「人の言うことを聞くべからず」+

坂本晶と申します。はてなでは「坂本晶の『人の言うことを聞くべからず』」をやっています。こちらはサブブログとして、古代史、神話を中心に扱っていきます。『水瓶座の女』という小説を、太陽出版から販売しております。読んで頂けたら嬉しいです。

ヤマトタケルは開化天皇である(65)~「云」は肯定、「謂」は否定

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「以音」の意味が分かると、色々なことが分かる。
神生み神話の石土毘古について、「訓石云伊波、亦毘古二字以音、下效此也」とあり、「石は伊波と云うと訓み、亦毘古二字は音を以てす。下此に效(なら)う」と読み下す。

ヤマトタケルは開化天皇である(57)~「子」は親子関係の否定 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で、「日子」は「日」の否定で丹波系だと述べたが、「毘古」もまた「毘」が否定されており、「日子」と「毘古」で丹波、出雲が逆転しているのである。そして、

ヤマトタケルは開化天皇である(50)~「速」「別」は否定の意味 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた、伊邪那岐命伊邪那美命丹波系であるという前提が崩れた。また後にやるとしよう。

大国主神について、『古事記』は


大国主神。亦の名は大穴牟遅神と謂ひ、亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり。(大国主神。亦名謂大穴牟遅神牟遅二字以音。亦名謂葦原色許男神
色許二字以音
。亦名謂八千矛神亦名謂宇都志国玉神宇都志三字以音。併有五名

 

とある。これで、今まで大国主神の神話と言われてきた大穴牟遅神の活躍が、大国主神のものではない可能性が出てきた。
問題は、「併有五名
」である。大国主神には「御名」でない五つの名、つまり「仮名」があると考えなければならない。
文脈で判断すれば、大国主神、大穴(牟遅)神、葦原(色許)神、八千矛神、(宇都志)国玉神となる。
しかし「文脈で判断しない」のが『記紀』の読み方である。文中にない名前で「併せて五つの名あり」としている可能性があるのである。
ひとつ例を挙げよう。
『書紀』の大国主神の説明に、
一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は八千矛神と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す其の子凡て一百八十一神有す。」
と、大国主神の「仮名」が七つになっている。
もうひとつ例を挙げよう。大国主神の子の木俣神について、
「かれその子を名づけて木俣神と云、亦の名を御井神と謂ふ。(故、名其子云二木俣神一、亦名謂御井
也。)」
とあり、「云」と「謂」を使い分けているのではないかと考えることができる。そうなると、先の
「訓石云伊波」の「云」をもし否定と考えたとしよう。するとこの一文は無意味な文となる。将来これに意味を見出だす可能性もあるが、現時点では素直に「石を伊波と訓む」としないと先に進めない。
私は「云」が肯定で「謂」が否定だと思っているが、今までと違い、『古事記』の中に決定的な証拠に見つけられないでいる。
ただ例は挙げよう。八俣の大蛇の中から。
「ここに須佐之男命、人その河上にありと以為(おも)ほして、尋ね覚(ま)ぎ上り往きたまへば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣けり。ここに「汝等は誰ぞ」と問ひたまひき。かれ、その老夫答へ言さく、「僕は国つ神大山津見神の子なり僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、女が女は櫛名田比売と謂ふ」とまをしき。」
とある。ちなみに「覚ぎ上り」の「覚」の字は、

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櫛名田比売、いや「童女」は足名椎、手名椎の「孫」なのである。そして足名椎、手名椎は「名」と「謂」を否定ととれば「御名」だが、「童女」の「御名」は櫛名田比売ではない。
そして「童女」が出た。

ヤマトタケルは開化天皇である(62)~倭健命は熊曾健か? - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べた「童女」である。
この自己紹介の部分は、「僕名謂
足名椎、妻名謂手名椎、女女謂櫛名田比売。」である。(岩波版では「女が名は櫛名田比売と謂ふ」となっているが、私が講談社版に合わせて修正した。)
よって、『古事記』の大国主神の紹介文は、「名」を「謂」が否定し、さらに「以音」が否定した「牟遅」、「色許」、「宇都志」は大国主神の「御名」でないことになる。

次回、『書紀』の大国主神の話をしよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(64)~「以音」は「字に意味はない」の意味

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古事記』の天津日高日子番能邇邇芸能命と木花之佐久夜毘売の話を見ていこう。

ここに天津日高日子番能邇邇芸能命、笠沙の御前に麗しき美人に遇ひたまひき。ここに「誰が女ぞ」と問ひたまへば、答へ白さく、「大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ」とまをしき。また「汝の兄弟ありや」と問ひたまへば、「我が姉、石長比売あり」と答へ白しき。ここに「吾汝に目合せむと欲ふは奈何(いか)に」と詔りたまへば、「僕はえ白さじ。僕が父大山津見神ぞ白さむ」と答へ白しき。かれ、その父大山津見神に乞ひに遣はしたまひし時、いたく歓喜びて、その姉石長比売を副へ、百取の机代の物を持たしめて、奉り出しき。かれここに、その姉はいと凶醜(みにく)きによりて、見畏みて返し送り、ただその弟木花之佐久夜毘売を留めて、一宿婚したまひき。

 

「ここに『誰が女ぞ』と問ひたまへば、答へ白さく、『大山津見神の女、名は神阿多都比売、亦の名は木花之佐久夜毘売と謂ふ』とまをしき」は「爾問誰女、答‐白‐之、大山津見神之女、名神阿多都比売、此神名以音。亦名謂木花之佐久夜毘売此五字以音。」
である。
「答‐白‐之」とあるのは、「答え白していない」という意味である。
この場合、2つの意味が考えられる。
ひとつは「美人」のセリフが肯定、または否定の意味を持っていようと、「そのようなことは言っていない」という意味。
もうひとつは、セリフ内の肯定、否定の語を否定するという意味である。
他に2つ指摘することがある。
「名」という字が使われている場合、それはその人物の本当の名前を意味しない。
古事記仲哀天皇の条の気比大神のエピソードにも、伊奢沙和気大神之命が「吾が名を御子の御名に易へまく欲し(以吾名御子之御名)」という。これで実際に名前を替えていないこともわかる。人物の真実の名前は「御名」である。
もっとも「仮名」としての「名」はあり得ると思っているが、その場合でも「名」は否定の意味を失っていないと、現時点では考えている。
問題は、「此五字以音」である。「此五字以音」が「音で読む」、つまり「字に意味はない」と解釈すべきかどうか。
「字に意味はない」なら、このあとの「木花之佐久夜毘売」は「美人」とは別人になる。
なお神阿多都比売にも「此神名以音」とあるが、この場合は「此五字以音」と違い、「神名」で二重否定と考えるべきだろう。「名は神阿多都比売」と合わせて三重否定、「答‐白‐之」と合わせれば肯定とも考えられる。
「木花之佐久夜毘売」はセリフ内では肯定、「答‐白‐之」と合わせて否定だが、問題は「謂」である。だがこの問題は次回に回す。

この後の下りを見てみよう。石長比売が送り返された件についての話は省く。

かれ、後に木花之佐久夜毘売参出て白さく、「妾は妊身みて、今産む時になりぬ。この天つ神の御子は、私に産むべからず。かれ請す」とまをしき。ここに詔りたまはく、「佐久夜毘売一宿にや妊める。これわが子には非じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。ここに答え白さく、「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」とまをして、即ち戸無き八尋殿を作りて、その殿の内に入り、土以ちて塗り塞ぎて、産む時にあたりて、火をその殿につけて産みき。かれ、その火の盛り、燃ゆる時に生みし子の名は、火照命。こは隼人阿多君の祖なり。次に生みし子の名は、火須勢理命、次に生みし子の名は、火遠理命、亦の名は天津日高日子穂穂手見命三柱

 

「佐久夜毘売」が「木花之佐久夜毘売」でないことにこだわるのは、それほど意味はないと思う。「木花之」で「木花」が否定されているからで、同一と断定できなくても、別人の可能性を考える必要性が生じていないと判断すべきである。
「この天つ神の御子は、私に産むべからず」は「是天神之御子、私不産」で「天つ神でない御子」である。「吾が妊める子、若し国つ神の子ならば、産む時幸くあらじ。若し天つ神の御子ならば、幸くあらむ」は「吾妊之子、若国神之子者、産不レ幸、若天神之御子者幸」で、「孕んでない『子』は、もし国つ神の『子』でないなら幸あり、天つ神の御子でないなら幸なし」となり、どちらにしても国つ神の「御子」である。
「産」と「生」はどうやら使い分けているようで、本来血縁関係にない者を出産する場合に「生」が使われるようである。
三柱の神の出産についてだが、「其火盛焼時、所生之子名、火照命此者隼人阿多君之祖。次生子名、火須勢理命須勢理三字以音。次生子御名、火遠理命。亦名、天津日高日子穂穂手見命三柱」となり、大変ややこしい。火照命は「生んでない『子』」である。つまり木花之佐久夜毘売の真実の子である可能性がある。
他二人は「生みし子」だが、火須勢理命は「須勢理」の三字を音で読み、「名」と合わせて「御名」と考えることができる。つまり須勢理毘売の真の近親婚者である。そして火遠理命講談社と違い「御名」である。これはまだ検証段階だが、「遠」の字が否定を表していると考えている。
こうして三柱の神は国つ神の「御子」だが、天つ神の「名」を与えられた。
木花之佐久夜毘売は国つ神の子を「生んだ」、または「産んだ」が、一人称を「妾」、または「吾」と言うのは、木花之佐久夜毘売が天つ神である可能性を生じさせるためである。
現実にはそうでない可能性が高いが、「美人」と木花之佐久夜毘売が同一だろうが別人だろうが、大山津見神の娘としての木花之佐久夜毘売の記述はないのである。

次回、再度大国主神の話に戻ろう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(63)~「おれ」は「お前」か?

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大国主神は、須佐之男命の髪の虱を取っている時に、須佐之男命が眠ってしまった隙をついて逃げ出す。その後須佐之男命が気づいて後を追うくだりを見てみよう。

かれここに、黄泉比良坂に追ひ至りて、遥に望け呼ばひて大穴牟遅神に謂りて曰はく、「その汝が持てる生大刀・生弓矢をもちて、汝が庶兄弟は坂の御尾に追ひ伏せ、また河の瀬に追ひ撥ひて、おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我女須世理毘売を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり高天原に氷橡たかしりておれ。この奴」とのりたまひき。

 

「おれ大国主神となり、また宇都志国玉神となりて」は「意礼 二字以音。爲大国主神、亦爲宇都志国玉神一而」である。「二字以音」「二字音を以て(、読む)」そして「おれ(意礼)」は「お前」と訳されている。
次にもう一度、倭健命の熊曾征討を見てみよう。熊曾健に尋ねられて答えるくだりである。

吾は、纏向の日代宮にましまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり。おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」とのりたまひき。

 

「おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」は「意礼熊曾健二人、不伏無礼聞看而、取殺意礼詔而遣」である。
「意礼」を「お前」と訳すのが正しいのかが、ここでの問題である。
あいにく、私は『古事記』と『日本書紀』以外の古文献を検証できない。『書紀』には大国主神須佐之男命に会う話自体がなく、また日本武尊熊襲征討にも、「意礼」という言葉はなかった。
「意礼」が「お前」でない場合、考えられるのは二つ。ひとつは「意礼」が「俺」だという可能性。もうひとつに固有名詞の可能性である。「意」という字は仁賢天皇の意祁王など、複数の人物の名前にある字である。
ただし今は、「意」の字をもつ人物を検証できるだけの材料が揃っていない。だからまず、「意礼」が「俺」なのかを検証しよう。
大国主神の神話の須佐之男命の言葉は、「俺が大国主神、宇都志国玉神になる」で意味は通じる。
倭健命の熊曾征討は、「俺は熊曾健二人がまつろわず礼無しと聞いて、俺を殺せと命じられて遣わされた」となり、分脈的に不自然である。しかも景行天皇が「名は倭男具那王」を熊曾健に殺されるために派遣し、熊曾健に「名は倭男具那王」を殺すように命じたことになる。
しかしこれは神話なので、話の不自然さは一旦脇に置くべきだろう。なお景行天皇小碓命に熊曾健を討つように命じているが、実は景行天皇は「その人等を取れ(取其人等)」と命じているのである。「取れ」がどういう意味かはわからないが、「取殺れ」とは言っていない。ここに私は、神話には不自然さはあっても矛盾はない可能性を感じている。神話に本当に矛盾がないかは、おいおい検証していくことになるだろう。
なお、大国主神の神話では、須佐之男命が命名したことになっているが、

この神、刺国大神の女、名は刺国若比売を娶して生みし子は、大国主神亦の名は大穴牟遅神と謂ひ亦の名は葦原色許男神と謂ひ、亦の名は八千矛神と謂ひ亦の名は宇都志国玉神と謂ひ、併せて五つの名あり。

 

と『古事記』にあるように、大国主神須佐之男命に命名されたとは本文には書いていない。あくまで須佐之男命の「意礼」を「お前」と訳した場合にそう判断できるだけである。つまり大国主神が元々大国主神だった場合、「意礼」を「お前」とする解釈は成り立たないのである。
では他に決め手はないのかといえば、それは「二字以音」とある小文字の注である。これが何を意味するかを知るため、次回、天津日子番能邇邇芸能命と木花之佐久夜毘売の話を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(62)~倭健命は熊曾健か?

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古事記』の倭健命の熊曾征討を見てみよう。
読み下し文①。


天皇小碓命に詔りたまはく、「何とかも汝の兄は朝夕の大御食に参出来ざる。専ら汝ねぎ教え諭せ」とのりたまひき。かく詔りたまひて以後、五日に至るまでなほ参出ざりき。ここに天皇小碓命に問ひたまはく、「何とかも汝の兄は、久しく参出ざるもし未だ誨へずありや」ととひたまへば、答へて白さく、「既にねぎつ」とまをしき。また「如何かねぎつる」と詔りたまへば、答へて白さく、「朝曙に厠に入りし時、待ち捕へ掴み批(う)ちて、その枝を引き闕きて、薦に嚢みて投げ棄てつ」とまをしき。
ここに天皇、その御子の健く荒き情を惶みて詔りたまはく、「西の方に熊曾健二人あり。これ伏はず礼旡(な)き人等なり。かれ、その人等を取れ」とのりたまひて遣はしき。この時に当りて、その御髪を額に結はしき。ここに小碓命、その姨倭比売命の御衣・御裳を給はり、剣を御懐に納れて幸行でましき。かれ、熊曾健の家に至りて見たまへば、その家の辺に軍三重に囲み、室を作りて居りき。ここに御室楽(みむろうたげ」せむと言ひ動(とよ)みて、食物を設(ま)け備へたり。かれ、その傍を遊び行きて、その楽の日を待ちたまひき。

 

今までにも変換できない漢字があったが、今回より変換できなかった漢字の画像を貼ることにする。現状必要ではないが、不正確であり、今後必要になる可能性があると考えているからである。「待ち捕へ掴み批(う)ちて」の「掴」の字の画像。

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いくつか確認しよう。「ここに天皇、その御子の健く荒き情を惶みて」は、「於天皇、惶其御子之健荒之情而詔之」で、「その御子でない健く荒くない情を惶みて詔らず」と読む。「其御子之健荒之情」は二重否定ではないかと思う読者もいると思うし、私にも迷いがあるが、ここで二重否定にする意味がないのでそう読まないでおく。景行天皇は「御子」でない者を恐れたのである。
そして「熊曾健二人」とは、同名の者が二人いるということで、この二人が兄弟だとは言っていない。さらに「その御髪を額に結はし」たのは、前文の主語を引き継いで景行天皇である。
読み下し文②。

ここにその楽の日に臨みて、童女の髪の如その結はせる御髪を梳り垂り、その姨の御衣御裳を服し、既に童女(をとめ)の姿に成りて、女人の中に交り立ちて、その室の内に入りましき。ここに熊曾健兄弟二人、その嬢子(をとめ)を見感でて、己が中に坐せて盛りに楽しつ。かれ、その酣なる時に臨み、懐より剣を出し、熊曾の衣の衿を取りて、剣をその胸より刺し通したまひし時、その弟健畏みて逃げ出でき。すなはち追ひてその室の端の本に至り、その背の皮を取りて、剣を尻より刺し通したまひき。ここにその熊曾健白言さく、「その刀をな動かしたまひそ。僕白言すことあり」とまをしき。ここに暫し許して押し伏せたまひき。

 

「すなはち追ひてその室の端の本に至り」の「端」の画像。

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童女の髪の如その結はせる御髪を梳り垂り」は「如童女之髪_、梳垂其結御髪」、「その姨の御衣御裳を服し、既に童女の姿に成りて」は「服姨之御衣御裳、既成童女之姿一」である。主語は小碓命だから、小碓命童女、そして倭比売命であることが否定されているのである。すると「御髪を額に結」ったのは、「童女」の姿になるためではないかという推測が可能になる。
そしてこの後「童女」ならぬ「嬢子」が登場する。この「嬢子」を呼んだのは「熊曾健兄弟」で熊曾健ではない。「兄弟」だから『古事記』のルールで血のつながりもない者である。
「懐より剣を出し、熊曾の衣の衿を取りて、剣をその胸より刺し通したまひ」たのは誰だろう。前文の主語を引き継いで、「熊曾健兄弟」であるべきだろう。そして「熊曾の衣」は「熊曾之衣」である。熊曾でない者の衿をつかんで刺したのである。
「弟健」が「熊曾健」でないのはもちろんである。「その弟健(其弟健)」とあるので、刺されたのは弟健と見ていいだろう。
この後「熊曾健」が登場する。「僕白言すことあり(僕有白言)」とあるから、熊曾健は丹波系である。
読み下し文③、

ここに「汝命は誰ぞ」と白言しき。ここに詔りたまはく、「吾は、纏向の日代宮に坐しまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり。おれ熊曾健二人、伏はず礼無しと聞こしめして、おれを取殺れと詔りたまひて遣はせり」とのりたまひき。
ここにその熊曾健白さく、「信に然(しか)ならむ。西の方に吾二人を除きて、健く強き人無し。然るに大倭国に、吾二人に益りて健き男は坐しけり。ここをもちて吾御名を献らむ。今より以後は、倭健御子と称(たた)ふべし」とまをしき。このことを白し訖(を)へしかば、すなはち熟瓜の如振り析きて殺したまひき。

 

「纏向の日代宮に坐しまして大八島国知らしめす、大帯日子淤斯呂和気天皇の御子、名は倭男具那王なり」は「坐纏向之日代宮、所大八島、大帯日子淤斯呂和気天皇之御子、名倭男具那王者也」で、景行天皇の「御子」ではない。小碓命の亦の名は「倭男具那命」なので、「倭男具那王」でもない。そして弟健を殺したのは熊曾健である。
それでは熊曾健が倭健命なのかといえばそうではない。「今より以後は、倭健御子と称(たた)ふべし」とあるように、この熊曾健は倭健命ではない。とすると、本当の倭健命は、ここに登場しなかったもう一人の熊曾健の可能性が高い。
この記事を踏まえて、次回、もう一度大国主神の神話を見てみよう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(61)~須佐之男命は大国主神になったのか?

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大国主神の神話の、沼河比売のくだりを見てみよう。八千矛神大国主神)が沼河比売を夜這いした後からである。


またその神の嫡后須勢理毘売命、いたく嫉妬したまひき。かれ、そのひこぢ(夫)の神わびて、出雲より倭国に上りまさむとして、束装(よそひ)し立たす時に、片御手は御馬の鞍にかけ、片御足はその御鐙に踏み入れて曰はく、

ぬばたまの 黒き御衣をまつぶさに 取り装ひ沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも これはふさはず 辺つ波 そに脱ぎ棄て そに鳥の 青き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こもふさはず 辺つ波 そに脱ぎ棄て 山県に 蒔きし あたね舂き 染木が汁に 染め衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも こしよろし いとこやの 妹の命 群鳥の わが群れ往なば 引け鳥の わが引け往なば 泣くかじとは 汝は言ふとも 山との 一本薄 項かぶし 汝が泣かさまく朝雨の 霧に立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語言も ことば

(黒い衣装をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これは似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、こんどはかわせみの羽のような青い衣装をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見るとき、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これも似合わない。岸に寄せる波が引くように後ろに脱ぎ棄て、山畑に蒔いた蓼藍を臼で舂き、その染め草の汁で染めた藍色の衣をていねいに着こんで、沖の水鳥のように胸元を見ると、鳥が羽ばたくように、袖を上げ下げして見ると、これはよく似合う。いとしい妻の君よ、群鳥が飛び立つように、私が大勢の共人を連れて行ったならば、引かれていく鳥のように、私が大勢の共人に引かれて行ったならば、あなたは泣くまいと強がって言っても、山の裾に立つ一本の薄のようにうなだれて、あなたは泣くことだろう。そのあなたの嘆きは、朝の雨が霧となって立ちこめるように、嘆きの霧が立ちこめるであろうよ。いとしい妻の君よ。ーーこれを語り草としてお伝えいたします)

 

とうたひたまひき。

 

 

ヤマトタケルは開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。 - 「人の言うことを聞くべからず」+

で述べたように、須勢理毘売「命」は須佐之男命の「妻」であるべきである。つまりここに登場する八千矛神とは須佐之男命ではないかという疑問が生じてくる。
続きを見てみよう。

ここにその后、大御酒坏を取り、立ち依り指挙(ささ)げて歌ひて曰はく、
八千矛の 神の命や 吾が大国主 汝こそは 男にいませば うち廻る島の崎々 かき廻る 磯の崎落ちず 若草の 妻持たせらめ 吾はもよ 女にしあれば 汝を除て 男はなし 汝を除て 夫はなし 綾垣の ふはやが下に むし衾 にこがや下に 栲衾 さやぐが下に 沫雪の 若やる胸を 栲綱の 白き腕 そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に
寝をしなせ 豊御酒 奉らせ
(八千矛の神の命は、わが大国主神よ。あなたは男性でいらっしゃるから、打ちめぐる島の崎々に、打ちめぐる磯の崎ごとに、どこにも妻をお持ちになっているでしょう。それにひきかえ、私は女性の身ですから、あなた以外に男はありません、あなたのほかに夫はないのです。綾織の帳のふわふわと垂れている下で、苧(からむし)の夜具のやわらかな下で、栲の夜具のざわざわとなる下で、沫雪ように白い若やかな胸を、栲の綱のように白い腕を、愛撫しからませ合って、わたしの美しい手を手枕として、脚を長々と伸ばしておやすみなさいませ。さあ御酒を召し上がりませ。)
とうたひたまひき。かく歌ひてすなはちうきゆひして、うながけりて今に至るまで鎮まります。これを神語と謂ふ。

 

「八千矛の 神の命や 吾が大国主」と言っているが、これでは須佐之男命が大国主神と言っているようなものではないか?
もっともこの推論は、八千矛神大国主神でない場合に成立する。しかし周知の通り、「亦の名は八千矛神と謂ふ」と『古事記』にあり、八千矛神大国主神である。
ちなみに万葉仮名で書かれている歌の研究にはまだ手をつけていないが、一応この部分は「夜知富許能 迦微能美許等」と書く。丹波系を表す「迦」の字がある。
それでは須佐之男命は大国主神にならなかったのか?
『書紀』を見てみよう。

一書に曰はく、大国主神、亦の名は大物主神、亦は国作大己貴命と号す。亦は葦原醜男と曰す。亦は大国玉神と曰す。亦は顕国玉神と曰す。其の子凡て一百八十一神有す。

 

古事記』の大国主神の別名は、大穴牟遅神、葦原色許男神八千矛神、宇都志国玉神で、大国主神と「併せて五つの名あり」と書かれている。
『書紀』のこの一節は、大国主神の別名に大物主神が加わった最初の文で、他に大国玉神の名前がついている。
しかし別名の筆頭が「国作大己貴命」で、大穴牟遅神でなくなっている。
須佐之男命は大国主神になったのか?それを探るため、次回はヤマトタケルの物語を見ていこう。

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ヤマトタケルは開化天皇である(60)~丹波系は「僕」、出雲系は「吾」

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古事記』では、丹波系と出雲系は一人称が違う。

 丹波系の一人称は「僕」、出雲系は「吾」であり、どちらも「あ」、「あれ」と読む。

丹波、出雲どちらか明確にしたくない場合は「我」を用いる。 

他に「妾」を用いる者もいる。勿論女性で、用いるのは木花之佐久夜毘売、豊玉毘売、沙本毘売の三人である。三人ともそれぞれ出産に関することで「妾」を用いる。


 「僕」が丹波系の一人称なのは、国つ神が「僕は国つ神」と皆名乗ることから確実である。

「吾」が出雲系なのは、一人の人物が丹波系から出雲系に変わる時、一人称が「僕」→「我」→「吾」と変わるからである。ただし今回は、その文の紹介はしない。 もっとも一人の人物が「僕」から「吾」に変わるということは、「吾」は確実に出雲系の一人称ではなく、出雲系の一人称に「見せている」可能性もある。この点は慎重に見ていく必要があるだろう。


 大国主神の神話の、因幡の白菟の話を見てみよう。菟が大国主神の兄弟の八十神に騙された後からである。

ここにその塩の乾くまにまに、その身の皮悉(ことごと)に風に吹き折(さ)かえき。かれ、痛み苦しみて泣き伏せれば、最後に来ませる大穴牟遅神、その菟を見て、「何しかも汝は泣き伏せる」と言ひしに菟答へ言さく、「僕淤岐島にありて、此地に度らむと欲(おも)へども、度らむ因(よし)無かりし故に、海の和邇を欺きて言はく、『吾と汝と競べて、族の多き少きを計へむと欲ふ。かれ、汝はその族のありのまにまに悉に率て来て、この島より気多の前まで、皆列み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて、走りつつ読み度らむ。ここに吾が族といづれか多きを知らむ』と、かく言ひしかば、欺かえて列み伏せりし時、吾その上を蹈みて、読み度り来て、今地に下りむとするに、吾云はく『汝は我に欺かえつ』と言ひ竟(おわ)る即ち、最端に伏せる和邇、我を捕らへて悉に衣服を剥ぎき。

 

「海の和邇を欺きて言はく」は「欺和邇言」と「之」がない。「最後に来ませる大穴牟遅神」は「最後之来大穴牟遅神」で、「最後でない」という意味になるが、どういうことかはわからない。

原文には、他に気になるところはない。 次に海幸山幸神話を見てみよう。

かれ、各己が身の尋長のまにまに、日を限りて白す中に、一尋和邇白さく、「僕は一日に送る即ち還り来む」とまをしき。かれ、ここにその一尋和邇に、「然らば汝送り奉れ。若し海中を度る時、な惶畏(かしこ)ませまつりそ」と告りて、即ちその和邇の頸に載せて送り出しまつりき。かれ、期りしが如一日の内に送り奉りき。その和邇を返さむとする時、佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき。かれ、その一尋和邇は、今に佐比持神と謂ふ。

 

「かれ、ここにその一尋和邇に」以下の主語がないが、前回述べたように文脈で主語を判断してはいけないので、和邇に乗って地上に戻ったのは火遠理命ではない。

文章は載せていないが主語は綿津見大神で、乗ってきたのは綿津見大神である。

 原文を見ると「之」のオンパレードで、「各己が身長のまにまに、日を限りて白す中に」は「各隨己身之尋長日而白之中」、「即ちその和邇の頸に載せて送り出しまつりき」は「即戴和邇之頸送出」、「限りしが如一日の内に送り奉りき」は「如期一日之内送奉成」、「その和邇を返さむとする時」は「其和邇返之時」、「佩かせる紐小刀を解きて、その頸に著けて返したまひき」は「解佩之紐小刀、著其頸而返」という具合である。 

それぞれ「身長に従わず日数を限って言わない」、「その和邇の頸でないところに載せて」、「一日の内に送らない」、「その和邇を返さない時」、「佩いてない紐小刀をその頸に著けて」となる。

つまり身長に従って日数を限って言ったのは一尋和邇のみであり、火遠理命ならぬ綿津見大神は、一尋和邇「でない」和邇に乗ってきたのである。 

そして一尋和邇は、一人称を「僕」と言っている。この一尋和邇は、菟に欺かれたままだ、というのが『古事記』の主張である。本当は出雲系なのに、自分を丹波系だと思っていると言いたいのである。そしてそれが「佐比持神」だと、『古事記』は言っているのである。

 「佐比持神」とは、「佐」と「比」の字を持つ神のことである。 そして「佐」と「比」の字のある人物が、『古事記』には三人いる。

孝霊天皇の条の比古伊佐勢理毘古命、垂仁天皇の条の品牟智和気御子のエピソードに登場する出雲国造の祖の岐比佐都美、仲哀天皇の条で神功皇后に反乱を起こす忍熊王の将軍の伊佐比宿禰である。

 このうち比古伊佐勢理毘古命と岐比佐都美は他に丹波系の名前があり、「佐比持神」なのかまだわからないが、忍熊王と共に死ぬ伊佐比宿禰は、騙されて自分を丹波系だと思っている出雲系の人物だというのが『古事記』の主張なのである。 


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ヤマトタケルは開化天皇である(59)~文脈で主語を判断してはいけない。

1~50を読みたい人はコチラ↓

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日本語は主語がなくとも意味が通じる。それは文脈で主語を判断しているからだ。
しかし『古事記』において、主語は文脈によって判断してはいけない。『古事記』を読む場合、文章の主語が抜けている時は、前の文の主語を引き継いでいると考えるべきである。

大国主神の神話の、須佐之男命を訪問する場面を見てみよう。


かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見て、目合して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。、かれ、詔命のまにまに須佐之男命の御所に参到れば、その女須勢理毘売出て見て、目合して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。して相婚ひまして、還り入りてその父に白して言はく、「いと麗しき神来ましつ」とまをしき。ここにその大神出て見て告りたまはく、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」とのりたまひて、その蛇の室に寝しめたまひき。ここにその妻須勢理毘売命、蛇の比礼をその夫に授けて云はく、「その蛇咋はむとせば、この比礼を三度拳りて打ち撥ひたまへ」といひき。かれ、教への如せしかば、蛇自ら静まりき。かれ、平く寝て出でたまひき。

 

「その父」は「其父」で、真実の親子関係でないことを示す。そして「その妻須勢理毘売命」は須勢理毘売「命」で、大国主神と婚姻した須勢理毘売ではない。「その妻」「その夫」はそれぞれ「其妻」「其夫」で、『古事記』にあまり用法ががないので断定できないが、これも真実の夫婦関係でないと読めそうである。そして「ここにその妻須勢理毘売命…」の文は、前の主語を引き継いで「その大神」で、須佐之男命だと読むべきである。須佐之男命と須勢理毘売「命」とは真実夫婦ではないが、須勢理毘売とはどうかとも深読み出来そうな文である。なお、「こは葦原色許男命と謂ふぞ」は「此者謂之葦原色許男命」である。大国主神は葦原色許男神で葦原色許男「命」ではないので、この文は合っているのである。(岩波『古事記』には葦原色許男とのみ記されており、「命」が入っていない。その理由はわからないが、ここでは漢文に「命」を足しておいた。

続きを見てみよう。


また来る日の夜は、呉公(むかで)と蜂との室に入れたまひき。また呉公・蜂の比礼を授けて、教ふること先の如し。かれ、平く出でたまひき。また鳴鏑を大野の中に射入れて、その矢を採らしめたまひき。かれ、その野に入りし時、すなはち火もちてその野を焼き廻らしき。ここに出でむ所を知らざる間に鼠来て云はく、「内はほらほら、外はすぶすぶ」といひき。かく言ふ故にそこを踏みしかば、落ち隠り入りましし間に、火は焼け過ぎぬ。ここにその鼠、その鳴鏑を咋ひ持ちて、出で来て奉りき。その矢の羽は、その鼠の子等皆喫ひたり

 

主語が全くないが、「先の如し」までは前の文と主語が同じとして、呉公と蜂の室に入れられたのが大国主神で、呉公・蜂の比礼を振ったのが須佐之男命だとわかる。
その後は主語がなく、鳴鏑を射たのが誰で、野に入って火に焼かれそうになったのが誰なのかわからない。主語がわかるのは鼠とその「子等」だけである。
鳴鏑の羽の「喫」むを「咋」むに入れ代えると、ある地名になる「羽咋」である。能登国羽咋神社があり、祭神は石衝別命である。
ならば鼠の「子等」が石衝別命かという疑問が出てくる。
古事記』にはそうは書いていない。石衝別命に見せるために「鼠の子等」は登場したのであり、この「鼠の子等」は丹波系と考えることができる。そして「羽咋」ではなく、「羽」を「喫」むとあるのは、「鼠の子等」が「羽咋」とは無縁だということである。
また、鳴鏑を「咋」んだ鼠を大山咋と考えることができる。鼠が大山咋かどうかは後に検討しよう。

この後大国主神須佐之男命がどうなるのかを見る前に、もうひとつ、わかった点を述べるために、大国主神の神話の別の物語を見ていくことにする。

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