「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(48)~『古事記での丹波、出雲の見分け方②

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更新のために書いている直前で気付いたことがあり、考えていたことが破綻したのだが、書けるところまで書こう。

カグツチの名前について、『古事記』の記述を見てみよう。

次に火之夜芸速男神を生みき、亦の名は火之炫毘古神(ひのかかびこのかみ)と謂ひ、亦の名は火之迦具土神と謂ふ。

 

このうち火之夜芸速男神、火之炫毘古神の名前は『古事記』では一度紹介するだけで、『書紀』では全く使われない。
しかし使われないからといって、『書紀』にこの二つの名前が反映されていないのではない。
火之炫毘古神は天津甕星、亦の名を天香香背男という名で登場する。
このように、『書紀』に登場しない『古事記』の名前も、少し名前が変わって登場している例は他にもある。

天津甕星については後回しにして、火之夜芸速男は何かが、この記事のテーマである。
イザナミカグツチの火で陰部を焼かれて死ぬ。
その後、カグツチイザナギに切られて死ぬが、その時の名前が迦具土神で、「火之迦具土神」でなくなっている。
その後の記述を見てみよう。
「ここにその御刀(みはかし)の前に箸(つ)ける血、ゆつ石村(いはむら)に箸ける血に走り就きて成りし神の名は、石折(いはさく)神、根折神、次に石筒之男神。(三神)次に御刀の元に箸ける血も、ゆつ石村に走り就きて成りし神の名は、甕速日神、次に樋速日神、次に健御雷男神、亦の名は健布都神、亦の名は豊布都神。(三神)次に御刀の手上に集まれる血、手俣より漏(く)き出でて成りし神の名は、闇於加美神、次に闇御津羽神。」
ここに出てくる樋速日神が重要である。
『書紀』では異伝第六に
『ついに腰にさげた長い剣を抜いて、軻遇突智を斬って三つに断たれた。その各々が神となった。また剣の刃からしたたる血が、天の安河のほとりにある沢山の岩群となった。これは経津主神の先祖である。また剣のつばからしたたる血がそそいで神となった。名づけて甕速日神という。次に熯速日神が生まれた。その甕速日神は、武甕鎚神の先祖である。または甕速日命、次に熯速日命、次に武甕鎚神が生まれたともいう。また剣の先からしたたる血がそそいで神となり、名づけて磐裂神という。次に根裂神次に磐筒男命が生まれた。あるものには磐筒男命と磐筒女命といっている。また剣の柄頭からしたたる血が、そそいで神となった。名づけて暗龗という。次に闇山祇(くらやまつみ)、次に闇罔象(くらみつは)が生まれた。」
熯速日の「熯」は火神を意味するが、樋速日は火神を意味しない。
だから丹波系は火神の家系であり、「迦具土神」である出雲系は太陽神の家系だが火神の家系ではない。
古事記』の「火之夜芸速男」が熯速日になったと、私は考えた。

しかし、問題が生じたのである。
『書紀』では本文にはカグツチの記述はなく、異伝第二、第四、第六、第七が軻遇突智、第三が火産霊、第五が「火神」、第八が「軻遇突智命」である。もっとも多く使われている「軻遇突智」を丹波系と考えた場合、火神の家系が火神を生むのは当然である。

古事記』を見ると、
「上の件の石折神より下、闇御津羽神より先、併せて八神は、御刀によりて生りし神なり。
とあり、
「かれ、斬りたまひし刀の名は天之尾羽張と謂ひ、亦の名は伊都之尾羽張と謂ふ。」
とある。生まれた神々は刀の子で、「迦具土神」の子ではない。

丹波系が火神の家系で、出雲系が太陽神の家系でも火神の家系ではないという私の考えは、間違っていない。
古事記』の大国主の国譲りには、天尾羽張神、その子の健御雷神が登場するが、天尾羽張神は「天之尾羽張神」でなく、健御雷神は「健御雷男神」ではない。
実はここに、『古事記』での丹波系と出雲系、もうひとつの見分け方が表れている。
「あめの~」という神が登場した時、「天之~」と表記するのが丹波系で「天~」と表記する場合は出雲系なのである。
他にも前回述べたスサノオとアマテラスの誓約に登場するアメノホヒも、最初は「天之菩卑命」と表記されながら、その後「天菩比命」と表記され、出雲国造の祖とある。現代まで続く出雲国造家の千家氏は出雲系である。
さらに言えば、天火明命は『古事記』では出雲系である。
火神や雷神も同様のようで、「之」が名前に入っていなければ、その神は出雲系なのである。

結論に入ろう。
ヒコホホデミは『古事記』では天都日高日子穂穂出見命とある。
天都日高日子穂穂出見命は丹波系だが、『書紀』で彦火火出見と表記された場合は出雲系なのである。
それでは『書紀』でなぜ、火神が火神を生むような記述になっているかだが、その理由は分かっている。
しかしこの問題は後回しにして、次回、石之日売の訂正をしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(47)~アマテラスとスサノオの誓約のカラクリ

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前回述べたヒコホホデミについて語るには、なぜ私が『古事記』の丹波系と出雲系の区別に気づいたのかを語るのがいいだろう。結論を先に述べれば、ヒコホホデミを丹波系とした見解とは逆になる。

アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)で、スサノオがアマテラスの珠から生まれた神は、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子根命活津日子根命熊野久須毘命の五柱の神である。

『書紀』では、本文は正或吾勝速日天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命で、ほぼ
同じである。

異伝第一では、正吾勝勝速日天忍骨尊、天津彦根命、活津彦根命、天穂日命、熊野忍踏(くまのおしほみ)命である。忍穂耳が忍骨となり、熊野櫲樟日命が熊野忍踏命となっている。
天津彦根、活津彦根が二番手、三番手となり、天穂日が四番手になっている。

異伝第二が天穂日命、正吾勝勝速日天忍骨尊、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命となっている。天穂日と天忍骨が逆になっている。

異伝第三が勝速日天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命、活津彦根命、熯之速日命、熊野忍踏命、またの名は熊野忍隈命となっている。
熯之速日命が加わり、五柱から六柱の神になっている。しかも熊野忍隈命というのは、この神が神功皇后に殺された忍熊王だというのが『書紀』の主張だということである。

以上、異伝は三つだが、実は他に異伝第四とすべきものがある。
四つのテキストは天岩戸神話の前にあるテキストだが、天岩戸神話の後、スサノオが追放される前にアマテラス(正確には日神)に挨拶に行き、六柱の神を生む。このテキストは本文にある。
生まれた神は正吾勝勝速日天忍穂根尊、天穂日命天津彦根命、活目津彦根命、熯速日命、熊野大角(くまののおおくま)命である。
「忍骨」が「忍穂根」となり、活津彦根が活目津彦根となっている。「活目」とは活目入彦五十茅天皇と呼ばれる垂仁天皇のことである。
そして熯之速日の「之」が取れ熯速日命となり、熊野大角、つまり

ヤマトタケルは開化天皇である⑩~『海部氏系図』に見るヤマトタケルの姿と熊野の神 - 「人の言うことを聞くべからず」+

の「熊野の大熊」が生まれたというのが『書紀』の主張なのである。
そして、この六神を私はこう読んだ。すなわち、
正吾勝勝速日天忍穂根尊ー天津彦根命ー熯速日命
天穂日命ー活目津彦根ー熊野大角命
とである。
どちらが丹波系で、どちらが出雲系かだが、異伝第一で天津彦根、が二番手、活津彦根が三番手、天穂日が四番手となり、異伝第二で天穂日と天忍骨が逆になっているのを見ると、天津彦根丹波系だと考えられそうである。
異伝第二以降の「忍骨」が重要そうに見えるが、これは引っ掛けと考えればいい。つまり「忍穂耳」も「忍骨」も同じなのである。それに気づかないと、天津彦根が出雲系と互換性のある丹波系の神だと気づかない。
「忍踏」は「忍骨」と同じように見えて違う。
さらに言えば、熊野忍隈は忍熊王に見えてそうではない。忍熊王なら「忍熊」と書かれなければならない。
以上を考えれば、異伝第一で「忍踏」、第二で「櫲樟日」、第三で「忍踏=忍隈」となる理由がわかる。天穂日=活津彦根は本来忍熊王だが、一連の作業で忍熊王でなくなったのである。
そして丹波系の垂仁天皇にあたる人物が、「熊野の大熊」にされた。「忍骨」=垂仁天皇にあたる人物は、出雲系の人物にすり替えられた。それが「忍穂根」である。
この「忍穂根」が熯速日だというのが、『書紀』の主張である。この熯速日が何者かを知るため、次回、再びカグツチの神話を検証する。


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ヤマトタケルは開化天皇である(46)~『古事記』での丹波、出雲の見分け方

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ヤマトタケルは開化天皇である(44)~訂正②天照大神は出雲の神である。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、延烏郎が西暦158年に新羅からきたと主張する必要が無くなった以上、

ヤマトタケルは開化天皇である(23)~『記紀』には「倭の五王」のことは書かれていない - 「人の言うことを聞くべからず」+

のように、158年から4世紀までが『記紀』に書かれていると主張する必要も無くなった。
その後いくら研究しても、ヤマトタケル=開化の子のことが出てこないというより、ヤマトタケル=開化の子のように見える人物が、その父だと思うようになってきた。ちょうど開化と崇神の親子が逆であるように。
ならば

ヤマトタケルは開化天皇である⑲~母子婚者の子は父子婚者 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたことはどうなるかと言えば、これも逆ににすればいいわけで、兄妹婚の後に生まれた娘と近親相姦をして生まれたのがヤマトタケル=開化と見ればいい。
ヤマトタケル=開化の子がヤマトタケル=開化の父と同じようなことをした可能性もあるが、先に述べたように、ヤマトタケル=開化の父と子を分離できない以上、『記紀』神話は丹波系の男に限れば、ヤマトタケル=開化とその父の物語が書かれていると今は見ている。この点については、また後に述べよう。

今まで、『書紀』の丹波系と出雲系の違いは何度か説明してきたが、『古事記』の丹波系と出雲系の違いはわからなかった。
しかし今回、『古事記』での丹波系、出雲系の違いがわかったので、紹介することにする。
古事記』では、丹波系の人物と明確に示したい場合は、「毘古」「毘売」を名前に入れ、出雲系の人物と示したい場合は「日子」「日売」を名前に入れる。
もっとも多くの人物には、これらの記号はついていない。丹波系と出雲系を判別できないようにする最も多いパターンは男性なら「比古」、女性なら「比売」を名前に入れることである。
また「日子」が名前に入っていても、出雲系と特定できない例もある。スサノオとアマテラスの誓約で生まれた天津日子根などがそうである。また、若倭根子日子大毘々命の和風諡号を持つ開化天皇などは、「毘々」が「日子」を打ち消していると見るべきで、やはり丹波系の人物である。
他に、天津日高、虚空津日高(ソラツヒコ)などがあるが、これは出雲系に見せかけた丹波系の人物である。
例えば建内宿禰の周辺を見ると、


比古布都押信命、尾張連の祖意富那毘の妹、葛城の高千那毘売を娶して生みし子、味師内宿禰。(こは山代の内臣の祖なり。)また木国造の祖宇豆比古の妹、山下影日売を娶して生みし子、建内宿禰

 

とある。セオリー通りである。
だから、須勢理毘売、豊玉毘売、玉依毘売、神倭伊波礼毘古、大毘古などは、みな丹波系である。

ヤマトタケルは開化天皇である⑤~神武東征、オオクニヌシの国譲りから見る『古事記』の「和」の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、私が神武が負けたと見たが、そうではなく、自分で自分を殺すことはできないのである。

このように、『古事記』では多くの人物が名前で丹波、出雲の区別ができるが、『書紀』では男性は「毘古」、「日子」の区別を「彦」の一時で無くし、男性に限り名前のみでの所属の判別を不可能にした。
これは大発見なのだが、問題も生じている。
それは、これから扱おうとしていたヒコホホデミについてと石之日売についてである。
石之日売は出雲系である。この二点は、大幅な修正が必要である。石之日売については、二度の修正になる。
今回、顕宗天皇について述べる予定だったが、顕宗天皇を後回しにして、次回以降、この二点の修正を行う。次回はヒコホホデミについてである。


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読者の皆様へのお願い

私は現在、『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』『風土記』を使って、古代史、神話を研究しています。
そのうち『古事記』は原文付きですが、他は全部現代語訳です。最近は原文の重要性を感じて、岩波文庫の『日本書紀』の原文を買い揃えていますが、貧乏なのと読む時間が充分にとれないため、研究が進まない状況です。
そこで読者の皆様にお願いします。
神社伝承や、文献資料でご存知のことがあれば、コメントでお知らせ願います。
今後数回、このシリーズの予定は決まっており、コメントに答える形で記事を書けるがどうかはわかりませんが、お礼は必ず申し上げます。
よろしくお願いいたします。

ヤマトタケルは開化天皇である(45)=迷惑なヒコホホデミ

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ヒコホホデミが吉備品遅部雄鮒であり、目弱王であり、顕宗天皇であるというのが私の主張である。
今後、このヒコホホデミの話をしていくが、その前に、ヒコホホデミが丹波、出雲いずれの勢力の人物かをはっきりさせなければならない。
『海部氏系図』では天火明命の子にヒコホホデミがおり、また『書紀』には、

神日本磐余彦天皇の諱(ただのみな)は、彦火火出見という。

 

とあり、『書紀』の神武が長髄彦に勝利していることから、ヒコホホデミは丹波系の人物と見るべきだろう。
ヒコホホデミについて考える場合、気になることがある。
古事記』では、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は高御産巣日神の娘の萬幡豊秋津師比売命を娶り、天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命を生んだとある。
『書紀』本文は、

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫を娶られて、天津彦火瓊瓊杵尊を生まれた。

 

とある。
異伝第一。

すでに天照大神は、思兼神の妹、万幡豊秋津姫命を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊に娶あわせ、妃として葦原中国に降らされた。

 

とある。万幡豊秋津姫命が思兼神の妹になっているが、高皇産霊尊の娘とは書かれていない。
異伝第二。

高皇産霊尊の娘の万幡姫を、天忍穂耳尊に娶あわせ妃として降らせられた。そこでその途中の大空におられたとき生まれた子を、天津彦火瓊瓊杵尊という。

 

とある。
異伝第六。

天忍穂命は高皇産霊尊の娘、栲幡千千姫万幡姫命、または高皇産霊尊の娘、火之戸幡姫の子、千千姫命というのを娶とられた。そして天火明命を生んだ。次に天津彦根火瓊瓊杵根尊を生んだ。その天火明命の子の天香山は、尾張連らの遠祖である。

 

ここで内容は大部変わる。一番変わるのは、オシホミミにあたる人物がタカミムスヒの娘でなく、孫を娶っていることである。
異伝第七。

高皇産霊尊の娘、天万栲幡千幡姫。一説では、高皇産霊尊の子、万幡姫の子玉依姫命。この神が天忍骨の妃となって、子の天之杵火火置瀬尊を生んだ。あるいは勝速日命の子、天大耳尊が丹クツ姫娶って、子の火瓊瓊杵尊を生んだという。或いは神皇産霊尊の女栲幡千幡姫が、子の火瓊瓊杵尊を生んだという。或いは天杵瀬尊は吾田津姫を娶って子の火明命を生み、次に火夜織命、次に彦火火出見尊を生んだと

 

一説の中にいくつもの説がある。注目すべきは天之火火置瀬尊と天杵瀬尊が同一かである。
同一でないとすれば、火明命と彦火火出見尊の父てある天杵瀬尊は丹波系の人物である。
また丹クツ姫は若日女と同一とされるニウツヒメを連想させるが、丹クツ姫を記述する以上同一ではないのだろう。
ニウツヒメが丹波、出雲どちらの神かも問題だが、丹クツ姫が火瓊瓊杵尊を生み、異伝第六の天火明命と天津彦根火瓊瓊杵根尊を生んだ千千姫と別であると考えるべきで、丹クツ姫、ニニギは出雲系の
神と考えるべきだろう。
異伝第八。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊の娘、天万杵栲幡千幡姫を娶り、子を生んだ。天照国照彦火明命と名づけた。これが尾張連らの遠祖である。次に天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊を生んだ。この神は大山祇神の娘、木花開耶姫を娶って、子を生ませた。火酢芹命と彦火火出見尊である。

 

栲幡千千姫、万幡豊秋津姫命、万幡姫、栲幡千千姫万幡姫命、火之戸幡姫、天万栲幡千幡姫、栲幡千幡姫、天万杵栲幡千幡姫で、「幡」の字のつく姫が八人いる。合わせて「八幡」である。
八幡と言えば応神天皇だが、八幡宮の宗本社の宇佐神宮応神天皇主祭神としながら、比売大神を中心とし、主祭神のようにしていることはよく知られている。
そして宇佐神宮でよく知られているのが、参拝の際に四柏手を打つことである。「四」は「死に通じる。呪いの所作である。この風習のあるのは他に出雲大社しかない。
そして異伝が進むほどに、「幡」の字がヒコホホデミから見て一世代離れた人物についていく点にも注目すべきである。
ヒコホホデミの分身である顕宗天皇には置目の逸話がある。
顕宗の父の市辺押歯王の遺骸を埋めた場所を置目という老婆が覚えていたというので、顕宗が置目に親しく接したという話である。
これだけなら大した話ではない。しかし聖徳太子の父の用明天皇の后妃を見ると、違う感想を持つ。

意富芸多志比売(おほぎたしひめ)を娶して生みましし御子、多米王。

 

と『古事記』にある。
きたしひめとは、用明天皇の母である。
聖徳太子天皇だった』で、渡辺康則は母子婚の可能性を否定しているが、このブログの読者はそう思わないだろう。
しかし問題は、「きたしひめ」ではなく「おほぎたしひめ」となっていることである。
『書紀』では欽明天皇蘇我系の妃は堅塩媛(きたしひめ)と小姉君で、二人は姉妹だが、『古事記』では小姉君は小兄比売となり、岐多志比売の伯母である。意富芸多志比売が小兄比売なら、用明は二世代上の女性と婚姻したことになる。

詳細は次回にするが、私はヒコホホデミはヤマトタケル=開化だと思っている。
今回ヒコホホデミの分身である顕宗、分身の可能性のある用明は、祖母もしくは曾祖母の代に当たる女性と婚姻したと、『記紀』が主張している可能性があるのである。
そしてヤマトタケル=開化の分身の大国主が、比売大神と同じ四柏手で祀られているのは、二神に婚姻関係があるという『記紀』の主張の可能性がある。この二神は、『記紀』編纂者にとって迷惑な存在なのである。
この疑問の解明には至っておらず、用明天皇については全くの手付かずである。
しかし、次回は顕宗と置目について語ろう。


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ヤマトタケルは開化天皇である(44)~訂正②天照大神は出雲の神である。

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古事記』において、国生み、神生みを行うのは伊邪那岐命伊邪那美命である。
伊邪那美カグツチを産んで死に、伊邪那岐が黄泉の国を訪問して帰ってきて、橘の小戸の阿波岐原で禊をする。
この禊をするくだりで、名前が伊邪那伎になっている。この伊邪那伎は、伊邪那岐とは別人である。
伊邪那伎は、禊で様々な神を生み最後に三貴子天照大神月読命、健速須佐之男命を生む。
伊邪那岐と伊邪那伎が別人なら、三貴子丹波、出雲どちらの氏族だろうか?『書紀』
を見てみよう。
先ずは本文から。

そして伊弉諾尊伊弉冉尊が共に相談していわれる。「私はもう大八洲国や山川草木を生んだ。どうして天下のそして伊弉諾尊伊弉冉尊が共に相談していわれる。「私はもう大八洲国や山川草木を生んだ。どうして天下の主者を生まないでよかろうか」と。そこで一緒に日の神を生み申し上げた。大日孁貴という。(一書に天照大神という。)を生まないでよかろうか」と。そこで一緒に日の神を生み申し上げた。大日孁貴という。(一書に天照大神という。)

 

三貴子は伊邪那伎一人の子ではなく、伊弉諾伊弉冉の子になっている。
次に異伝第一。

伊弉諾尊のいわれるのに、「私は天下を治めるべきすぐれた子を生もうと思う」とおっしゃって、そこで左の手で白銅鏡をおとりになったときに、お生まれになった神が大日孁尊である。右の手で白銅鏡をおとりになったとき、お生まれになった神が月弓尊である。また首を回して後をごらんになった丁度そのときに、お生まれになったのが素戔嗚尊である。

 

大日孁貴が大日孁尊になっており、月読が月弓になっている。なお本文では、月読は単に「月の神」と記されている。
次に天照と須佐之男の誓約(うけひ)である。
本文、異伝第一は天照と記されているが、異伝第二、第三は日神となっている。
つまり大日孁貴とは天照ではなく、日の神の巫女を日の神に仕立て上げるための存在である。
大日孁貴→大日孁尊→日神としているが、日神を伊弉諾
伊弉冉の子とはしていない。『書紀』勢力側に珍しい遠慮が見て取れる。
つまり天照大神丹波勢力の神ではなく、出雲勢力の神であり、これまで丹波勢力の神としてきた部分を訂正する。月読も同様である。
ならば

ヤマトタケルは開化天皇である⑧~韓国、延烏郎と細烏女の伝説 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、延烏郎と細烏女が西暦158年に日本にやってきたという話はどうなるのか?
延烏郎と細烏女は158年にやってきたのではなかった。これが答えである。
西暦157年になっているのは、皆既日食の年に日本に来たように見せて、実はそうではないからである。
そしてこの真実は、丹波勢力皆既日食の年の248年に卑弥呼が殺されて、その後台与が女王になったことで太陽信仰が生まれたことと張り合っているところから、ひとつの仮説を導き出せる。つまり、これまで出雲と読んできた勢力は、実は邪馬台国または狗奴国だという仮説である。これについてはおいおいやっていこう。
次回、ヒコホホデミの話に戻る。


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ヤマトタケルは開化天皇である(43)~ホオリとヒコホホデミ

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海幸山幸神話の主役の火遠理命(ホオリノミコト)は、『古事記』にでは亦の名を天津日高日子穂穂出見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)という。
神話では、釣り針を巡って兄の火照命と対立し、海神宮を訪れて釣り針を見つけ、海神の教えに従って火照命を苦しめて従える。
古事記』では、ホオリは火照命火須勢理命の弟である。
『書紀』本分では、長男が火闌降命、次男彦火火出見尊、三男が火明命となっている。
『書紀』では異伝により、兄弟の順と名前が変わっているが、注目すべきは吾田鹿葦津姫の子生みの異伝の第五である。

天孫が大山祇神の子、吾田鹿葦津姫を召され、一夜で孕まれた。そして四人の子を生んだ。そこで吾田鹿葦津姫は、子を抱いてやってきて言われるのに、「天神の子を、どうしてこっそり養うべきでしょうか。だから様子を申し上げて知って頂きます」という。このときに天孫は、その子等を見てあざわらっていわれた。「何とまあ私の皇子たち、こんなに生まれたとは本当に嬉しい」と。そこで吾田鹿葦津姫は怒っていわれた。「どうして私をあざけりなさるのか」と。天孫がいわれる。「心に疑わしく思う。だからあざけった。なぜなら、いくら天神の子でも、どうして一夜の中に、人を孕ませることができるのか。きっと我が子ではあるまい」と。このため吾田鹿葦津姫はますます恨んで、無戸室(うつむろ)を作ってその中にこもり、誓いの詞をたてて、「私の孕んだのがもし天神の子でなかったら、必ず焼け失せよ。もし天神の子ならば、損なわれることがないでしょう」と。そして火をつけて室を焼いた。その火が初め明るくなったとき、ふみ出して出てきた子は、自ら名乗って、「吾は天神の子、名は火明命である。わが父は何処におられるのか」と。次に火の盛んなときにふみ出して出てきた子は、また名乗りをして、「吾は天神の子、名は火進命、わが父と兄弟は何処におられるのか」と。次に火の衰えるときにふみ出して出てきた子は、また名乗りをして、「吾は天神の子、名は火折尊、わが父と兄弟たちは何処におられるか」と次に火熱が引けるときにふみ出して出てきた子は、また名乗りをして、「吾は天神の子、名は彦火火出見尊、わが父と兄弟らは何処におられるのか」と。

 

三人兄弟が四人になり、ホオリとヒコホホデミが別人になっている。
もうひとつ、火の中から出てきた子が、「わが父と兄弟は何処におられるのか」と叫ぶところに注目しよう。
子供達はなぜそう叫ぶのか?この中に父親のわからない子がいるからである。

古事記』ではホオリと火照命の争いとなっているが、『書紀』では火闌降命とホオリの対立となっている。
異伝で似たような話が続くのだが、注目すべきは海幸山幸神話の異伝第四である。


兄の火酢芹命は山の幸を得、弟の火折尊は、海の幸を得ていた。と。弟が憂え悲しんで海辺におられるとき、塩土老翁に会った。老翁が問うていうのに、「何故そんなに悲しまれるのですか」と。火折尊は答えていうのに、しかじか(兄の釣り針をなくしたこと)と。老翁は「悲しまれますな。私が計り事をしてあげましょう」と。そして計っていうのに、「海神の乗る駿馬は八尋鰐です。これがその
鰭を立てて橘の小戸のおります。私が彼と一緒になって計り事をしましょう」といって火折尊をつれて、供に行き鰐に出会った。鰐がいうのに、「私は八日の後に確かに天孫を海神の宮にお送りできます。しかしわが王の駿馬は一尋鰐です。これはきっと一日の中にお送りするでしょう。だから今、私が帰って彼を来させましょう彼に乗って海に入りなさい。海に入られたら、海中に自ずからよい小浜があるでしょう。その浜の通りに進まれたら、きっとわが王の宮につくでしょう。宮の門の井戸の上に、神聖な桂の木があります。その木の上に乗っていらっしゃい」と。言い終わってすぐ海中にはいって行った。そこで天孫は鰐のいった通りに、八日間待たれた。しばらくして一尋鰐がやってきた。それに乗って海中にはいった。すべて前の鰐の教えに従った。そのとき豊玉姫の侍者が、玉の碗をもって井戸の水を汲もうとすると、人影が水底に映っているのを見て、汲みとることができず、上を仰ぐと天孫の姿が見えた。それで中にはいって王につげていうのに、「私は、わが大王だけが、ひとりすぐれてうるわしいと思っていましたが、しかし今、一人の客を見ると、もっとすぐれています」と。海神が聞いて、「ためしに会ってみよう」といって、三つの床を設けて招き入れられた。そこで天孫は入口の床では、両足を拭かれた。次の床では両手をおさえられた。内の床では真床覆う衾の上に、ゆったりと座られた。海神はこれを見て、この人が天神の孫であることを知った。そしてますます尊敬した。云々と。(やってきた理由をたずね、それに答えた)海神が赤女や口女を呼んで尋ねられた。すると口女は口から針を出して奉った。赤女は赤鯛、口女は鯔である。
海神は針を彦火火出見尊に授け教えていわれるのに、「兄に針を返す時に天孫は、『あなたが生まれる子の末代まで、貧乏神の針、ますます小さく貧乏になる針』といいなさい。言い終わって三度唾を吐いて与えなさい。また兄が海で釣りをするときに、天孫は海辺におられて風招(かざおぎ)をしなさい。風招とは口をすぼめて息を吹き出すことです。そうすると私は沖つ風、辺つ風を立てて、速い波で溺れさせましょう」と。火折尊は帰ってきて、海神の教えの通りにした。兄の釣する日に、弟は、浜辺にいて、うそぶきをした。すると疾風が急に起こり、兄は溺れ苦しんだ。生きられそうもないので遥かに弟に救いを求めていうのに、「お前は長い間海原で暮らしたから、きっと何かよいワザを知っているだろう。どうか助けてくれ。私を助けてくれたら、私の生む子の末代まで、あなたの住居の垣のあたりを離れず、俳優(わざおぎ)の民になろう」と。そこで弟は嘯くことをやめて、風もまた止んだ。

 

ずいぶん長い文に付き合ってもらった。
この文の全てを分かっているわけではないが、理解の鍵はある。
後半の文が「兄」と「弟」になっている。一体「兄」が誰で、「弟」が誰なのか?
「火折尊は帰ってきて、海神の教えの通りにした」とあるが、海神に教えを受けたのは彦火火出見尊である。海幸山幸神話が海幸彦が山幸彦に負ける物語なら、この異伝で海幸彦であるホオリが兄で、吾田鹿葦津姫の子生みの異伝第五に登場したヒコホホデミが弟である。
ヒコホホデミは父親のわからない子で、ホオリとは別人で、ホオリに勝った者である。
以降、ホオリとヒコホホデミを中心に記事を進めていくが、次回はこの話を一旦置いて、訂正を入れる。


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