「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑥~フロイトの『モーセと一神教』

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

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私がヤマトタケル開化天皇だと思う根拠は、フロイトの『モーセ一神教』にある。
以下の引用は、『モーセ一神教』の中で、フロイトが『トーテムとタブー』に書いたことを繰り返したものである。つまり内容は『トーテムとタブー』のことだが、私は『トーテムとタブー』を読んでいない。だから『モーセ一神教』のこととして紹介する。なお、相当長い。


「私が物語ろうとする歴史は、あたかも一気に一回限り
起こったかのように大変圧縮されて論じられるが、現実には幾千年にも及び、この長い時間の中で数えきれないほど何度も繰り返されたのである。力の強い男性原人は群れ全体の主人であり父親であった。彼の力は無制約であって、彼はその力を暴力的に行使した。すべての女性原人は彼の所有物であり、自分の群れの妻たちも娘たちも、おそらくは他の群れから略奪されてきた女性原人たちも、ことごとく彼の所有物であった。息子たちの運命はひどいものであった。彼らが父親の嫉妬心を刺激してしまうと、彼らは打ち殺され、去勢され、あるいは追放された。息子たちは小さな共同体のなかで生活し、略奪によって自分の女性原人を手に入れるしかなかったが、そのなかの誰かが、もともとの群れのなかの父親が占めていたのと似た地位にまでのしあがることができた。最も幼い息子たちには、自然の摂理からして例外的な地位が与えられていた。彼らは母親たちの愛情によって保護され、父親の老衰によって優越を獲得し、父親の死後には父親に取って代わることができた。年長の息子たちの追放も一番若い息子たちの特権も、伝説やメルヒェンのなかにその名残りが認められよう。
この最初期の「社会的」組織を変革するつぎの決定的な歩みは、追放されて集まって生活していた兄弟たちが皆で結託して父親を圧倒し打ち殺し、当時の習慣に従って父親を生のままで喰い尽くしてしまったという事実であったに相違あるまい。この食人ということに触れて感情を害する必要などない。食人は長く後世に至るまで深く入りこんできている。むしろ本質的なのは、これら原人たちと同じ感情の動きかたを現代の未開人たち、すなわちわれわれの子供たちのなかに、分析的研究によって確認できるという事実である。つまり、子供たちは父親をただ単に憎んだり恐れたりしただけでなく、父親を理想的な模範として尊敬していたという事実、そして、どの子供も実際に父親の地位を占めようと欲していたという事実。このことから考えるならば、食人行為は、父親の一部を体内化することによって父親との同一化を確実なものにする試みとして理解されるだろう。
父親殺害ののち、兄弟たちが各々父親の遺産を独り占めしようと欲し父親の遺産をめぐって闘争した時代がかなり長く続いたと想定できる。このような闘争が危険であり不毛であるとの洞察、皆で一緒になって貫徹した解放行為への追憶、そして追放されていた時代に生じてきた兄弟間の心情的な結びつき、これらは最終的には彼らのあいだの和解と一種の社会契約へと彼らを導いていった。ここに至って、欲動の断念、相互に義務を負うことの是認、犯すべからざる(聖なる)制度のはっきりした制定、すなわちと正義の誕生などによって特徴づけられる社会組織の最初の形式が成立した。個々の男たちはすべて、父親の地位を独占するという理想母親と姉妹たちを占有するという理想を断念した。それとともに、近親婚タブー及び族外婚の掟が生じた。父親を片づけたことで宙に浮いてしまった絶対的権力のかなりの部分は女性たちの方に移り行き、母権制の時代が到来した。父親への追憶はこのような時代になっても「兄弟同盟」のなかで生き続けた。当初は恐怖のまとであった強力な動物が父親の代理と見なされるようになった。(中略)トーテム動物への関わり方のなかには、父親に対する感情関係の根元的な分裂が完璧なかたちで保存されていた。トーテムは、一方では肉体を持った祖先にしてかつ一族の守護神であって崇拝され大切にされねばならなかった。他方において、原人たちの父親が遭遇した運命、トーテムを待ちうける祝祭の日が定められていた。トーテムは一族全員によって殺害され食べ尽くされた。この大いなる祭の日は、実際に、団結した息子たちの父親に対する勝利を祝う祭の日であった」


『トーテムとタブー』は、トーテムという言葉があっても、単に北アメリカのインディアンのことではなく、人類史の初期の考察らしい。
だから日本にも当てはめられることだが、すべてそのまま当てはめていいということではない。ヤマトタケルを一人の人物に当てはめるならば、それは間違いなく紀元後の人物であり、母系社会は既に到来している。ヤマトタケルは、母系社会に登場した、突然変異の絶対的父権者である。
フロイトは『トーテムとタブー』で、近親婚のタブーと祖先の原人たちの父親を動物に見立てて崇拝することを、最初の宗教の形態と見ている。そして『モーセ一神教』では、近親婚のタブーの代わりに、厳格な律法をユダヤ人に強要したからこそ、ユダヤ人は今日でも律法を固く守っている。そしてそれゆえに、モーセユダヤ人に殺されたと、フロイトは『モーセ一神教』で述べている。
私はフロイトモーセと反対に、ヤマトタケルは殺されていないと考えている。なぜなら宗教の最初の形態では、近親婚のタブーが禁忌となるが、私は、近親婚のタブーは古代においては建前に過ぎないと思っているからである。
日本は現代においても、近親婚のタブーが緩い。母方の従姉妹との結婚は許されているし、妻の死後、妻の姉妹と結婚することもある。古代のいつの時期に、近親婚のタブーが建前でなくなったかは、現時点では私にはわかっていない。しかし『記紀』を見ても、近親婚の形跡が至るところに見られるのである。そのことは、シリーズを重ねるにつれて明らかにしていく。
近親婚のタブーがヤマトタケルの遺産でないとすれば、ヤマトタケルはなぜ神話に残ったのか?その理由は、ヤマトタケルこそが、最初に日本の大部分を統一した人物だからだと、私は考えている。日本の統一者は、『記紀』においては全国に四道将軍を派遣し、西は吉備、丹波から東は会津までを征服した、崇神天皇となっている。崇神天皇は日本の統一者だからこそ、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)の諡号が贈られているというのが、『記紀』の主張である。
しかし私は、真の日本の建国者はヤマトタケルであり、崇神天皇ヤマトタケルの父が本体で、ヤマトタケルの功績を奪うために創られた存在だと考えている。その論証は今後詳しくしていくが、今言えることは、崇神天皇が日本の建国者なら、ヤマトタケルの神話は必要ないのである。
ヤマトタケルは西は出雲、熊襲を征服し、この点崇神を上回っている。そしてその後東国を征服するのだが、その征服地が、『古事記』では「東の方十二道(ひむがしのかたとをあまりふたみち)とあり、崇神の征服地と全く同じなのである。同じ地を二度征服する必要はない。これも「神話的矛盾」である。
この矛盾を解く方法は、崇神に何かの不都合があってヤマトタケルが創られたか、ヤマトタケルに不都合があって崇神が創られたかのどちらかであると考えるのが、一番妥当である。そして私は、ヤマトタケルに不都合があったから、崇神が創られたと考える。

またフロイトは、人間が近親相姦を嫌悪する生理学的な理由は存在しないと述べ、近親婚のタブーこそが原人たちの父親の教えであり、近親婚は神の特権であると唱えている。ならば母子婚をなした開化天皇こそ、ヤマトタケルにふさわしい。
そう、ふさわしいのである。そして開化天皇こそが日本の建国者だと私は主張しているのだが、これこそ私の直感そのものであり、ヤマトタケル開化天皇であることを論証するのではなく、開化天皇ヤマトタケルにふさわしいことを論証するシリーズになってしまう危険性をはらんでいることを、今のうちに述べておく。もとより完全立証は不可能だと思っているが、当然論証の努力はしていくつもりである。今はただ、論証よりまず大きな直感に従わなければ、ヤマトタケルの実像に近づくことはできないと私は主張する。

日本は「和」の国であり、ヤマトタケル天皇で、日本の建国者である事歴を消されたのは、あまりにも「和」の精神に反する存在だったからであると、私は考えている。次回は、その点について述べていく。


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