「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(51)~「之」も否定、「イリ王朝」は出雲系

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大町阿礼さん
『北円堂の秘密』興味深く読ませて頂きました。気になったところを何回かに分けて述べていきたいと思います。
藤原不平等が壬申の乱の際に田辺史のところに預けられていたということで連想したのは、『書紀』雄略九年七月の記事です。田辺史伯孫の娘は書首加竜の妻で、娘が男の子産んだと聴いて、婿の家にお祝いに行った帰り道、いちびこの丘の誉田陵のところで、赤馬に乗っている人に出会った。伯孫はその馬が欲しくなったが、追い付かない。赤馬に乗った人は、伯孫の願いを知って馬を止めて交換したが、翌朝見ると赤馬は埴輪の馬に変わっていた。誉田陵に戻って探すと、伯孫の葦毛の馬が埴輪の馬の間に立っていた。伯孫は埴輪の馬と取り替えて連れて帰った。
という話です。

本題に入ろう。
古事記崇神天皇の条の后妃子女の記述を抜粋する。

この天皇、木国造名は荒河刀弁の女、遠津年魚目々微比売(とおつあゆめまくわしひめ)を娶して生みましし御子、豊木入日子命、次に豊鉏入日売命。また尾張連の祖意富阿麻比売を(おほあまひめ)娶して生みましし御子、大入杵命、次に八坂之入日子命、次に沼名木之入日売命、次に十市之入日売命。

 

意富阿麻比売の子の「入日子」「入日売」にはその前に「之」が入っているのに対し、遠津年魚目々微比売の子には、「入日子」「入日売」の前には「之」がない。
その理由を考えるために、景行天皇の条を見てみよう。

また八尺入日子命の女、八尺入日売命を娶して生みましし御子、若帯日子命、次に五百木之入入日子命、次に押別命、次に五百木之入日売命。

 

八坂之入日子が「八尺」入日子になっており、「之」が抜けている。
さらに垂任天皇の条を見よう。

またその大国之淵の女、弟苅羽田刀弁を娶して生みましし御子、石衝別王、次に石衝毘売命、亦の名は布多遅能伊理毘売命。

 

石衝毘売命、別名布多遅能伊理毘売命は「入日売」とならずに「伊理毘売」となっている。
さらに崇神天皇の条に戻って見てみよう。

また大毘古命の女、御真津比売命を娶して生みましし御子、伊玖米入日子伊沙知命、次に伊耶能真若命、次に国片比売命、次に千々都久和比売命、次に伊賀比売命、次に倭日子命。(六柱)この天皇の御子等併せて十二柱なり。(男王七、女王五柱なり。)かれ、伊久米伊理毘古伊佐知命は天の下治らしめしき。次に豊木入日子命は、上毛野・下毛野君の祖なり。妹豊鉏比売命は、伊勢大神の宮を拝き祭りき。

 

伊久米入日子伊沙知命が、伊「久」米「伊理毘古」伊「佐」知命になっている。また豊鉏入日売命が豊鉏比売命になり、「伊勢大神の宮を拝き祭りき」と記されている。
ここでいくつかの疑問が生まれてくるが、とりあえず結論を出そう。
「之」は単なる「~の」の意味ではなく、『古事記』では否定の意味であり、「入日子」、「入日売」は「日子」、「日売」と同じ意味である。
つまり御真木入日子印恵命と称される崇神天皇は出雲系である。
すると「天之~」という丹波系を表す表記は、丹波系が天神でないことを示すことになる。
また「久」、「佐」が丹波系を示し、「玖」、「沙」が出雲系を示すのではないかという疑問が出てくる。
次回は、その疑問に答えていこう。


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ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味

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古事記仲哀天皇の条にはこのようにある。

かれ、健内宿禰命、その太子を率て、禊せむとして淡海(あふみ、近江のこと)また若狭国を経歴し時、高志の前の角鹿(敦賀)に仮宮を造りて坐さしめき。ここに其地に坐す伊奢沙和気大神の命、夜の夢に見えて、「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」と云(の)りたまひき。ここに言祷ぎて白さく、「恐し。命のまにまに易へ奉らむ」とのりたまひき。

 

とある。

ヤマトタケルは開化天皇である(30)~三人の応神天皇 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、

古事記』では、応神天皇が皇太子の時に、越前の角鹿で気比大神と名前を交換する記事がある。
しかし『書紀』ではこの記事を、


けれどもそういった記録はなくまだつまびらかでない。
 

と記している。『書紀』より先に成立したとされる『古事記』を無視した主張である。

 

と私は述べたが、伊奢沙和気が名を交換したのは「御子」であり、「太子」ではない。
ならば「御子」とは、健内宿禰の子と考えることができる。

健内宿禰の子は葛城長江曾都毘古である。
この葛城長江曾都毘古が伊奢沙和気と名前を交換して葛城の曽都毘古になった、と言えば、読者はおかしいと思うだろう。
なぜなら、両者とも丹波系を表す「毘古」が名前に入っている。
その通りである。
『書紀』よりはるかに文量が少ない『古事記』でも、相当に引っ掛けがある。
健内宿禰が、健内宿禰「命」と表記されていることに注意しよう。
健内宿禰の名は孝元天皇の条に初めて登場するが、「健内宿禰」とあり、「命」はない。
健内宿禰はその後「健内宿禰大臣」または「健内宿禰命」と表記される。
ならば「大臣」はともかく、「命」がついている場合、健内宿禰は出雲系なのか?
と言えばそれも違うのだが、その理由は次回に回して、健内宿禰丹波系として見ると、違ったものが見えてくる。

丹波系と出雲系の間で婚姻が行われた場合、生まれる子供は丹波、出雲両方のどちらも生まれるのである。
イザナキとイザナミの神生み神話の一節を紹介しよう。


かれ、生みし神の名は大事忍男神。次に石土毘古神を生み、次に石巣比売神を生み、次に大戸日別神を生み、次に天之吹男神を生み、次に大屋毘古神を生み、次に風木津別之忍男神を生み、次に海の神、名は大綿津見神を生み、次に水戸の神、名は速秋津日子神、次に妹速秋津比売神を生みき。(大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神。)

 

まず前提として、イザナキ、イザナミ丹波系だとする。ならば二人の間に生まれる神は皆丹波系のはずである。
となると、気になるのが大戸日別神速秋津日子神である。「日」、「日子」が名前に入っているから出雲系ではないかと。
まず、大戸日別神の「日別」は出雲系を表すのではない。
国生み神話で、イザナキとイザナミが九州を生むが、四つの国にそれぞれ名前がついている。筑紫国が白日別、豊国が豊日別、肥国が健日向日豊久士比泥別、熊曾国が健日別である。「日」、「日別」が出雲系を表すとした場合、これでは出雲系の印象が強すぎる。この場合「別」が出雲系の「日」を消していると考えられる。
次に速秋津日子神だが、これは「速」が出雲系の「日子」の出雲性を消していると考えられる。
「別」「速」が「日」「日子」を消去するかについては、まだ検証段階である。ただこれらの字の意味するところについては、多少の見解はある。
しかし話が進まないので、これらは後回しにしよう。
次に、やはり国生み神話から、先の文のすぐ後である。

速秋津日子・速秋津比売の二の神、河海によりて持ち別けて生みし神の名は、沫那芸神、次に沫那美神、次に頬那芸神、次に頬那美神、次に天之水分神、次に国之水分神、次に天之久比奢母智神、次に国之水分神。(沫那芸神より国之久比奢母智神まで、併せて八神)

 

「天之~」という神と、「国之~」という神がいる。
「天之」が丹波系を表すというのは以前説明した。もっとも以前は説明不足だったが、天之御中主神丹波だと言えば、仮説としては一定の説得力があるだろう。
「天之~」に対する「国之~」は出雲系の神であることを表している。
もっともこれは正確には婚姻はしていないがこのようにして、『古事記』は丹波系の中に出雲系を混ぜていっている。

先の文の末尾に、「大事忍男神より秋津比売神まで併せて十神」とあり、「速」秋津比売神が秋津比売神に変わっている。ここで丹波系の神が出雲系の神に変えられたのである。
しかし読者は、次の文で「速秋津日子・速秋津比売」とあるのを疑問に思うだろう。両方とも丹波系を表してはいないかと。
違うのである。両者とも「神」が抜けている。「神」まで記載されなければ、同一とは言えないのである。
このうち速秋津日子は、「速」が「日子」を否定していると見て、速秋津日子神と同一としていいだろう。
しかし速秋津比売は、「秋津比売」の次に出てくる名前として、出雲系と見るべきだろう。その場合、「速秋津比売」の「比売」は「毘売」で、「速」が「毘売」を否定していると考えればいい。
この場合「速」は丹波、出雲の否定を表す字となる。樋速日神なども、「速」が「日」を否定して丹波系になっているのだろう。

そして、石之日売であるが、これもまた丹波系の名前なのである。
その理由は、「之」が「日売」を否定しているのである。
次回、石之日売の検証のために、「イリ王朝」と呼ばれる崇神、垂仁朝を見ていこう。


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ヤマトタケルは開化天皇である(49)~仁徳朝は虚構である(追記あり)

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古事記』の応神天皇の后妃、子女はこのように記載されている。

この天皇品陀真若王の女、三柱の女王を娶したまひき。一の名は高木之入日売命、次に中日売命、次に弟日売。(この女王等の父品陀真若王は、五百木之入日子命尾張連の祖建伊那陀宿禰の女、志理都紀斗売を娶して生みし子なり。)かれ、高木之入日売の子、額田大中日子命、次に大山守命、次に伊奢之真若命、次に妹大原郎女、次に高目郎女。(五柱)中日売命の御子、木之荒田郎女、次に大雀命、次に根鳥命、(三柱)弟日売命の御子安倍郎女、次に阿貝知能三腹郎女、次に木之菟野郎女、次に三野郎女。(五柱)また丸邇の比布礼能意富美の女、名は宮主矢河枝比売を娶して生みましし御子、宇遅能和紀郎、次に妹八田若郎女、次に女鳥王。(三柱)またその矢河枝比売の弟、袁那弁郎女を娶して生みましし御子、宇遅之若郎女。(一柱)また咋俣長日子王の女、息長真若中比売を娶して生みましし御子、若沼毛二俣王。(一柱)また桜井の田部連の祖、島垂根の女糸井比売を娶して生みましし御子、速総別命。(一柱)また日向の泉長比売を娶して生みましし御子、大羽江王、次に小羽江王、次に幡日之若郎女。(三柱)また迦具漏比売を娶して生みましし御子、川原田郎女、次に玉郎女、次に忍坂大中比売、次に登富志郎女、次に迦多遅王。(五柱)。また葛城の野伊呂売を娶して生みましし御子、伊奢能麻和迦王。(一柱)

 

記紀』の天皇の后妃子女の記述は謎の宝庫だが、応神天皇のもそうである。
特に気になるのは、迦具漏比売がいることである。第一回の記事や、

ヤマトタケルは開化天皇である(25)~飯豊皇女と「ハエ媛」 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で紹介した迦具漏比売である。
もっともなぜここに迦具漏比売がいるのかはわからないが、今記事で重要なのは迦具漏比売ではなく、若沼毛二俣王である。

応神天皇の条の最後は、応神天皇の子孫の記事である。

またこの品陀天皇の御子若野毛二俣王、その母の弟百師木伊呂弁、亦の名は弟日売真若比売命を娶して生みし子、大郎子、亦の名は意富々
杼王、次に忍坂之大中津比売命、次に田井之中比売、次に藤原之琴節郎女、次に取売王、次に沙禰王。(七柱)かれ、意富々杼王は、三国君、波多君、息長の坂君、山道君、筑紫の米多君、布勢君の祖なり。また根鳥王、庶妹三腹郎女を娶して生みし子、中日子王、次に伊和島王また堅石王の子は久奴王なり。

 

この記述では、若沼毛二俣王が若「野」毛二俣王になっていて、応神の后妃子女の人物とは別人だとわかる。それにしても、忍坂大中比売が忍坂之大中津比売という名前で、若「野」毛二俣王の娘に登場しているのは驚きである。
そして最後の堅石王という人物は、応神の子女にいない。
この堅石王が何者なのかが鍵である。

古事記』の応神天皇のエピソードとして、次の話がある。

また秦造の祖、漢値の祖、また酒を醸むことを知れる人、名は仁番(にほ)亦の名は須須許理等参渡り来つ。かれ、この須須許理大御酒を醸みて献りき。ここに天皇、この献りし大御酒にうらげて、御歌に曰りたまはく、
須須許理が 醸みし御酒に われ酔ひにけり ことな酒 ゑ酒に われ酔ひにけり
かく歌ひて幸行しし時、御杖以ちて大坂の道中の大石を打ちたまひしかば、その石走り避りき。かれ、諺に「堅石も酔人を避く」といふ。

 

この応神の杖を避けた岩が堅石王である。

これが何を意味するかだが、それは須須許理にある。
いや、須須許理でなく、本名の仁番である。

古事記』の序にこのようにある。

ここを以ちて番仁岐命(ほのににぎのみこと)、初めて高千嶺に降り、神倭天皇秋津島に経歴したまひき。

 

ニニギノミコトは『古事記』の本文では、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇岐命、日子番能邇邇岐命、天津日高日子番能邇邇岐能命と記載されており、番仁岐命と記載されているのは序のみである。
記紀』では名前が1字でも違えば別人だが、それはアナグラムを原則使っていないことを意味する。
しかし序の番仁岐命の「番仁」を逆転すると仁番になる。
これは『古事記』で、現時点で唯一見つけたアナグラムである。

この記述の後、応神の崩御、大山守の反逆、宇遅能和紀郎子の死の話があり、その後

ヤマトタケルは開化天皇である(29)~アメノヒボコとツヌガアラシト - 「人の言うことを聞くべからず」+

で紹介したアメノヒボコとツヌガアラシトの神話があり、さらにその後に

ヤマトタケルは開化天皇である(31)~新羅の王?仁徳天皇 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で紹介した、秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)と春山之霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)の話がある。
ここで、訂正が二つある。
新羅の王?仁徳天皇」で、沙本比売と書いたが、正しくは沙本毘売で、沙本毘古、沙本毘売の兄妹になり、出雲系でなく丹波系である。
そして若「野」毛二俣王の子孫は、継体天皇に繋がっている。
秋山之下氷壮夫と春山之霞壮夫の話の話は、沙本毘古がシナツヒコに勝った話であり、沙本毘古の子孫が継体天皇だという暗示である。
そしてシナツヒコの家系は仁徳朝であり、仁徳朝は虚構である。
そして仁徳朝が虚構であることが、石之日売が出雲系の「日売」の名を持っている理由の一つである。
石之日売が「日売」の名を持つもう一つの理由を探るために、次回、気比大神のエピソードを見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(48)~『古事記での丹波、出雲の見分け方②

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更新のために書いている直前で気付いたことがあり、考えていたことが破綻したのだが、書けるところまで書こう。

カグツチの名前について、『古事記』の記述を見てみよう。

次に火之夜芸速男神を生みき、亦の名は火之炫毘古神(ひのかかびこのかみ)と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ。

 

このうち火之夜芸速男神、火之炫毘古神の名前は『古事記』では一度紹介するだけで、『書紀』では全く使われない。
しかし使われないからといって、『書紀』にこの二つの名前が反映されていないのではない。
火之炫毘古神は天津甕星、亦の名を天香香背男という名で登場する。
このように、『書紀』に登場しない『古事記』の名前も、少し名前が変わって登場している例は他にもある。

天津甕星については後回しにして、火之夜芸速男は何かが、この記事のテーマである。
イザナミカグツチの火で陰部を焼かれて死ぬ。
その後、カグツチイザナギに切られて死ぬが、その時の名前が迦具土神で、「火之迦具土神」でなくなっている。
その後の記述を見てみよう。
「ここにその御刀(みはかし)の前に箸(つ)ける血、ゆつ石村(いはむら)に箸ける血に走り就きて成りし神の名は、石折(いはさく)神、根折神、次に石筒之男神。(三神)次に御刀の元に箸ける血も、ゆつ石村に走り就きて成りし神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に健御雷男神、亦の名は健布都神、亦の名は豊布都神。(三神)次に御刀の手上に集まれる血、手俣より漏(く)き出でて成りし神の名は、闇於加美神、次に闇御津羽神。」
ここに出てくる樋速日神が重要である。
『書紀』では異伝第六に
『ついに腰にさげた長い剣を抜いて、軻遇突智を斬って三つに断たれた。その各々が神となった。また剣の刃からしたたる血が、天の安河のほとりにある沢山の岩群となった。これは経津主神の先祖である。また剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。名づけて甕速日神という。次に熯速日神が生まれた。その甕速日神は、武甕鎚神の先祖である。または甕速日命、次に熯速日命、次に武甕鎚神が生まれたともいう。また剣の先からしたたる血がそそいで神となり、名づけて磐裂神という。次に根裂神次に磐筒男命が生まれた。あるものには磐筒男命と磐筒女命といっている。また剣の柄頭からしたたる血が、そそいで神となった。名づけて暗龗という。次に闇山祇(くらやまつみ)、次に闇罔象(くらみつは)が生まれた。」
熯速日の「熯」は火神を意味するが、樋速日は火神を意味しない。
だから丹波系は火神の家系であり、「迦具土神」である出雲系は太陽神の家系だが火神の家系ではない。
古事記』の「火之夜芸速男」が熯速日になったと、私は考えた。

しかし、問題が生じたのである。
『書紀』では本文にはカグツチの記述はなく、異伝第二、第四、第六、第七が軻遇突智、第三が火産霊、第五が「火神」、第八が「軻遇突智命」である。もっとも多く使われている「軻遇突智」を丹波系と考えた場合、火神の家系が火神を生むのは当然である。

古事記』を見ると、
「上の件の石折神より下、闇御津羽神より先、併せて八神は、御刀によりて生りし神なり。
とあり、
「かれ、斬りたまひし刀の名は天之尾羽張と謂ひ、亦の名は伊都之尾羽張と謂ふ。」
とある。生まれた神々は刀の子で、「迦具土神」の子ではない。

丹波系が火神の家系で、出雲系が太陽神の家系でも火神の家系ではないという私の考えは、間違っていない。
古事記』の大国主の国譲りには、天尾羽張神、その子の健御雷神が登場するが、天尾羽張神は「天之尾羽張神」でなく、健御雷神は「健御雷男神」ではない。
実はここに、『古事記』での丹波系と出雲系、もうひとつの見分け方が表れている。
「あめの~」という神が登場した時、「天之~」と表記するのが丹波系で「天~」と表記する場合は出雲系なのである。
他にも前回述べたスサノオとアマテラスの誓約に登場するアメノホヒも、最初は「天之菩卑命」と表記されながら、その後「天菩比命」と表記され、出雲国造の祖とある。現代まで続く出雲国造家の千家氏は出雲系である。
さらに言えば、天火明命は『古事記』では出雲系である。
火神や雷神も同様のようで、「之」が名前に入っていなければ、その神は出雲系なのである。

結論に入ろう。
ヒコホホデミは『古事記』では天都日高日子穂穂出見命とある。
天都日高日子穂穂出見命は丹波系だが、『書紀』で彦火火出見と表記された場合は出雲系なのである。
それでは『書紀』でなぜ、火神が火神を生むような記述になっているかだが、その理由は分かっている。
しかしこの問題は後回しにして、次回、石之日売の訂正をしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(47)~アマテラスとスサノオの誓約のカラクリ

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前回述べたヒコホホデミについて語るには、なぜ私が『古事記』の丹波系と出雲系の区別に気づいたのかを語るのがいいだろう。結論を先に述べれば、ヒコホホデミを丹波系とした見解とは逆になる。

アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)で、スサノオがアマテラスの珠から生まれた神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命の五柱の神である。

『書紀』では、本文は正或吾勝速日天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命で、ほぼ
同じである。

異伝第一では、正吾勝勝速日天忍骨尊、天津彦根命、活津彦根命、天穂日命、熊野忍踏(くまのおしほみ)命である。忍穂耳が忍骨となり、熊野櫲樟日命が熊野忍踏命となっている。
天津彦根、活津彦根が二番手、三番手となり、天穂日が四番手になっている。

異伝第二が天穂日命、正吾勝勝速日天忍骨尊、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命となっている。天穂日と天忍骨が逆になっている。

異伝第三が勝速日天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熯之速日命、熊野忍踏命、またの名は熊野忍隈命となっている。
熯之速日命が加わり、五柱から六柱の神になっている。しかも熊野忍隈命というのは、この神が神功皇后に殺された忍熊王だというのが『書紀』の主張だということである。

以上、異伝は三つだが、実は他に異伝第四とすべきものがある。
四つのテキストは天岩戸神話の前にあるテキストだが、天岩戸神話の後、スサノオが追放される前にアマテラス(正確には日神)に挨拶に行き、六柱の神を生む。このテキストは本文にある。
生まれた神は正吾勝勝速日天忍穂根尊、天穂日命天津彦根命、活目津彦根命、熯速日命、熊野大角(くまののおおくま)命である。
「忍骨」が「忍穂根」となり、活津彦根が活目津彦根となっている。「活目」とは活目入彦五十茅天皇と呼ばれる垂仁天皇のことである。
そして熯之速日の「之」が取れ熯速日命となり、熊野大角、つまり

ヤマトタケルは開化天皇である⑩~『海部氏系図』に見るヤマトタケルの姿と熊野の神 - 「人の言うことを聞くべからず」+

の「熊野の大熊」が生まれたというのが『書紀』の主張なのである。
そして、この六神を私はこう読んだ。すなわち、
正吾勝勝速日天忍穂根尊ー天津彦根命ー熯速日命
天穂日命ー活目津彦根ー熊野大角命
とである。
どちらが丹波系で、どちらが出雲系かだが、異伝第一で天津彦根、が二番手、活津彦根が三番手、天穂日が四番手となり、異伝第二で天穂日と天忍骨が逆になっているのを見ると、天津彦根丹波系だと考えられそうである。
異伝第二以降の「忍骨」が重要そうに見えるが、これは引っ掛けと考えればいい。つまり「忍穂耳」も「忍骨」も同じなのである。それに気づかないと、天津彦根が出雲系と互換性のある丹波系の神だと気づかない。
「忍踏」は「忍骨」と同じように見えて違う。
さらに言えば、熊野忍隈は忍熊王に見えてそうではない。忍熊王なら「忍熊」と書かれなければならない。
以上を考えれば、異伝第一で「忍踏」、第二で「櫲樟日」、第三で「忍踏=忍隈」となる理由がわかる。天穂日=活津彦根は本来忍熊王だが、一連の作業で忍熊王でなくなったのである。
そして丹波系の垂仁天皇にあたる人物が、「熊野の大熊」にされた。「忍骨」=垂仁天皇にあたる人物は、出雲系の人物にすり替えられた。それが「忍穂根」である。
この「忍穂根」が熯速日だというのが、『書紀』の主張である。この熯速日が何者かを知るため、次回、再びカグツチの神話を検証する。


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ヤマトタケルは開化天皇である(46)~『古事記』での丹波、出雲の見分け方

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ヤマトタケルは開化天皇である(44)~訂正②天照大神は出雲の神である。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、延烏郎が西暦158年に新羅からきたと主張する必要が無くなった以上、

ヤマトタケルは開化天皇である(23)~『記紀』には「倭の五王」のことは書かれていない - 「人の言うことを聞くべからず」+

のように、158年から4世紀までが『記紀』に書かれていると主張する必要も無くなった。
その後いくら研究しても、ヤマトタケル=開化の子のことが出てこないというより、ヤマトタケル=開化の子のように見える人物が、その父だと思うようになってきた。ちょうど開化と崇神の親子が逆であるように。
ならば

ヤマトタケルは開化天皇である⑲~母子婚者の子は父子婚者 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたことはどうなるかと言えば、これも逆ににすればいいわけで、兄妹婚の後に生まれた娘と近親相姦をして生まれたのがヤマトタケル=開化と見ればいい。
ヤマトタケル=開化の子がヤマトタケル=開化の父と同じようなことをした可能性もあるが、先に述べたように、ヤマトタケル=開化の父と子を分離できない以上、『記紀』神話は丹波系の男に限れば、ヤマトタケル=開化とその父の物語が書かれていると今は見ている。この点については、また後に述べよう。

今まで、『書紀』の丹波系と出雲系の違いは何度か説明してきたが、『古事記』の丹波系と出雲系の違いはわからなかった。
しかし今回、『古事記』での丹波系、出雲系の違いがわかったので、紹介することにする。
古事記』では、丹波系の人物と明確に示したい場合は、「毘古」「毘売」を名前に入れ、出雲系の人物と示したい場合は「日子」「日売」を名前に入れる。
もっとも多くの人物には、これらの記号はついていない。丹波系と出雲系を判別できないようにする最も多いパターンは男性なら「比古」、女性なら「比売」を名前に入れることである。
また「日子」が名前に入っていても、出雲系と特定できない例もある。スサノオとアマテラスの誓約で生まれた天津日子根などがそうである。また、若倭根子日子大毘々命の和風諡号を持つ開化天皇などは、「毘々」が「日子」を打ち消していると見るべきで、やはり丹波系の人物である。
他に、天津日高、虚空津日高(ソラツヒコ)などがあるが、これは出雲系に見せかけた丹波系の人物である。
例えば建内宿禰の周辺を見ると、


比古布都押信命、尾張連の祖意富那毘の妹、葛城の高千那毘売を娶して生みし子、味師内宿禰。(こは山代の内臣の祖なり。)また木国造の祖宇豆比古の妹、山下影日売を娶して生みし子、建内宿禰

 

とある。セオリー通りである。
だから、須勢理毘売、豊玉毘売、玉依毘売、神倭伊波礼毘古、大毘古などは、みな丹波系である。

ヤマトタケルは開化天皇である⑤~神武東征、オオクニヌシの国譲りから見る『古事記』の「和」の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、私が神武が負けたと見たが、そうではなく、自分で自分を殺すことはできないのである。

このように、『古事記』では多くの人物が名前で丹波、出雲の区別ができるが、『書紀』では男性は「毘古」、「日子」の区別を「彦」の一時で無くし、男性に限り名前のみでの所属の判別を不可能にした。
これは大発見なのだが、問題も生じている。
それは、これから扱おうとしていたヒコホホデミについてと石之日売についてである。
石之日売は出雲系である。この二点は、大幅な修正が必要である。石之日売については、二度の修正になる。
今回、顕宗天皇について述べる予定だったが、顕宗天皇を後回しにして、次回以降、この二点の修正を行う。次回はヒコホホデミについてである。


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読者の皆様へのお願い

私は現在、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』『風土記』を使って、古代史、神話を研究しています。
そのうち『古事記』は原文付きですが、他は全部現代語訳です。最近は原文の重要性を感じて、岩波文庫の『日本書紀』の原文を買い揃えていますが、貧乏なのと読む時間が充分にとれないため、研究が進まない状況です。
そこで読者の皆様にお願いします。
神社伝承や、文献資料でご存知のことがあれば、コメントでお知らせ願います。
今後数回、このシリーズの予定は決まっており、コメントに答える形で記事を書けるがどうかはわかりませんが、お礼は必ず申し上げます。
よろしくお願いいたします。