「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である①~ヤマトタケルは開化天皇の代の人物

倭健命(ヤマトタケルノミコト)の子が若健王(ワカタケルノミコ)、ワカタケルノミコの子が須売伊呂大中日子王(スメイロオオナカツヒコ)、スメイロオオナカツヒコの子が迦具漏比売命(カグロヒメノミコト)、カグロヒメノミコトが景行天皇と結婚して大江王(オオエノミコ)を産む。
古事記』には、ヤマトタケルの詳細な系譜が記載されているが、日本神話や古代史に詳しい方なら、この記述に違和感を持つだろう。 カグロヒメと結婚した景行天皇は、ヤマトタケルの父なのである。景行天皇が、自分の子の曾孫と結婚する。『古事記』には、このような不自然な記述がよくある。また事歴のない、人物の名前が詳細に書かれている記述が多いのも、『古事記』の特徴である。
このような『古事記』の記述の不自然さは、何事かを伝えようとしているように思われる。実際にヤマトタケル景行天皇より前の人物ではないかと考える人もいる。 ヤマトタケル景行天皇より前の人物と考えて、ヤマトタケルからカグロヒメまでの代数分、つまり三代分を、景行天皇から遡らせて、ヤマトタケルを位置付け直してみると、ヤマトタケルは第九代天皇開化天皇の代になる。

倭健命ー若健王ー須売伊呂大中日子ー迦具漏比売

景行天皇

開化ー崇神ー垂任ー景行

開化天皇欠史八代と言われる八人の天皇の、最後の天皇になる。欠史八代とは、天皇の后妃、宮殿の所在地、没年、享年、陵墓の所在地等が記載されていながら、事歴の記載が一切ない八人の天皇のことである。なぜ事歴の記載がないのかもわかっていない。 私は、ヤマトタケル開化天皇の代にあたることから、ヤマトタケル開化天皇なのではないかと考えた。
ちなみに、ヤマトタケルは皇子ではなく、天皇である。常陸国風土記に、倭武天皇と、記載されている。ヤマトタケル天皇であることが、『古事記』、『日本書紀』には記載されていない。 ヤマトタケルが消された天皇であるなら、事歴を消された開化天皇と同一であってもおかしくないだろう、というのが、私の第一の考えである。 しかし開化天皇と同じ代にあたるから、ヤマトタケル開化天皇であるというのは、安易な考えである。
だからこの点を補強しよう。そもそも三王朝交代説に見られるように、記紀の皇室の系譜は操作されている。確実なのは、現皇室が神武天皇以来の万世一系ではないということである。つまり古代において、いくつかの王朝があり、複数の王朝が万世一系として、現皇室に統合されている。しかも同一の天皇と思われるものが、別の天皇として記紀に記載されてもいる。そのため今上天皇は第125代、日本の建国は、『日本書紀』に従えば西暦で紀元前660年になる。
私はこれは歴史でではないと考える。記紀は歴史的思考ではなく、神話的思考によって書かれている。 『古事記』も『日本書紀』も、丹念に計算すればどの天皇がいつの時代かはわかるようになっているが、記紀では多少のずれがある。また諸豪族も、物部氏の『先代旧事本紀』のように、自家の歴史や系図を編纂しているが、このような諸豪族の歴史書においては、もはやだれが何歳まで生きたかなどには興味を持たなかったらしい。 氏族の人物を「〇〇天皇の御代に奉仕し」などと書いてあったりして、どの時代の人物かを表したりしている。特に国宝になっている『海部氏勘注系図』(あまべしかんちゅうけいず)では、少なくとも応神天皇までは天皇家と代数を揃えているようである。
天皇と世代を合わせることで氏族の代数を決めるのは、古代においてひとつの考え方だった。

なお、ヤマトタケル武内宿禰であるという意見もある。 崎元正教氏の説である。 詳細は省くが、崎元氏の説は、まずヤマトタケル武内宿禰の生年が同じであることを指摘し、さらにヤマトタケルの弟の成務天皇武内宿禰の生年月日が同じであるという『日本書紀』の記述と、ヤマトタケル成務天皇の妻子の名前が共通していることから、ヤマトタケル成務天皇武内宿禰という推理をしたものである。

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重要な指摘である。私はまだヤマトタケル武内宿禰説を充分に検証していないが、現時点での私の考えでは、おそらくこれは『日本書紀』の主張である。もっとも、主張といっても隠れた主張であるが、逆に言えば、『古事記』の主張、それも隠れた主張は違うということである。『古事記』と『日本書紀』は、それぞれ異なる勢力によって書かれたというのが私の考えである。
そしてヤマトタケル開化天皇であるというのが『古事記』の隠された主張であり、『古事記』の主張は、『日本書紀』の主張より重要である。なぜなら日本人の多くは、『日本書紀』よりも『古事記』の内容で神話を記憶している。それは『古事記』が日本民族の「大きな物語」を作りあげることで、『日本書紀』よりも成功しているからであり、それだけに『古事記』の真意を知ることが、古代史の実相に迫ることになると思うからである。「実相を明かす」とは言わない。神話から歴史を完全に復元することは不可能である。我々にできることは、神話を読み解くこと歴史を垣間見ることだけである。
もっともヤマトタケル武内宿禰であることも、決して間違いではない。ヤマトタケルを日本の建国に貢献した複数の人物を統合して存在だという意見があるが、確かにヤマトタケルには、複数の人物が習合されている。だから私が言うのは、ヤマトタケルの「本体」である。ただし、ヤマトタケルは「日本の建国に貢献した複数の人物を統合した」などという単純なものではない。もっと複雑な背景がある。
また付け加えて言うが、私は一時、ヤマトタケル崇神天皇だと思っていた頃があった。 先に紹介した『海部氏勘注系図』は、歴代天皇の和風諡号を名前に持つ人物が五人も記載されているという衝撃的な文献であり、この系図により海部氏が現天皇家以前の王朝だと主張する研究者も多数存在する。 そして皇室の系図では、開化天皇の子が崇神天皇なのだが、『海部氏勘注系図』では、二人の親子関係が逆で、 崇神天皇が親になっている。いかにかつて口承で伝えられていたとは言え、親子関係が逆になるのはよほどのことである。しかし皇室系図の開化天皇の位置に崇神天皇がきて、そこにヤマトタケルが重なるなら、日本の大部分を初めて統一したとされている 崇神天皇ヤマトタケルにふさわしい。 このような脱線した話をするのは、もちろん後々に意味があるからである。今はただ、 崇神天皇開化天皇の親で、現皇室系図がむしろ逆転させていることだけを主張しておく。

このシリーズはおそらく十回以上に渡る。推論に推論を重ねて論を展開していくつもりなので、読んでイライラされる方も多いと思うが、気長にお付き合い頂ければ幸いである。

次回は開化天皇とは何者かについて述べていく。