「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(61)~須佐之男命は大国主神になったのか?

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

大国主神の神話の、沼河比売のくだりを見てみよう。八千矛神大国主神)が沼河比売を夜這いした後からである。


またその神の嫡后須勢理毘売命、いたく嫉妬したまひき。かれ、そのひこぢ(夫)の神わびて、出雲より倭国に上りまさむとして、束装(よそひ)し立たす時に、片御手は御馬の鞍にかけ、片御足はその御鐙に踏み入れて曰はく、

ぬばたまの 黒き御衣をまつぶさに 取り装ひ沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも これはふさはず 辺つ波 そに脱ぎ棄て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こもふさはず 辺つ波 そに脱ぎ棄て 山県に 蒔きし あたね舂き 染木が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こしよろし いとこやの 妹の命 群鳥の わが群れ往なば 引け鳥の わが引け往なば 泣くかじとは 汝は言ふとも 山との 一本薄 項かぶし 汝が泣かさまく朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語言も ことば

(黒い衣装をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これは似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、こんどはかわせみの羽のような青い衣装をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見るとき、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これも似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、山畑に蒔いた蓼藍を臼で舂き、その染め草の汁で染めた藍色の衣をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これはよく似合う。いとしい妻の君よ、群鳥が飛び立つように、私が大勢の共人を連れて行ったならば、引かれていく鳥のように、私が大勢の共人に引かれて行ったならば、あなたは泣くまいと強がって言っても、山の裾に立つ一本の薄のようにうなだれて、あなたは泣くことだろう。そのあなたの嘆きは、朝の雨が霧となって立ちこめるように、嘆きの霧が立ちこめるであろうよ。いとしい妻の君よ。ーーこれを語り草としてお伝えいたします)

 

とうたひたまひき。

 

 

ヤマトタケルは開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、須勢理毘売「命」は須佐之男命の「妻」であるべきである。つまりここに登場する八千矛神とは須佐之男命ではないかという疑問が生じてくる。
続きを見てみよう。

ここにその后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて歌ひて曰はく、
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男にいませば うち廻る島の崎々 かき廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男はなし 汝を除て 夫はなし 綾垣の ふはやが下に むし衾 にこがや下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に
寝をしなせ 豊御酒 奉らせ
(八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちになっているでしょう。それにひきかえ、私は女性の身ですから、あなた以外に男はありません、あなたのほかに夫はないのです。綾織の帳のふわふわと垂れている下で、苧(からむし)の夜具のやわらかな下で、栲の夜具のざわざわとなる下で、沫雪ように白い若やかな胸を、栲の綱のように白い腕を、愛撫しからませ合って、わたしの美しい手を手枕として、脚を長々と伸ばしておやすみなさいませ。さあ御酒を召し上がりませ。)
とうたひたまひき。かく歌ひてすなはちうきゆひして、うながけりて今に至るまで鎮まります。これを神語と謂ふ。

 

「八千矛の 神の命や 吾が大国主」と言っているが、これでは須佐之男命が大国主神と言っているようなものではないか?
もっともこの推論は、八千矛神大国主神でない場合に成立する。しかし周知の通り、「亦の名は八千矛神と謂ふ」と『古事記』にあり、八千矛神大国主神である。
ちなみに万葉仮名で書かれている歌の研究にはまだ手をつけていないが、一応この部分は「夜知富許能 迦微能美許等」と書く。丹波系を表す「迦」の字がある。
それでは須佐之男命は大国主神にならなかったのか?
『書紀』を見てみよう。

一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す。其の子凡て一百八十一神有す。

 

古事記』の大国主神の別名は、大穴牟遅神、葦原色許男神八千矛神、宇都志国玉神で、大国主神と「併せて五つの名あり」と書かれている。
『書紀』のこの一節は、大国主神の別名に大物主神が加わった最初の文で、他に大国玉神の名前がついている。
しかし別名の筆頭が「国作大己貴命」で、大穴牟遅神でなくなっている。
須佐之男命は大国主神になったのか?それを探るため、次回はヤマトタケルの物語を見ていこう。

メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。 



ヤマトタケルは開化天皇である(60)~丹波系は「僕」、出雲系は「吾」

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

古事記』では、丹波系と出雲系は一人称が違う。

 丹波系の一人称は「僕」、出雲系は「吾」であり、どちらも「あ」、「あれ」と読む。

丹波、出雲どちらか明確にしたくない場合は「我」を用いる。 

他に「妾」を用いる者もいる。勿論女性で、用いるのは木花之佐久夜毘売、豊玉毘売、沙本毘売の三人である。三人ともそれぞれ出産に関することで「妾」を用いる。


 「僕」が丹波系の一人称なのは、国つ神が「僕は国つ神」と皆名乗ることから確実である。

「吾」が出雲系なのは、一人の人物が丹波系から出雲系に変わる時、一人称が「僕」→「我」→「吾」と変わるからである。ただし今回は、その文の紹介はしない。 もっとも一人の人物が「僕」から「吾」に変わるということは、「吾」は確実に出雲系の一人称ではなく、出雲系の一人称に「見せている」可能性もある。この点は慎重に見ていく必要があるだろう。


 大国主神の神話の、因幡の白菟の話を見てみよう。菟が大国主神の兄弟の八十神に騙された後からである。

ここにその塩の乾くまにまに、その身の皮悉(ことごと)に風に吹き折(さ)かえき。かれ、痛み苦しみて泣き伏せれば、最後に来ませる大穴牟遅神、その菟を見て、「何しかも汝は泣き伏せる」と言ひしに菟答へ言さく、「僕淤岐島にありて、此地に度らむと欲(おも)へども、度らむ因(よし)無かりし故に、海の和邇を欺きて言はく、『吾と汝と競べて、族の多き少きを計へむと欲ふ。かれ、汝はその族のありのまにまに悉に率て来て、この島より気多の前まで、皆列み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて、走りつつ読み度らむ。ここに吾が族といづれか多きを知らむ』と、かく言ひしかば、欺かえて列み伏せりし時、吾その上を蹈みて、読み度り来て、今地に下りむとするに、吾云はく『汝は我に欺かえつ』と言ひ竟(おわ)る即ち、最端に伏せる和邇、我を捕らへて悉に衣服を剥ぎき。

 

「海の和邇を欺きて言はく」は「欺和邇言」と「之」がない。「最後に来ませる大穴牟遅神」は「最後之来大穴牟遅神」で、「最後でない」という意味になるが、どういうことかはわからない。

原文には、他に気になるところはない。 次に海幸山幸神話を見てみよう。

かれ、各己が身の尋長のまにまに、日を限りて白す中に、一尋和邇白さく、「僕は一日に送る即ち還り来む」とまをしき。かれ、ここにその一尋和邇に、「然らば汝送り奉れ。若し海中を度る時、な惶畏(かしこ)ませまつりそ」と告りて、即ちその和邇の頸に載せて送り出しまつりき。かれ、期りしが如一日の内に送り奉りき。その和邇を返さむとする時、佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき。かれ、その一尋和邇は、今に佐比持神と謂ふ。

 

「かれ、ここにその一尋和邇に」以下の主語がないが、前回述べたように文脈で主語を判断してはいけないので、和邇に乗って地上に戻ったのは火遠理命ではない。

文章は載せていないが主語は綿津見大神で、乗ってきたのは綿津見大神である。

 原文を見ると「之」のオンパレードで、「各己が身長のまにまに、日を限りて白す中に」は「各隨己身之尋長日而白之中」、「即ちその和邇の頸に載せて送り出しまつりき」は「即戴和邇之頸送出」、「限りしが如一日の内に送り奉りき」は「如期一日之内送奉成」、「その和邇を返さむとする時」は「其和邇返之時」、「佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき」は「解佩之紐小刀、著其頸而返」という具合である。 

それぞれ「身長に従わず日数を限って言わない」、「その和邇の頸でないところに載せて」、「一日の内に送らない」、「その和邇を返さない時」、「佩いてない紐小刀をその頸に著けて」となる。

つまり身長に従って日数を限って言ったのは一尋和邇のみであり、火遠理命ならぬ綿津見大神は、一尋和邇「でない」和邇に乗ってきたのである。 

そして一尋和邇は、一人称を「僕」と言っている。この一尋和邇は、菟に欺かれたままだ、というのが『古事記』の主張である。本当は出雲系なのに、自分を丹波系だと思っていると言いたいのである。そしてそれが「佐比持神」だと、『古事記』は言っているのである。

 「佐比持神」とは、「佐」と「比」の字を持つ神のことである。 そして「佐」と「比」の字のある人物が、『古事記』には三人いる。

孝霊天皇の条の比古伊佐勢理毘古命、垂仁天皇の条の品牟智和気御子のエピソードに登場する出雲国造の祖の岐比佐都美、仲哀天皇の条で神功皇后に反乱を起こす忍熊王の将軍の伊佐比宿禰である。

 このうち比古伊佐勢理毘古命と岐比佐都美は他に丹波系の名前があり、「佐比持神」なのかまだわからないが、忍熊王と共に死ぬ伊佐比宿禰は、騙されて自分を丹波系だと思っている出雲系の人物だというのが『古事記』の主張なのである。 


メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。

ヤマトタケルは開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

日本語は主語がなくとも意味が通じる。それは文脈で主語を判断しているからだ。
しかし『古事記』において、主語は文脈によって判断してはいけない。『古事記』を読む場合、文章の主語が抜けている時は、前の文の主語を引き継いでいると考えるべきである。

大国主神の神話の、須佐之男命を訪問する場面を見てみよう。


かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見て、目合して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。、かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見て、目合して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。

 

「その父」は「其父」で、真実の親子関係でないことを示す。そして「その妻須勢理毘売命」は須勢理毘売「命」で、大国主神と婚姻した須勢理毘売ではない。「その妻」「その夫」はそれぞれ「其妻」「其夫」で、『古事記』にあまり用法ががないので断定できないが、これも真実の夫婦関係でないと読めそうである。そして「ここにその妻須勢理毘売命…」の文は、前の主語を引き継いで「その大神」で、須佐之男命だと読むべきである。須佐之男命と須勢理毘売「命」とは真実夫婦ではないが、須勢理毘売とはどうかとも深読み出来そうな文である。なお、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」は「此者謂之葦原色許男命」である。大国主神は葦原色許男神で葦原色許男「命」ではないので、この文は合っているのである。(岩波『古事記』には葦原色許男とのみ記されており、「命」が入っていない。その理由はわからないが、ここでは漢文に「命」を足しておいた。

続きを見てみよう。


また来る日の夜は、呉公(むかで)と蜂との室に入れたまひき。また呉公・蜂の比礼を授けて、教ふること先の如し。かれ、平く出でたまひき。また鳴鏑を大野の中に射入れて、その矢を採らしめたまひき。かれ、その野に入りし時、すなはち火もちてその野を焼き廻らしき。ここに出でむ所を知らざる間に鼠来て云はく、「内はほらほら、外はすぶすぶ」といひき。かく言ふ故にそこを踏みしかば、落ち隠り入りましし間に、火は焼け過ぎぬ。ここにその鼠、その鳴鏑を咋ひ持ちて、出で来て奉りき。その矢の羽は、その鼠の子等皆喫ひたり

 

主語が全くないが、「先の如し」までは前の文と主語が同じとして、呉公と蜂の室に入れられたのが大国主神で、呉公・蜂の比礼を振ったのが須佐之男命だとわかる。
その後は主語がなく、鳴鏑を射たのが誰で、野に入って火に焼かれそうになったのが誰なのかわからない。主語がわかるのは鼠とその「子等」だけである。
鳴鏑の羽の「喫」むを「咋」むに入れ代えると、ある地名になる「羽咋」である。能登国羽咋神社があり、祭神は石衝別命である。
ならば鼠の「子等」が石衝別命かという疑問が出てくる。
古事記』にはそうは書いていない。石衝別命に見せるために「鼠の子等」は登場したのであり、この「鼠の子等」は丹波系と考えることができる。そして「羽咋」ではなく、「羽」を「喫」むとあるのは、「鼠の子等」が「羽咋」とは無縁だということである。
また、鳴鏑を「咋」んだ鼠を大山咋と考えることができる。鼠が大山咋かどうかは後に検討しよう。

この後大国主神須佐之男命がどうなるのかを見る前に、もうひとつ、わかった点を述べるために、大国主神の神話の別の物語を見ていくことにする。

メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。


ヤマトタケルは開化天皇である(58)~健内宿禰は女である。

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

古事記仁徳天皇の条で、

また一時、天皇豊楽したまはむとして、日女島に幸行しし時、その島に雁卵を生みき。ここに健内宿禰命を召して、歌を以ちて雁の卵を生みし状を問ひたまひき。その歌に曰りたまはく、
たまきはる 内の朝臣 汝こそは 世の長人 そらみつ大和の国に 雁卵生むと聞くや
ここに健内宿禰、歌を以ちて語りて曰さく、
高光る 日の御子 うべしこそ 問ひたまへ まこそに 問ひたまへ 吾こそは 世の長人 そらみつ 大和の国に 雁卵生むと いまだ 聞かず
かく白して御琴を給はりて歌ひて曰はく、
汝が御子や 終に知らむと 雁は卵生むらし
こは本岐歌の片歌なり。

 

仁徳が「大和の国に雁が卵を産んだと聞いたことがあるか」と歌で尋ねると、健内宿禰は「聞いたことがない」と答える。そして「汝が御子や 終に知らむと 雁は卵生むらし」という歌で締めくくる。その後「枯野という舟」のエピソードが続き、履中天皇の条になる。 

「終に知らむ」とは次に天皇になることを意味しているとするが、次の履中天皇が「子、伊耶本和気王」とあるように、履中は仁徳の子ではない。

「終」とは仁徳の次を意味しない。 ならば履中は誰の子だろうか。


 『古事記』考元天皇の条では、健内宿禰の「子」についての記述がある。

また木国造の祖宇豆比古の妹、山下影日売を娶して生みし子、健内宿禰。この健内宿禰の子併せて九たり。男七たり、女二たり。 波多八代宿禰は、波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖なり。次に許勢小柄宿禰は、許勢臣・雀部臣・軽部臣の祖なり。次に蘇賀石河宿禰は、蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・桜井臣・岸田臣の祖なり。次に平群都久宿禰は、平群臣・佐和良臣・馬御杙連臣の祖なり。次に木角宿禰は、木臣・都奴臣・坂本臣の祖なり。次に久米能摩伊刀比売、次に怒能伊呂比売、次に葛城長江曾都毘古は、玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣等の祖なり。また若子宿禰は、江野間臣の祖なり。

 

「この健内宿禰の子」は「此健内宿禰之子」なので、子供は皆「御子」である。

しかし 子供の数は柱で数える。「併せて九たり」とは、健内宿禰の「御子」は9人ではないことを意味する。 それにしても9人も「子」がいて、配偶者の記述が一人もないのは、健内宿禰くらいである。 


次に、仲哀天皇の条の、仲哀天皇が死ぬ場面を見てみよう。 

「その大后息長帯日売命は、当時帰神したまひき」 と始まるこの記述では、「帰神」を「かむがかり」と読んでいる。

しかしこれは「神に帰る」と読むべきだろう。天の石屋戸の記述でも、天宇受売命は「神懸りして」とある。息長帯日売命は「神が乗り移った」のではなく「神」なのである。

 仲哀天皇が死ぬところを飛ばして、その後を見てみよう。

ここに驚き櫂ぢて、殯宮に坐せまつりて、更に国の大ぬさを取りて、生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚の罪の類を種々求ぎて、国の大祓をして、また健内宿禰沙庭に居て神の命を請ひき。ここに教へ覚したまふ状、具に先の日の如く、「凡そこの国は汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国ぞ」とさとしたまひき。
ここに健内宿禰白さく、「恐し、我が大神、その神の腹に坐す御子は、何れの子にか」とまをせば、「男子なり」と答へて詔りたまひき。

 

「その神の腹に坐す御子は、何れの子にか」は「坐其神腹之御子、 何子歟」である。しかし「凡そこの国は汝命の御腹に坐す御子の知らさむ国ぞ」は「凡此国者、坐汝命御腹之御子、所 治国者也」で、文中の「之」は読み下しできない字である。

そして「汝命」とは、息長帯日売命のことではなく、健内宿禰のことである。

 「御腹」を「之」が否定しており、「国を知らす」のは健内宿禰の「御子」ではない。

しかし「その神の腹に坐す御子」とは、息長帯日売命の「御子」でもないのである。身体の部所にも「御」がなければ、その人物の身体を指していない。だから「腹」は、息長帯日売命の「御腹」ではない。そして健内宿禰の「御腹」に「御子」がいることを、『古事記』は否定していないのである。

 これで、健内宿禰に配偶者の記述がない理由がわかった。

健内宿禰が女性である、少なくともそう読んで欲しいから、『古事記』は配偶者の名前を記述しなかったのである。 

そして健内宿禰の「御子」が伊耶本和気王と読んで欲しいのが、『古事記』の目論見である。以前述べたように、葛城之曽都毘古を「御子」としたところは訂正しなければならない。 


他に、最近二つの発見があった。それを述べるため、次回、大国主の神話に触れるとしよう。 


メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。

 

ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定

古事記開化天皇の条に登場する、開化天皇の子の日子坐王が春日の健国勝戸売の娘、沙本之大闇見戸売を娶って沙本毘古王、袁耶本王、沙本毘売命、室毘古王が生まれる。
うち袁耶本王は、「葛野之別、近淡海蚊野之別之祖なり」とあり、「之」と「別」で二重否定となり、袁耶本王は出雲系となると考えれば、「袁」が丹波系を表すと考えて、「耶」がまた否定の意味だから出雲系になると考えることができる。
ということで、前回の最後の答えは「耶」は否定の意味になり、次の疑問として、伊耶本和気命と伊耶本和気王は何が違うのかに入るのだが、ここで大変なことに気づいてしまった。


子、伊耶本和気王、伊波礼の若桜宮に坐して天の下治らしめしき。

という記述を不自然に思った読者も多いだろう。伊耶本和気命と伊耶本和気王が違うのも想像できたと人も多いと思う。
その理由が、「子、伊耶本和気王」にかかっている。
実は、「子」は親子関係の否定である。
正しく親子関係だと表現する場合、『古事記』では「御子」と記述する。
「子」だけではない。「兄」、「弟」、「父」という記述も、血縁関係を意味しない。神代の神々の系譜は、ほとんど造作されている。
天皇の場合、子女には「御子」を用いるが、その他の皇族には「子」が用いられ、造作された系譜だとわかる。
それではほとんどの系譜が嘘ではないかと思うだろうが、信頼できるものもある。なぜなら豪族の場合、大抵「~之祖」という記述で二重否定になっているので、その人物が氏族の祖先なのは確かなのである。
親を指す場合、『古事記』では「御祖」を用いる。 ついでにいえば、「日子」は「日」の否定で、丹波系である。

ヤマトタケルは開化天皇である(51)~「之」も否定、「イリ王朝」は出雲系 - 「人の言うことを聞くべからず」+


で述べた、「入日子」を「日子」と同じとする見解をここで訂正し、「入」が「日子」の否定であるとする。
しかし「日子」は丹波系だが、「日売」は出雲系である。「日子」に対応する丹波系の表記は「日女」である。

もし今までに「原文を紹介する」と書いているところがあれば訂正しなければならないが、『記紀』の原文は漢文で、今までに紹介したのは読み下し文である。和歌はいわゆる万葉仮名で書かれており、漢文の中に一部、万葉仮名が混じっている。
講談社学術文庫の『古事記』には原文がないので、今回、改めて岩波文庫の『古事記』を購入した。

岩波の『古事記』には、現代語訳がない。
それでも古文に自信がある人は講談社より岩波の法がいいと思うかもしれないが、岩波『古事記』は古典文学体系『古事記』に拠って校訂されており、例えば

ヤマトタケルは開化天皇である(41)~「佐耶岐」と大雀太子 - 「人の言うことを聞くべからず」+


の「守」遅野和紀郎子も直されており、また「耶」は伊邪那岐命の「邪」になっている。
だから研究したい方には、講談社、岩波の両方読むのをお勧めする。
以降、必要最小限の原文も紹介し、その際漢文は講談社の『古事記』を基に校訂する。しかし返り点は80%縮小しかないので、不都合があればコメントを頂きたい。

長々と述べたが、まだ例証していないので、ここで例を挙げよう。少名毘古那の登場する場面である。
大国主神をはじめ、誰も少名毘古那が誰かわからない。そこでくえびこが神産巣日神の「御子」の少名毘古那神だと指摘する。


ここにたにぐく白さく、「こはくえびこ必ず知りたらむ」とまをせば、即ちくえびこを召して問ひたまふ時、こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞと答白しき。 かれここに、神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、答へて告りたまはく、「こは実に我が子なり。子の中に我が手俣よりくきし子なり。かれ、汝、葦原色許男命と兄弟となりて、その国を作り堅めよ」とのりたまひき。

「こは神産巣日神の御子、少名毘古那神ぞと答白しき」は「答 白此者神産巣日神之御子、少名毘古那神 」、「かれここに、神産巣日の御祖命に白し上げたまへば、答へて告りたまはく、『こは実に我が子なり』」は「故爾白二  於神産巣日御祖命 者、答告、此者実我子也」となっている。これで神産巣日神と神産巣日御祖命が同一で、少名毘古那神が神産巣日神の「御子」でないことがわかる。
この物語は大国主神と少名毘古那神を兄弟にして、大国主神神産巣日神の「子」にするためのものと現時点で解釈している。

「子、伊耶本和気王」は、仁徳の「御子」の否定である。その意味を探るために、次回、神功皇后のエピソードを語ろう。

メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。

ヤマトタケルは開化天皇である(56)~「忍」と「押」と「弉」

1~50を読みたい人はコチラ↓

sakamotoakiraf.hateblo.jp

古事記仁徳天皇の条の后妃子女の記述には、履中天皇は大江之伊耶本和気命とあり、その後「かれ、伊耶本和気命は天の下治らしめしき。」とある。
この場合、「之」が何を否定しているかが重要である。
「和気」を否定しているなら、大江之伊耶本和気命は丹波系である。しかし「大江」を否定しているなら出雲系ということになる。
どちらなのか、『古事記』の仁徳天皇の条を見ていこう。

ヤマトタケルは開化天皇である(33)~磐之姫の正体 - 「人の言うことを聞くべからず」+

の後のエピソードに、雁の卵の瑞祥の話と枯野という船の話がある。
「雁の卵の瑞祥」の話は、仁徳が日女島行幸した時に、雁が卵を生んだ。仁徳は健内宿禰に「大和国に雁が卵を生むと聞いたことがあるかと尋ね、健内宿禰は「聞いたことがございませんと答えたという話である。
「枯野という船」の話は、兔寸河の西に高樹があり、朝日に当たればその影は淡路島に及び、夕日に当たればその影は高安山を越えたという。その樹を切って造った船に枯野と名付けた。その船が壊れるとその木材で塩を焼き、焼け残った木で琴を作ると、その音色は七つの村里に響き渡ったという。
この二つのエピソードの詳細な研究はまだしていないが、その前の石之日売のエピソードが仁徳と石之日売が真に「結婚」したことを意味し、「雁の卵」と「枯野」が二人の子を意味すると見ている。

次に履中天皇の条では、

子、伊耶本和気王、伊波礼の若桜宮に坐して天の下治らしめしき。この天皇、葛城の曾都比古の子葦田宿禰の女、名は黒比売命を娶生みましし御子、市辺の忍歯王、次に御馬王、次に青海老女、亦の名は飯豊老女 三柱

とある。
伊耶本和気「王」は伊耶本和気「命」と同じなのだろうか。
この問題は後回しにしよう。
市辺の忍歯王の「の」は「之」である。ならばどれかの字を否定している可能性がある。
否定されているのは「忍」である。
欠史八代の一人、第五代孝昭天皇の条に、

この天皇尾張連の祖奥津余曾の妹、名は余曾多本毘売命を娶して生みましし御子、天押帯日子命、次に大倭帯日子国押人命。二柱。かれ、弟帯日子国忍人命は天の下治らしめしき。

とある。この文で「押」と「忍」が対比されており、それぞれどちらかが丹波、出雲を表す字だとわかる。

ヤマトタケルは開化天皇である(49)~仁徳朝は虚構である(追記あり) - 「人の言うことを聞くべからず」+

丹波系である若野毛二俣王の娘は忍坂「之」大中津比売命であり、「之」が「忍」を否定している。

ヤマトタケルは開化天皇である(55)~「別」と「和気」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

では践坂大中比弥王とあり、「忍」の字を使っていないことから、「忍」が出雲系を表す字だとわかる。
そして雄略天皇に殺されたのは、忍歯王となっている。
その後、
「市辺王の王子達、意祁王、袁祁王 二柱、この乱れを聞きて逃げ去りたまひき。」とあるので、意祁王、袁祁王は「市辺王」の子であり、「忍歯王」の子ではない。
なお、

ヤマトタケルは開化天皇である(24)~飯豊皇女は三人いる - 「人の言うことを聞くべからず」+

の市辺忍歯別王は市辺之忍歯王と同じ丹波系の人物となり、ここで訂正しておく。
次に顕宗天皇の条を見てみよう。

伊弉本別王の御子、市辺忍歯王の御子、袁祁の石巣別命、近つ飛鳥宮に坐して、天の下治らしめすこと捌(や)歳なり。

とある。「袁祁の石巣別命」
とは誰のことだろうか。
伊弉本別王が祖父で、「別」の字があるから丹波系かと思えば、父親が市辺忍歯王だから伊「弉」本別王は出雲系の人物である。
「弉」は丹波系の字であり、それが「別」によって否定されている。
ならば「袁祁の石巣別命」はどうだろうか。
「石巣別」とは、

ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+

の神生み神話で紹介した石巣比売の近親婚配偶者の否定であり、「袁祁の」は「袁祁」の否定で袁祁王とは別の出雲の人物であることを示している。
それでは「弉」が出雲系なら、「耶」は何か?
それを探るために、次回、仁徳天皇を見た後に、もう一度顕宗天皇を見ていこう。


メインブログ坂本晶の「人の言うことを聞くべからず」もよろしくお願いします。


ヤマトタケルは開化天皇である(55)~「別」と「和気」

「和気」は「別」と同音であり、「別」が丹波系と否定を意味するならば、「和気」は出雲系を意味する字である。
古事記』垂任天皇の条の后妃子女の記述を見てみよう。


この天皇、沙本毘古命の妹、佐波遅比売を娶って生みましし御子、品牟都和気命。

 

とあるが、この後に登場するのは品牟智和気である。
沙本毘古王の反乱の記述では、「この天皇、沙本毘売を后としたまひし時、沙本毘売命の兄沙本毘古王」とある。
沙本毘売命の兄が沙本毘古王というのは、開化天皇の条の記述と一致するが、このストーリーの垂任の后は沙本毘売で、沙本毘売「命」とは別なのである。
違うからといって、どちらが丹波でどちらが出雲ということはこれではわからない。「沙」は出雲系を表す字だから、これは混ざりである。ただ沙本毘売命が品牟都和気の母で、沙本毘売が品牟「智」和気の母だということである。
沙本毘売命は沙本毘古王から「八塩折の紐小刀」を受け取るが、途中で「その后」と沙本毘売を指す言葉に代わって二人が入れ替わっている
こうして度々二人が入れ替わって、

然して遂にその沙本比古王を殺したまひしに、そのいろ妹も従ひき。

 

と最後に「沙本比古王」と「そのいろ妹」となっている。そう「いろ妹」が沙本毘売だろう。
沙本「毘古」と表記しなかったこと、また『古事記』では丹波系の人物は殺されない鉄則から、品牟「智」和気の母の沙本毘売は出雲系である。

もう1つ、違う文献を紹介しよう。
上宮記』という散逸文献で、『釈日本紀』に僅かに引用文が残っている。
上宮記』というからには聖徳太子に関する文献と思われ、しかも『古事記』より成立年代が古いのが確実視されている文献である。
そう『上宮記』にはこうある。


上宮記に曰く。一に云ふ。品牟都和希王、杭俣那加都比古の女子、名弟比売麻和加を娶りて生める児、若野毛二俣王、母々恩己麻和加中比売を娶りて生める児、大郎子、一名意富富等王、妹践坂大中比弥王、弟田宮中比弥、弟布遅波良己等布斯郎女の四人也

 

この後の文は継体天皇に至る文だが、ここでは省く。
品牟都和気が品牟都「和希」になっている。『上宮記』では、「和気」を使わない。「都」は否定の字だが、否定する字がない場合は単独で丹波系を表す。だから品牟都「和希」は丹波系だということが『古事記』より明確になっている。
そして『上宮記』の品牟都「和希」が継体天皇の祖だということは、継体天皇応神天皇の五世孫と言われていることから、垂任天皇の子の品牟都和気とは応神天皇である。

「別」についても触れておこう。
垂任天皇の条の后妃子女の記述で、


弟苅羽田刀弁を娶して生みましし御子、石衝別王、次に石衝毘売命、亦の名は布多遅能伊理毘売命。二柱

 

とある。
石衝別王と石衝毘売命は近親婚の関係のように見えるがそうではない。石衝「別」命は、石衝毘売命との配偶関係の否定なのである。だから石衝「別」王は出雲系である。
これを踏まえて、次回、履中天皇、市辺押歯王を見ていこう。