にいた日月の精が日本に行ってしまったため、このような異変がおこった』と奏上した。王は使者を日本に送り、帰国するように頼んだが、延烏は応じなかった。『私がこの国にきたのは、天命によるものである。従って、帰ることはできないが我が貴妃の織った絹があるので、これをもって行き天を祭れば日月は戻るであろう』と云い、絹の織物をくれた。使者は帰国しそのとおり祭ると、日月の光がもとにもどった。絹の織物を王宮の倉庫に保管、国宝とし、その倉庫を貴妃庫と呼んだ。そして、祭天した場所を迎日縣、または都祈野と名付けた」

第八代阿達羅王四年丁酉とは、西暦157年である。
そして翌年の158年は、皆既日食が起こった年である。「太陽と月の光が消え去った」とは、皆既日食のことをさしている。
また、延烏郎と細烏女の伝説は変換、分解しながらも、日本にほぼ完全な形で残っている。
神話変換と言えば、レヴィ・ストロースの構造神話学が有名だが、私はレヴィ・ストロースの入門書を立ち読みした程度の見識しかない。だからこれから私が主張することは、「神話変換もどき」と思ってもらって差し支えないし、主張の責任はレヴィ・ストロースではなく私にある。
それでは、神話変換をやってみよう。
①延烏郎と細烏女が乗る岩が、ニギハヤヒの乗る天の磐船に変わった。
アメノヒボコが逃げた妻を追って日本にたどり着く話が、細烏女が延烏郎を追う話に変換した。
③垂任天皇の御代、大加羅国の王子都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)が日本に渡って来て、国に帰るに当たり、天皇は赤織の絹をツヌガアラシト賜った。ツヌガアラシトは赤絹を自分の国の蔵に収めたが、新羅の人がそれを聞いて、兵を起こしてその絹を皆奪った。新羅に絹を送る話が、新羅が絹を奪う話に変換された。

以上である。
この神話の変換を見て、気づかされることが三つある。
ひとつは、新羅に絹を送る話が変換されたことで、新羅と日本の関係も対立的なものになったことである。
ふたつ目は、延烏郎と細烏女が日本に渡った年が、皆既日食の年と一年ずれていることである。
延烏郎と細烏女の物語は、朝鮮半島の歴史書『三国遺事』に収録されている。『三国遺事』は十三世紀の書物である。
朝鮮半島では歴史書の成立が遅く、最初の歴史書『三国史記』も、十二世紀の成立である。朝鮮半島には、歴史書の成立が遅れる相応の理由があったことを思わせるが、そのように考えると、延烏郎と細烏女が158年に日本に来たと伝えられていれば、この伝説は抹殺されていた可能性があったのだろう。皆既日食の記録が失われても、陰暦では皆既日食の日は予測できるからである。一年のずれは単なる誤伝ではなく、伝説を伝えるためにわざとずらしたとも考えられる。

三つ目は、日本側のアメノヒボコとツヌガアラシトの神話から、皆既日食の話が完全に抜け落ちていることである。
日本神話で皆既日食と関係ある話といえば、天の岩戸の神話である。
延烏郎と細烏女の物語から、皆既日食の話は天の岩戸の神話に分離され、書き換えられた。
しかし、ただ分離、書き換えが行われたのではない。
西暦158年とは別に皆既日食が起こり、それが天の岩戸神話となり、太陽信仰となった。つまり延烏郎と細烏女の物語から、皆既日食の話分離されたというよりは、むしろ消されたのである。
皆既日食の話が消されたことは、延烏郎が元々の太陽神であることを意味する。次回は、延烏郎と細烏女の後、いつ皆既日食が起こり、どの勢力が新しい太陽神となったのかを明らかにする。


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