「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(69)~『隋書 俀国伝』の多利思比孤から読み解けるもの

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『隋書 俀国伝』に、「姓は阿毎、字は多利思比孤、号して阿輩雞彌」という者が登場する。聖徳太子ではないかとしばしば言われている人物である。
気になるのは、『隋書 俀国伝』は「倭国伝」ではなく「俀国伝」だということである。私が購入した講談社学術文庫倭国伝』では、残念ながら「倭」の字に「修正」されているが、斎藤忠の『失われた日本古代皇帝の謎』やウイキペディアには「俀国伝」とある。
なぜ多利思比孤は「倭」の字を用いないのか?こう考えればいい。「倭王」ではないから、「倭」の字を用いることができなかった。
「倭」の王は、邪馬台国以来の血脈によって占められ、多利思比孤はその血脈でなかったから、「倭王」を名乗れず「俀王」を名乗ったのだと考えることができる。

使者言う、「俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未だ明けざる時、出でて政を聴き、跏趺して坐す。日出ずれば便ち理務を停め、我が弟に委ねんと云う」と。

 

と、『隋書 俀国伝』にある。この場合、「兄」が多利思比孤なのか、「兄」と「弟」の真ん中なのか、どちらにしろ、「我が弟に委ねん」とある以上「弟」ということはない。つまり多利思比孤は「日」の家系、出雲系ではない。
ならばなぜ、多利思比孤の姓が「阿毎」なのか?「阿毎」は「天」のはずで、「天」は出雲系にしか用いることができない字のはずである。
その答えも見つけてある。『古事記』の天地初発から。

天地初めて発けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神

 

の「天地初めて発けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、』は「天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天云阿麻。下效此。」である。「訓高下天云阿麻、下效此」は高より下の天は阿麻と訓む。下此に效う」である。
次に国生み神話から、

次に伊伎島を生みき。亦の名は天比登都柱と謂ふ

 

は「次生伊伎島、亦名謂天比登都柱自比至都以音。訓天如天。」である。「自比至都以音。訓天如天」は「比より都まで音を以てす。天は天の如く訓む」と訓む。
「天は天の如く訓む」とはどういうことだろうか?
答えは「阿毎」だろう。出雲系が「阿麻」で丹波系が「阿毎」と訓むのである。『古事記』では「訓高下天云阿麻」と記すだけで、「高」の字がない場合、「阿麻」と「阿毎」を分別して書いていない。「天」が出てきた場合、「阿麻」か「阿毎」かは、個別に検証するしかないのである。それが前回、天宇受売「命」が出雲系ではないといった理由である。
しかしこうなると、わからないことが出てくる。
このブログでは、3世紀のことを追求していたはずである。6世紀末の多利思比孤はどう関わるのか?3世紀のことと思っていたのが、実は6世紀のことだったのか?
それはまだ私にもわからない。

次回、たぬきさんのもうひとつの見解に答えるため、『風土記』について語るとしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(68)~天宇受売「神」が「名猿田毘古神」の「名」を顕した真の理由

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今回は猿田毘古神について。『古事記』の猿田毘古神の記述。

ここに日子番能邇邇芸命、天降りまさむとする時に、天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原中国を光す神ここにあり。かれここに、天照大御神、高木神の命以ちて、天宇受売神に詔りたまはく、「汝は手弱女なれども、いむかふ神と面勝つ神なり。かれ専ら汝往きて問はまくは、『吾が御子の天降りする道を、誰ぞかくて居る』と問へ」とのりたまひき。かれ、問ひたまふ時に答へ白さく、「僕は国つ神、名は猿田毘古神なり。出で居る所以は、天つ神の御子天降りますと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして、参向へ侍ふ」とまをしき。

 

原文で読めば引っ掛かるところがいくつかあるが、今回注目すべきは「名は猿田毘古神なり(名猿田毘古神也)」で、

ヤマトタケルは開化天皇である(65)~「云」は肯定、「謂」は否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように「毘古」は丹波系ではないのだが、それが「名」であることで、「名猿田毘古神」が丹波系であることを匂わせている。
次の猿田毘古神の登場場面は、天津日子番能邇邇芸命天孫降臨した後である。

かれここに、天宇受売命に詔りたまはく、「この御前に立ちて仕へ奉りし猿田毘古大神は、専ら顕し申しし汝送り奉れ。またその御名は、汝負ひて仕へ奉れ」とのりたまひき。ここを以ちて、猨女君等、その猨田毘古の男神の名を負ひて、女を猨女君と呼ぶ事これなり。

 

「猿田毘古神」が「猿田毘古大神」となったことも気にかかるが、注目すべきなのは「猿田毘古」が「猨田毘古」と、「猿」から「猨」に変わったことである。
「猿田毘古大神は、専ら顕し申し汝送り奉れ」は「専所
顕申之汝送奉」で、(名を)顕したのではないことは明らかである。
「ここを以ちて、猨女君等、その
猨田毘古の男神の名を負ひて、女を猨女君と呼ぶ事これなり」は「以是猨女君等、負其猨田毘古之男神而、女呼猨女君之事是也」である。
「猨女君等」なのでこの後の文は「猨女君」のことを表していない。
この後の文章は、「猨女君」でない氏族が「猨田毘古」でない男神の「名」を負って、氏族の女性を「猨女君」と呼ばないという意味になる。
それにしてもややこしい。
そもそも「名猿田毘古神」の「名」を顕したのは天宇受売「神」である。それなのに天宇受売「命」は「猿田毘古大神」の「御名」を負うとなっている(亦其神御名者、汝負仕奉)。
もっとも前回述べたように、「其」は文脈を引き継いでいるとは限らない。
ならばこう考えるべきだろう。
天宇受売「命」は本来「猨女君」の祖だった。しかし『古事記』により、「猨女君」の「名」を「名猿田毘古神」からもらうという物語を与えられたようで、実は「猨女君」の「名」を奪われたのだと。
天宇受売「神」が「名猿田毘古神」の「名」を顕したのは、天宇受売「命」ならぬ天宇受売「神」が「名猿田毘古神」の「名」を負う体にしたいからである。因みに上記の文の少し前には「天宇受売命者猿女君等之祖」とある。
ならば天宇受売「命」が「御名」を負う体にされた、問題の「猿田毘古大神」の正体は出雲系ということになる。
しかしそうなると、これまでと話が違ってくる。「神」と「命」の違いがあろうと、天宇受売は出雲系のはずじゃないかと。
そう、違うのである。天宇受売「命」は出雲系ではない。
記紀』神話は、ひとつの暗号を読み解いたと思うと、それで全てが読み解けるのではなく、必ずと言っていいほど読み解けない所が出てくる。今回その壁にぶつかったのである。
しかし今私は、それに一定の解答を出すことができる。それを示すため、次回、『記紀』から離れて、聖徳太子ではないかと言われている『隋書俀国伝』の多利思比孤について語ろう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(67)~「等」はアバウトな否定、「其」は文脈を引き継ぐとは限らない。

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大国主神の国譲りの神話の、健御雷神が八重事代主神健御名方神の二神に国譲りを要求し、二神の了承を得て大国主神に再び国譲りの要求をした後の大国主神の台詞から。

ここに答へて白さく、「僕が子等二神の神の白すまにまに僕も違はじ。この葦原中国は、命のまにまに献らむ。ただ僕が住所は、天神の御子の天津日継知らしめす、とだる天の御単の如くして、底つ石根に宮柱ふとしり、高天原に氷木たかしりて治めたまはば、僕は百足らず八十洞手に隠りて侍らむ。また僕が子等百八十神は、すなはち八重事代主神、神の御尾前となりて仕え奉らば、違ふ神はあらじ」とまをしき。

 

「八十洞手」の「洞」の字は、

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この「一百八十の子等」の「等」とは何だろうか?
「等」はアバウトという意味での否定である。「~など」と言いながら、実は違ったという意味の否定を表している。
他にも「~等之祖」という記述があったりする。例えば葛城長江曾都毘古は「玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣等之祖」とあり、これらの氏族の祖先であることをアバウトに否定している。

それでは、『古事記』の開化天皇の条の、開化天皇の「御子」日子坐王の記述を見てみよう。


また近淡海の御上の祝がもちいつく天之御影神の女、息長水依比売を娶して生みし子、丹波比古多々須美知能宇斯王、次に水穂之真若王、次に神大根王、亦の名は八瓜入日子王、次に水穂五百依比売、次に御井津比売。五柱

 

で、「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」となっており、「名」が「丹波比古多々須美知能宇斯王」を指すのか、それとも「丹波比古多々須美知能宇斯王」が「御名」で、「丹波比古多多須美知能宇斯王」の別の「名」なのかわからないようになっている。
次に、同じ開化天皇の条から。

その美知能宇斯王、丹波の河上の麻須郎女を娶して生みし子、比婆須比売命、次に真砥野比売命、次に弟比売命、次に朝庭別王。四柱

 

「其美知能宇斯王」とあるので、「美知能宇斯王」は「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」と現状見るしかない。ただし「生みし子」は「生子」なのでこの系譜は造作されている。
次に垂仁天皇の条から。

また丹波比古多々須美知能宇斯王の女、氷羽州比売命を娶して生みましし御子、印色之入日子命、次に大帯日子淤斯呂和気命、次に大中津日子命、次に倭比売命、次に若木入日子命。五柱

 

丹波比古多々須美知能宇斯王之女」とあるので、氷羽州比売命は「丹波比古多々須美知能宇斯王」の「御子」である。
次にその後、

またその氷羽州比売命の弟、沼羽田之入毘売命を娶して生みましし御子、沼帯別命、次に伊賀帯日子命。二柱

 

「其氷羽州比売命之弟」とあるので、沼羽田之入毘売命と氷羽州比売命は姉妹関係にある。
次にその後、

またその沼羽田之入日売命の弟、阿耶美能伊理毘売命を娶して生みましし御子、伊許婆夜和気命、次に阿耶美津比売命。二柱

 

「其沼羽田之入日売命之弟」とあるので、阿耶美能伊理毘売命と沼羽田之入日売命は姉妹関係にある。しかし「沼羽田之入毘売命」ではなく、沼羽田之入日売命」である。「丹波比古多々須美知能宇斯王」の系譜はここで途切れている。

ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた、「入」が「日子」の否定とする説を、私はここで否定する。
もっとも「入」には意味があるが、ここでは語らない。ちなみに
阿耶美能伊理毘売命は「阿耶美能伊理毘売命此女王名以音」とある。
「其」とある場合、前の文脈を引き継ぐ場合と、引き継がない場合があるようである。その場合、前の文脈と違う人物、物であることを示す字がその後にくる。それが「沼羽田之入毘売命」と「沼羽田之入毘売命」の違いである。
では「開化天皇の条の「丹波比古多々須美知能宇斯王此王名以音」はどうかというと、「名」として紹介されたものが、「以音」により「御名」となるのである。同様の理由で、阿耶美能伊理毘売命も「御名」となる。この場合、「美知能宇斯王」は「丹波比古多々須」が省略されただけで、前の文脈を引き継いでいると見るべきだろう。
そして重要なのは、「名」として紹介されなくとも、「名」のまま登場する人物が「記紀」に存在する可能性があることである。

次に垂仁天皇の条の乙訓伝説を見てみよう。


またその后(沙本毘売のこと)の白したまひしまにまに、美知能宇斯王の女等、比婆須比売命、次に弟比売命、次に歌凝比売命、次に円野比売命、併せて四柱を喚上(めさ)げたまひき。ちなみに。然るに比婆須比売命・弟比売命の二柱を留めて、其弟王二柱は、いと凶醜(みにく)きによりて、本つ土に返し送りたまひき。
ここに円野比売慚(は)じて言はく、「同じ兄弟の中に、姿醜きを以ちて還さえし事、隣里に聞えむ、これいと慚づかし」といひて、山代国の相楽に至りし時、樹の枝に取り懸りて死なむとしき。かれ、其地を号けて懸木と謂ひしを、今は相楽と云ふ。また弟国に至りし時、遂に峻しき淵に堕ちて死にき。かれ、其地を号けて堕国と謂ひしを、今は弟国と云ふなり。

 

「美知能宇斯王之女等」と「等」が入っていることで、アバウトに「美知能宇斯王之女」であることを否定している。比婆須比売命と弟比売命は「美知能宇斯王」の「女」で「御子」ではない。しかし歌凝比売命、円野比売命は「美知能宇斯王之女」だとは言っていない。しかも開化天皇の条には、真砥野比売命という円野比売命と間違える人物まで登場している。真偽はともかく、『古事記』は歌凝比売命と円野比売命を「美知能宇斯王之女」と思ってもらいたい意図がある。
興味深いのは、「山代国の相楽」は「山代国之相楽」で、「山代国」ではないが相楽であるのは間違いないのに、「弟国に至りし時」は「到弟国之時」と、弟国に居たのを否定している。それなのに「今云弟国也」と、その場所が弟国だと言い張っている。『古事記』にとって、円野比売命が死んだ場所は「弟国」でなければならないのである。

以上、「等」はアバウトの意味の否定だが、前回述べた『書紀』の大国主神のように一百八十一の「子」が、いるかどうかは、『古事記』からは判別できない。またそれを逆手にとって、『書紀』は百八十一の子がいる」と主張し、すり替えた大国主神を真の大国主神だと主張しているのである。

次回は、以前コメントを頂いたたぬきさんとの約束で、猿田毘古神をやるとしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(66)~すり替えられた大国主神

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『書紀』の大国主神の記述をもう一度見てみよう。


一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千矛神と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す。其の子凡て一百八十一神有す。

 

「曰」という字が、ここでは問題である。
古事記』では、「曰」という字は、あまり使わない。変わりに「白」という字を多用する。
もっとも「白」ばかりではなく、「曰」もある。「曰」と「白」は字体が近い。ならばこの二字は使い分けられていると考えるべきだろう。
ならば「曰」が用いられている記述を紹介しよう。
href="http://sakamotoakiraf.hateblo.jp/entry/2018/08/27/064357">ヤマトタケル開化天皇である(61)~須佐之男命は大国主神になったのか? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で既に紹介した記述である。

ここにその后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて歌ひて曰はく、
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男にいませば うち廻る島の崎々 かき廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男はなし 汝を除て 夫はなし 綾垣の ふはやが下に むし衾 にこがや下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に
寝をしなせ 豊御酒 奉らせ
(八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちになっているでしょう。それにひきかえ、私は女性の身ですから、あなた以外に男はありません、あなたのほかに夫はないのです。綾織の帳のふわふわと垂れている下で、苧(からむし)の夜具のやわらかな下で、栲の夜具のざわざわとなる下で、沫雪ように白い若やかな胸を、栲の綱のように白い腕を、愛撫しからませ合って、わたしの美しい手を手枕として、脚を長々と伸ばしておやすみなさいませ。さあ御酒を召し上がりませ。)

 

href="http://sakamotoakiraf.hateblo.jp/entry/2018/06/23/064720">ヤマトタケル開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、須勢理毘売「命」とは須佐之男命の「妻」である。そして61番で紹介した「八千矛の 神の命 吾が大国主」は「夜知富許能 迦微能美許等夜 阿賀淤富久邇奴斯」で、、丹波系を表す「迦」の字が入っている。
しかし「曰」である。とすれば、「曰」が言ったことの否定と考えるのが妥当だろう。
しかしここには、もう一段深く考える必要がありそうである。
須勢理毘売「命」は須佐之男命の「妻」だが、「妻」とは記紀神話においては「子」や「兄」と同じ、造作された関係である。
そして「その后」、「嫡后」という言葉が出ている。この字は真実の夫婦関係を表しているのではないか?
もしそうならば、前回見たように八千矛神大国主神だから、須勢理毘売「命」と大国主神は真実の夫婦ということになる。須勢理毘売「命」も、名前からは丹波系と判断するしかない。これで須勢理毘売「命」は、須勢理毘売と同一ではないが、同じ丹波系だということができる。
これで、私の仮説に一歩近づいた。
私はワカタケルが兄妹婚をして娘が産まれ、その娘とワカタケルが親娘婚をして産まれたのがヤマトタケル=開化だという仮説を立てて、このブログを書いてきた。
この仮説は、直感でしかない。
須勢理毘売と須勢理毘売「命」も、親娘だと判断する材料はない。しかしそれでも、丹波系の女性が記紀神話に二人登場していること、そして須勢理毘売「命」が近親婚をしている可能性があることまでは証明できたのである。

ただ、ここで問題が生じている。
私はヤマトタケル=開化が日本の最初の統一者だと思っているが、そうであれば大国主神ヤマトタケル=開化だと見るべきだと思う。そしてその配偶者の須勢理毘売「命」がヤマトタケル=開化の母でもあると見るべきである。そして大穴牟遅神の配偶者須勢理毘売を『古事記』は「嫡妻」としている。「嫡妻」である以上「妻」でない、真実の夫婦関係なのだと考えることができる。
しかし須勢理毘売は須佐之男命の「女」であり須勢理毘売の「母」は須勢理毘売「命」ということになる。ワカタケルが大穴牟遅神に相当し、その「嫡妻」が須勢理毘売である以上、ワカタケルはヤマトタケル=開化の「子」に相当する。これでは私の主張と逆になる。
もちろん以上の関係は造作されているので、『古事記』の内容を鵜呑みにする必要はないのだが、ヤマトタケル=開化とワカタケルの関係を明白にする道筋はまだまだ立たない。しかしこれで、私が何度もワカタケルがヤマトタケル=開化の子だと考えた理由の一端は読者諸氏にお見せできたと思う。
そしてまた、大穴牟遅神=ワカタケルとなるとも限らないのである。なぜなら大穴牟遅神の一人称は全て「吾」である。「吾」が出雲系の一人称だとは確定していないが、その可能性が高いと思っている。
ならば「嫡妻」の「嫡」とは何かといえば、フェイクだと考えることができる。「嫡」に意味はなく、真実の夫婦関係は「后」や「娶」などで示されるということである。
とにかく大穴牟遅神の件は後回しにして、ワカタケルが父でヤマトタケル=開化が子だとする仮説を維持して、話を進めていく。

「曰」に話を戻そう。
須勢理毘売「命」の歌は万葉仮名で書かれている。
だから「八千矛」を「夜知富許」、「大国主」を「淤富久邇奴斯」と記述する。
しかし「八千矛」は「夜知富許」ではないし、「大国主」も「淤富久邇奴斯」ではない。そう記述すれば嘘になる。
現状わかっていることは、『古事記』は丹波系のことで嘘は書けないことである。ならば「曰」は「言っていない」と解釈するのが妥当である。事実、『古事記』の歌はほとんど、あるいは全て「曰」である。つまり歌は、ある者の属性が違う者に渡される、あるいはある者の属性を否定する詐術として使われているのである。

ヤマトタケルは開化天皇である(63)~「おれ」は「お前」か? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた「意礼」が大穴牟遅神だとすれば、大国主神としてのヤマトタケル=開化の属性が「意礼」に付け替えられたとこれで解釈できそうである。しかも「意礼」は「二字以音」で、嘘はついていない。また倭健命の熊曾征伐で殺されたのも「意礼」と解釈できそうである。
こうして大国主神は「大国主神」、「八千矛神」の属性を奪われ、大穴牟遅神に「宇都志国玉神」の属性が加えられ、「葦原色許男命」と「謂」われた。
さらに大穴牟遅神は「始めて国を作」ったとされた。別に嘘ではないだろう。日本を統一したわけではないのだから。

『書紀』の大国主神の記述に戻せば、「一書に曰はく」で文章全体に否定を書けている。
「一書」は「一柱」で神や人物一人を表し、「一」で神や人物を表さないのを今までも見てきた。また「一に云はく」という表現もあるので、「一書」は文献の肯定である。
亦の名は大物主神で肯定、「国作大己貴命と号す」で否定であり、他は全て「曰」で肯定している。
『書紀』は大国主神、いや須佐之男命が国を作ったことを否定しているのである。
これは『古事記』の主張が間違いだからではない。丹波系が国を作ったのが出雲系より後であることを示唆するものである。
また『書紀』が嘘を言っているとも言えない。『書紀』の大国主神須佐之男命でなく「意礼」なら、筋は通るのである。
そしてヤマトタケル=開化の「大国主神」としての立場は「意礼」に奪われたのである。
ただし、二重否定でなく、「言っていない」という解釈も可能である。しかしそれは大国主神ヤマトタケル=開化に対する言い訳に過ぎないのだろう。

ところで「其の子凡て一百八十一神有す」とはどういうことだろうか。
それを探るため、次回、国譲りの神話と垂仁天皇の乙訓伝説を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(65)~「云」は肯定、「謂」は否定

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「以音」の意味が分かると、色々なことが分かる。
神生み神話の石土毘古について、「訓石云伊波、亦毘古二字以音、下效此也」とあり、「石は伊波と云うと訓み、亦毘古二字は音を以てす。下此に效(なら)う」と読み下す。

ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、「日子」は「日」の否定で丹波系だと述べたが、「毘古」もまた「毘」が否定されており、「日子」と「毘古」で丹波、出雲が逆転しているのである。そして、

ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた、伊邪那岐命伊邪那美命丹波系であるという前提が崩れた。また後にやるとしよう。

大国主神について、『古事記』は


大国主神。亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり。(大国主神。亦名謂大穴牟遅神牟遅二字以音。亦名謂葦原色許男神
色許二字以音
。亦名謂八千矛神亦名謂宇都志国玉神宇都志三字以音。併有五名

 

とある。これで、今まで大国主神の神話と言われてきた大穴牟遅神の活躍が、大国主神のものではない可能性が出てきた。
問題は、「併有五名
」である。大国主神には「御名」でない五つの名、つまり「仮名」があると考えなければならない。
文脈で判断すれば、大国主神、大穴(牟遅)神、葦原(色許)神、八千矛神、(宇都志)国玉神となる。
しかし「文脈で判断しない」のが『記紀』の読み方である。文中にない名前で「併せて五つの名あり」としている可能性があるのである。
ひとつ例を挙げよう。
『書紀』の大国主神の説明に、
一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千矛神と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す其の子凡て一百八十一神有す。」
と、大国主神の「仮名」が七つになっている。
もうひとつ例を挙げよう。大国主神の子の木俣神について、
「かれその子を名づけて木俣神と云、亦の名を御井神と謂ふ。(故、名其子云二木俣神一、亦名謂御井
也。)」
とあり、「云」と「謂」を使い分けているのではないかと考えることができる。そうなると、先の
「訓石云伊波」の「云」をもし否定と考えたとしよう。するとこの一文は無意味な文となる。将来これに意味を見出だす可能性もあるが、現時点では素直に「石を伊波と訓む」としないと先に進めない。
私は「云」が肯定で「謂」が否定だと思っているが、今までと違い、『古事記』の中に決定的な証拠に見つけられないでいる。
ただ例は挙げよう。八俣の大蛇の中から。
「ここに須佐之男命、人その河上にありと以為(おも)ほして、尋ね覚(ま)ぎ上り往きたまへば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣けり。ここに「汝等は誰ぞ」と問ひたまひき。かれ、その老夫答へ言さく、「僕は国つ神大山津見神の子なり僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、女が女は櫛名田比売と謂ふ」とまをしき。」
とある。ちなみに「覚ぎ上り」の「覚」の字は、

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櫛名田比売、いや「童女」は足名椎、手名椎の「孫」なのである。そして足名椎、手名椎は「名」と「謂」を否定ととれば「御名」だが、「童女」の「御名」は櫛名田比売ではない。
そして「童女」が出た。

ヤマトタケルは開化天皇である(62)~倭健命は熊曾健か? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた「童女」である。
この自己紹介の部分は、「僕名謂
足名椎、妻名謂手名椎、女女謂櫛名田比売。」である。(岩波版では「女が名は櫛名田比売と謂ふ」となっているが、私が講談社版に合わせて修正した。)
よって、『古事記』の大国主神の紹介文は、「名」を「謂」が否定し、さらに「以音」が否定した「牟遅」、「色許」、「宇都志」は大国主神の「御名」でないことになる。

次回、『書紀』の大国主神の話をしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(64)~「以音」は「字に意味はない」の意味

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古事記』の天津日高日子番能邇邇芸能命と木花之佐久夜毘売の話を見ていこう。

ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ」とまをしき。また「汝の兄弟ありや」と問ひたまへば、「我が姉、石長比売あり」と答へ白しき。ここに「吾汝に目合せむと欲ふは奈何(いか)に」と詔りたまへば、「僕はえ白さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ」と答へ白しき。かれ、その父大山津見神に乞ひに遣はしたまひし時、いたく歓喜びて、その姉石長比売を副へ、百取の机代の物を持たしめて、奉り出しき。かれここに、その姉はいと凶醜(みにく)きによりて、見畏みて返し送り、ただその弟木花之佐久夜毘売を留めて、一宿婚したまひき。

 

「ここに『誰が女ぞ』と問ひたまへば、答へ白さく、『大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ』とまをしき」は「爾問誰女、答‐白‐之、大山津見神之女、名神阿多都比売、此神名以音。亦名謂木花之佐久夜毘売此五字以音。」
である。
「答‐白‐之」とあるのは、「答え白していない」という意味である。
この場合、2つの意味が考えられる。
ひとつは「美人」のセリフが肯定、または否定の意味を持っていようと、「そのようなことは言っていない」という意味。
もうひとつは、セリフ内の肯定、否定の語を否定するという意味である。
他に2つ指摘することがある。
「名」という字が使われている場合、それはその人物の本当の名前を意味しない。
古事記仲哀天皇の条の気比大神のエピソードにも、伊奢沙和気大神之命が「吾が名を御子の御名に易へまく欲し(以吾名御子之御名)」という。これで実際に名前を替えていないこともわかる。人物の真実の名前は「御名」である。
もっとも「仮名」としての「名」はあり得ると思っているが、その場合でも「名」は否定の意味を失っていないと、現時点では考えている。
問題は、「此五字以音」である。「此五字以音」が「音で読む」、つまり「字に意味はない」と解釈すべきかどうか。
「字に意味はない」なら、このあとの「木花之佐久夜毘売」は「美人」とは別人になる。
なお神阿多都比売にも「此神名以音」とあるが、この場合は「此五字以音」と違い、「神名」で二重否定と考えるべきだろう。「名は神阿多都比売」と合わせて三重否定、「答‐白‐之」と合わせれば肯定とも考えられる。
「木花之佐久夜毘売」はセリフ内では肯定、「答‐白‐之」と合わせて否定だが、問題は「謂」である。だがこの問題は次回に回す。

この後の下りを見てみよう。石長比売が送り返された件についての話は省く。

かれ、後に木花之佐久夜毘売参出て白さく、「妾は妊身みて、今産む時になりぬ。この天つ神の御子は、私に産むべからず。かれ請す」とまをしき。ここに詔りたまはく、「佐久夜毘売一宿にや妊める。これわが子には非じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。ここに答え白さく、「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿の内に入り、土以ちて塗り塞ぎて、産む時にあたりて、火をその殿につけて産みき。かれ、その火の盛り、燃ゆる時に生みし子の名は、火照命。こは隼人阿多君の祖なり。次に生みし子の名は、火須勢理命、次に生みし子の名は、火遠理命、亦の名は天津日高日子穂穂手見命三柱

 

「佐久夜毘売」が「木花之佐久夜毘売」でないことにこだわるのは、それほど意味はないと思う。「木花之」で「木花」が否定されているからで、同一と断定できなくても、別人の可能性を考える必要性が生じていないと判断すべきである。
「この天つ神の御子は、私に産むべからず」は「是天神之御子、私不産」で「天つ神でない御子」である。「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」は「吾妊之子、若国神之子者、産不レ幸、若天神之御子者幸」で、「孕んでない『子』は、もし国つ神の『子』でないなら幸あり、天つ神の御子でないなら幸なし」となり、どちらにしても国つ神の「御子」である。
「産」と「生」はどうやら使い分けているようで、本来血縁関係にない者を出産する場合に「生」が使われるようである。
三柱の神の出産についてだが、「其火盛焼時、所生之子名、火照命此者隼人阿多君之祖。次生子名、火須勢理命須勢理三字以音。次生子御名、火遠理命。亦名、天津日高日子穂穂手見命三柱」となり、大変ややこしい。火照命は「生んでない『子』」である。つまり木花之佐久夜毘売の真実の子である可能性がある。
他二人は「生みし子」だが、火須勢理命は「須勢理」の三字を音で読み、「名」と合わせて「御名」と考えることができる。つまり須勢理毘売の真の近親婚者である。そして火遠理命講談社と違い「御名」である。これはまだ検証段階だが、「遠」の字が否定を表していると考えている。
こうして三柱の神は国つ神の「御子」だが、天つ神の「名」を与えられた。
木花之佐久夜毘売は国つ神の子を「生んだ」、または「産んだ」が、一人称を「妾」、または「吾」と言うのは、木花之佐久夜毘売が天つ神である可能性を生じさせるためである。
現実にはそうでない可能性が高いが、「美人」と木花之佐久夜毘売が同一だろうが別人だろうが、大山津見神の娘としての木花之佐久夜毘売の記述はないのである。

次回、再度大国主神の話に戻ろう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(63)~「おれ」は「お前」か?

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大国主神は、須佐之男命の髪の虱を取っている時に、須佐之男命が眠ってしまった隙をついて逃げ出す。その後須佐之男命が気づいて後を追うくだりを見てみよう。

かれここに、黄泉比良坂に追ひ至りて、遥に望け呼ばひて大穴牟遅神に謂りて曰はく、「その汝が持てる生大刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟は坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我女須世理毘売を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり高天原に氷橡たかしりておれ。この奴」とのりたまひき。

 

「おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となりて」は「意礼 二字以音。爲大国主神、亦爲宇都志国玉神一而」である。「二字以音」「二字音を以て(、読む)」そして「おれ(意礼)」は「お前」と訳されている。
次にもう一度、倭健命の熊曾征討を見てみよう。熊曾健に尋ねられて答えるくだりである。

吾は、纏向の日代宮にましまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり。おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」とのりたまひき。

 

「おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」は「意礼熊曾健二人、不伏無礼聞看而、取殺意礼詔而遣」である。
「意礼」を「お前」と訳すのが正しいのかが、ここでの問題である。
あいにく、私は『古事記』と『日本書紀』以外の古文献を検証できない。『書紀』には大国主神須佐之男命に会う話自体がなく、また日本武尊熊襲征討にも、「意礼」という言葉はなかった。
「意礼」が「お前」でない場合、考えられるのは二つ。ひとつは「意礼」が「俺」だという可能性。もうひとつに固有名詞の可能性である。「意」という字は仁賢天皇の意祁王など、複数の人物の名前にある字である。
ただし今は、「意」の字をもつ人物を検証できるだけの材料が揃っていない。だからまず、「意礼」が「俺」なのかを検証しよう。
大国主神の神話の須佐之男命の言葉は、「俺が大国主神、宇都志国玉神になる」で意味は通じる。
倭健命の熊曾征討は、「俺は熊曾健二人がまつろわず礼無しと聞いて、俺を殺せと命じられて遣わされた」となり、分脈的に不自然である。しかも景行天皇が「名は倭男具那王」を熊曾健に殺されるために派遣し、熊曾健に「名は倭男具那王」を殺すように命じたことになる。
しかしこれは神話なので、話の不自然さは一旦脇に置くべきだろう。なお景行天皇小碓命に熊曾健を討つように命じているが、実は景行天皇は「その人等を取れ(取其人等)」と命じているのである。「取れ」がどういう意味かはわからないが、「取殺れ」とは言っていない。ここに私は、神話には不自然さはあっても矛盾はない可能性を感じている。神話に本当に矛盾がないかは、おいおい検証していくことになるだろう。
なお、大国主神の神話では、須佐之男命が命名したことになっているが、

この神、刺国大神の女、名は刺国若比売を娶して生みし子は、大国主神亦の名は大穴牟遅神と謂ひ亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり。

 

と『古事記』にあるように、大国主神須佐之男命に命名されたとは本文には書いていない。あくまで須佐之男命の「意礼」を「お前」と訳した場合にそう判断できるだけである。つまり大国主神が元々大国主神だった場合、「意礼」を「お前」とする解釈は成り立たないのである。
では他に決め手はないのかといえば、それは「二字以音」とある小文字の注である。これが何を意味するかを知るため、次回、天津日子番能邇邇芸能命と木花之佐久夜毘売の話を見ていこう。

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