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「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である⑤~神武東征、オオクニヌシの国譲りから見る『古事記』の「和」の否定

シリーズ第一回目から読みたい方はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

古事記』と『日本書紀』の思想的な違いは、神武東征において最もよく表れているように思う。
古事記』の神武東征の話は、日向の国から瀬戸内海を渡って、神武は摂津国に上陸する。しかし日下の地で那賀須泥毘古(ナガスネビコ)に敗れ、紀州から吉野に入り、大和国に進攻する。
そして大和国で兄宇迦斯(エウカシ)、八十健(ヤソタケル)兄斯木、弟斯木(エシキ、オトシキ)を討ち、邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)が帰順した後に、白梼原宮(かしはらのみや)で「天の下治らしめしき」、つまり天皇として天下を治めたとある。
しかし私には、神武が天皇になったように見えないのである。なぜなら『古事記』には、ナガスネビコを倒したと書かれていないからである。


古事記』の神武東征の様子は、主に歌で表されている。
ヤソタケルを討つ時、ヤソタケルにご馳走を与えた後、騙し討ちにした。その時歌った歌は、

「忍坂の 大室屋に 人多に 来た入り居り 人多に 入り居りとも みつみつし 久米の子が 頭椎(くぶつつ)い 石椎(いしつつ)いもち 撃ちてしやまむ みつみつし 久米の子らが 頭椎い 石椎いもち 今撃たば宜(よら)し」

(忍坂の大きな土室に、人が数多く集まって入っている。どんなに多くの人が入っていても、勢い盛んな久米部の兵士が、頭椎の大刀や石椎の大刀でもって、撃ってしまうぞ。勢い盛んな久米部の兵士らが、頭椎の大刀や石椎の大刀でもって、今撃ったらよいぞ)

登美毘古(ナガスネビコのこと)を「撃たむとしたまひし時、歌ひて曰はく」、

「みつみつし 久米の子らが 粟生(あはふ)には 臭韮一本(かみらひともと) そねが本 そね芽繋ぎて 撃ちてしやまむ」
(久米部の者たちの作っている粟畑には、臭気の強い韮が一本生えている。そいつの根と芽といっしょに引き抜くように、数珠つなぎに敵を捕らえて、撃ち取ってしまうぞ)

また「歌ひて曰はく」、

「みつみつし 久米の子らが 垣下に 植えし椒 口ひひく 吾は忘れじ 撃ちてしやまむ)

(久米部の者たちが垣のほとりに植えた山椒の実は辛くて、口がひりひりする。我々は、敵から受けた痛手を忘れまい。敵を撃ち取ってしまうぞ)

また「歌ひて曰はく」、
「神風の 伊勢の海の生石(おひし)に 這ひもとほろふ 細螺(しただみ)の い這ひもとほり 撃ちてしやまむ」

(伊勢の海の生い立つ石に這いまつわっている細螺のように、敵の回りを這い回って撃ち滅ぼしてしまうぞ)

またエシキ、オトシキを「撃ちたまひし時」、神武の軍勢はしばしば疲れた。そこで歌った歌が、

「楯並(たたな)めて 伊那佐の山の 木の間よも い生きまもらひ 戦へば 吾はや飢ぬ 島つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね」

伊那佐の山の木の間を通って行きながら、敵の様子を見守って戦ったので、我々は腹が減った。鵜飼部の者どもよ。今すぐ助けに来てくれ)

このように、神武はナガスネビコを「撃たむとしたまひし時」と書かれているが、ナガスネビコを討ったとは書かれていない。
またナガスネビコと戦う時の歌は威勢がいいが、エシキ、オトシキと戦った時は苦戦した様子が記載されている。ナガスネビコと戦った後にエシキ、オトシキと戦うのは、論理的にはともかく、ストーリー的には少しおかしい。だから私は、『古事記』の神武東征の下りを読むと、神武の軍勢が戦いながら骸になっていったイメージが、どうしても浮かんでしまう。

神武がナガスネビコと戦い、戦いの最中に金色の鵄が神武の弓に止まり、鵄が光を発してナガスネビコの軍勢の目を眩まし、その混乱をついて勝利をおさめたという鳥見の戦いは、多くの日本人が知っている。しかし鳥見の戦いは『書紀』に記されているが、『古事記』にはない。


純粋に論理的に考えた場合、ナガスネビコを倒さなくても、神武は天皇になれる。しかしストーリーの流れからすれば、ナガスネビコを倒す記述なしに、神武が天皇になるのは極めて不自然である。
古事記』、『書紀』には、このような不自然、破綻した記述が多数存在する。
私は学者ではないが、便宜上このような記述を「神話的矛盾」と呼んでいる。「神話的矛盾」は、矛盾させることで、かえって「真実」を焙り出す。先に述べた、開化天皇とイカガシコメの婚姻の経緯を語らないのも「神話的矛盾」で、それを読む人が疑問を持つように書かれているのである。

古事記』の神武東征の記述から、何が読み取れるか。いくつかの可能性を考えてみよう。
①神武東征はなかった。
②神武東征はあったが、九州から大和に攻めこんだ神武は敗北した。

以上は大いに可能性のあることで、私も①と②に傾いている。
しかし、これは歴史的事実である。まだ歴史的事実に飛びつくのは早い。
読者諸氏は、私の態度に納得がいかないかもしれない。なぜここから歴史的事実を導き出してはいけないのかと。
以上の考察から歴史的事実を導き出すならば、②の神武東征が敗れたという見解が妥当だろう。①の神武東征そのものがなかった場合、あえて神武東征の話を創作する必然性がないからである。
ならば、神武東征を創作する必然性を示す見解が、後から出てきたならば?
今後、私は神武東征を創作する必然性を示す見解を述べていくつもりである。しかしだからといって、神武東征が完全に創られたストーリーだと言うのではないのだが、この件について触れていくのは、数回先のことになる。それまでどうかご辛抱頂きたい。
歴史的事実に飛び付けないなら、「真実」は何かを考えてみればいい。その「真実」とは、

③『古事記』は「和」の精神を否定している。

である。

古事記』のオオクニヌシの国譲りにおいて、タケミナカタが抵抗したことはよく知られている。
『書紀』には、タケミナカタは登場しない。
それでは『書紀』では、国譲りはどうなっているか。
『書紀』本文ではタケミカヅチと経津主(フツヌシ)の二神が、大己貴神(オオアナムチノカミ、オオクニヌシのこと)に国譲りを迫る。十握剣(とつかのつるぎ)を大地に突き立て、武力行使を仄めかしながらである。
しかし異伝第二では、フツヌシ、タケミカヅチがオオアナムチに「この国を天神に奉るか」と聞くと、
「あなた方二神の言うことはどうも怪しい。私がもとから居るところに、あなた方がきたのではないか」と、オオアナムチは反論する。
すると二神は天に上って報告し、高皇産霊(たかみむすひ)の言葉を受けて、
「お前の言うことは理にかなっている。そこで詳しく条件を言おう。現世の政治のことは皇孫がする。お前は幽界の神事を受け持て。またお前が住むべき宮居は柱は高く太く、板は広く厚くする」
その他にいくつかの条件を出すと、
「天神のおっしゃることは、こんなに理にかなっているどうして仰せに従わないことがありましょうか」
と言って、永久に隠れた。つまり死んだのである。

古事記』も『書紀』も、「和」がこの国の基本原理であることで一致している。しかし『古事記』が、タケミナカタに国譲りに反抗させたように、『古事記』は「和」を突き詰めず、「和」でないものが国を動かす原理になることを仄めかしている。
神武東征も、『書紀』にとっては国譲りによる、「和」の原理を表現したものだった。しかし神武東征後、神代から人代に入る。神話から歴史に変わる。(私からみれば、どちらも神話なのだが)
そして建国神話には、武力で国を造った英雄の存在が不可欠である。そこで神武東征のストーリーは、「和」の原理と、武力による建国を折衷した内容になった。
『書紀』では、ナガスネビコはニギハヤヒの家臣である。つまりナガスネビコは、ニギハヤヒのために神武と戦っている。そのナガスネビコが神武に負けると、ニギハヤヒは、

長髄彦は、性質がねじけたところがあり、天神と人とは全く異なるのだということを教えても、分かりそうもないことを見てこれを殺害された」(宇治谷孟訳、原文無し)

というように、これまで自分に忠を尽くして来たナガスネビコを殺してしまった。
「和」の原理と戦いの原理を無理に折衷すると、このようになる。『古事記』は、このようになるのを避けたのである。

今回と先の三記事、


  1. ヤマトタケルは開化天皇である④~『日本書紀』は『古事記』を解体する - 「人の言うことを聞くべからず」+

ヤマトタケルは開化天皇である③~オオゲツヒメ殺しから「真実」を読み解く - 「人の言うことを聞くべからず」+

ヤマトタケルは開化天皇である②~日本のオイディプス - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、記紀神話についての私の基本的な考え方を述べた。次回からヤマトタケルについての考察に入っていく。


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